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鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

吉村昭さんの『史実を歩く』(文春文庫)について

2006-09-13 21:43:02 | Weblog
・幕末期の歴史小説を書くことをつづけてきた私は、史料収集のためしばしば宇和島市に足を向けてきたが、恐らく三、四十回にはなるだろう。

・歴史小説の資料集めに地方へ行く私は、その地の図書館を頼りにしている。

・その時から(長崎県立図書館の館長である永島氏から「今回で吉村さんは、長崎に六十五回来たことになりますな」と言われてから)私は意識して回数を数えるようになり、昨年(平成八年)の長崎行が九十八回目であるのを知っている。

・関も岡部も、激しい降雪の中を現場から品川宿にむかっている。が、雪はいつやんだのか、品川宿にむかう途中か、それとも品川宿についてから、かなりたった時刻なのか。歴史研究者には雪のやんだ時刻などどうでもよいことだが、関を主人公に小説を書く私には、どうしても知っておかねばならぬ事柄であった。

・氏(生麦町で自宅の一部を「生麦事件参考館」として事件関係のものを展示している浅海武夫さん)の部屋に通された私は、畏敬すべき市井の人がここにもいる、と思った。これまで庶民の生活をしながらこつこつと地元の史実を探ってまとめている人に何度か会っている私は、浅海氏もその一人であるのを感じた。

・私は、生麦村が藁ぶき屋根が点々とあるだけの耕地の多いひなびた村と想像していた。それだけに街道の両側に隙間なく家の並んでいる絵図に、思わず声をあげるほど驚いた。

・資料集めも一応終わり、私は、どこから書き出すべきか考えた。最初の一行で、小説の運命はすべてきまる。

・歴史小説を連載する場合、私は早くから準備をととのえて書きはじめるのを常としている。十分に資料収集したと思っていたのに、突然のように新しい資料が出てきて、書き直しをする必要を感じることがしばしばある。

・歴史小説の会話で当時の人の話し言葉を再現してみようということは、所詮無理なのである。それで私は、少しのためらいもなく歴史小説の会話は標準語を使う。全くのお手上げという諦めによるもので、当時の時代の臭いというものを加味するだけで精一杯なのである。

・私は記憶の頼りなさを感じ、一つの史実には複数以上の証言を得るようにつとめ、さらにそれを公式記録によってたしかめることを繰返した。

・言い伝え、いわゆる伝承というものが貴重であると同時に、あやふやな性格をもつものであることを、歴史小説を書く間に身にしみて感じている。


 以上の抜粋からも伺えるのは、吉村さんの歴史小説を書く姿勢の厳しさです。
 それこそ全国を股に掛けて集めた膨大な史実をもとに、一言一句もゆるがせにしない厳格な姿勢です。それが、方言を歴史小説の会話文で使わないという主義というか、「諦め」につながっている。〔吉村さんと違って、私(鮎川)は、不完全で自信はないものの、意識的に方言を使おうとしていますが……〕
 現場を訪れることの大切さ。
 そして地域でこつこつと研究・調査を積み上げている市井の方々に対する畏敬の念。
 私も取材旅行の際、地方の図書館に足を運ぶようにしていますが、そういった人たちの積み上げた成果に触れて感動することがしばしばです。

 さらに、思い込みの怖(こわ)さ。
 私に引きつけて言えば、先月、伊豆に取材旅行に言った時に私が勝手に思い込んでいたことの誤りを、次の箇所で知らされました。

 「冬の間は遺体を雪の中に埋めておいて、雪解けの季節に掘り起すときいたのですが……」
 私は、たずねた。
 「そんなことはしませんよ。すぐに腐ってしまいますもの」
 村人の言葉に、私は、
 「凍るのじゃないのですか」
 と、たずねた。
 「雪の中は温いんです。牛肉など埋めておいたらすぐ腐ります」
 私は、茫然とした。

 修善寺から戸田に向かう途中で、三体の瞽女(ごぜ)観音の石像があって、その由来について案内板の説明をもとに触れました(「戸田・下田・韮山、取材旅行最終日」)が、私は、戸田峠で大雪に埋もれて死んだ三人の瞽女は、雪解けとともに凍った状態で(姿をとどめている状態で)村人により見つけられたのだろう、と思っていたのですが、そうではなく、上の記述から考えれば、腐乱した状態で見つかったことになります。

 そういう思い込みの怖さを、おそらく数多くの体験から、吉村さんは思い知ったのだと思います。

 吉村さんの厳しい歴史小説創作の姿勢にたじろぎ、吉村さんの足元にも及ばぬ自分であることを痛感してしまうのですが、一歩でも近づけるように今後も精進していかなければ、と気持ちを新たにした次第です。
                                  鮎川俊介
     


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