厚木「サティ」の七階の市民ギャラリーで、10月3日(火)から9日(月)まで、「神奈川県立厚木東高等学校百周年記念写真展」が開かれていることを耳にしたので、興味を引かれ、昨日(6日)と今日(7日)、行って見ました。6日は仕事帰りに寄ってみたのですが、夕方でゆっくり見れなかったため、今日、再び出かけてみました。明治から平成にかけての「女学生」の変遷、太平洋戦争中の「学徒勤労動員」、神奈川県内の主要な都市における「空襲」の様子などがよくわかり、思わず取材ノートに書き留めました。 . . . 本文を読む
土佐藩参政の吉田東洋が、土佐勤王党のメンバーである那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助の三人により、文久二年(1862年)四月に暗殺されたことは、すでに「土佐藩参政吉田東洋の暗殺者」で触れました。この暗殺以後、土佐勤王党は、土佐藩政に大きな力を持つことになりますが、文久三年(1863年)に入ると、山内容堂(豊信・前藩主)を中心とする公武合体派が、土佐勤王党の弾圧に乗り出します。そして、ついに同年六月八日の夜、勤王党のメンバー三人が処刑されるという事件が起こります。若き日の中江兆民(篤助)は、山田町の牢獄の塀から、その処刑のさまの一部始終を目撃します。この場面から、「武市半平太と土佐勤王党」について、何回かに分けて触れていこうと思います。
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