鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

辰濃和男さんの『文章のみがき方』について

2008-01-14 06:13:38 | Weblog
 以下、抜粋。

・たのしみながら歩くと、不思議に元気が湧いてくる。

・歩くことです。…とにかく暮らしのなかで、できるだけたくさん歩く時間を持つことです。歩いていて見たこと、聞いたこと、香ってきたもの、味わったものの数々が心に残っていれば、それはいつか文章に現れてくるはずです。歩くということと、「思いつき」を生む脳の働きには相関関係があるのでしょう。

・アタマをからっぽにして歩いていると、これは、という思いつきがふっと浮かぶことがあります。その思いつきを大事にしましょう。

・現場は、文章の無尽蔵の穀倉です。自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の体で触れて、自分で匂いを感じて、自分で味わって……そういう五感の営みをつづけることのできる場はみな現場です。

・細密な描写を心がける。

・文章を書くうえで、…洞察視力は実に大事だと思いますし、この視力は、きたえればきたえるほど強まってゆくものだといえるでしょう。

・人生経験を積むことと文章修業の関係は、実に大切なこと

・自分がどうしても伝えたいこと、自分の思い、自分の考えをはっきりさせること。…そのことを単純な文章で書いてみる。難しい言葉を使わない。…何回も書き直し、さらに書き直す。

・単純に書くには、さまざまな言葉の群れのなかから、いちばん大切な言葉を選ぶという習慣が大切です。なにを選び、なにを捨てるかという修練です。

・説得力のある文章を書くには、細密なところをおろそかにしてはいけない。

・文章を書くということは自分のなかの思い込み、偏見をあばくことでもあります。

・土地の言葉を大切にする

・土地の言葉は、日本人の心に生きつづけてきたゆたかな財産

・五感の練磨こそが、文章力を高めるためのより根本的な過程…大自然のなかでこそ五感は鋭敏になるのです。

・ゆたかな感受性こそが、清冽な言葉を生む源

・歩きながら歩くことを考える。すると、私の思考は、遠い昔、人類が直立二足歩行をはじめたころの過去にさかのぼってゆくのです。歩くという動詞がいかに人間の人間らしい生き方の基本にあるかということに気づくのです。

・思いの深さはおのずから文章ににじみでてくるもの

・九十歳になって「まだまだ向上したい」という思いを持ちつづけることには、プロもアマも、境はないのではないか

・「下手ですが精一ぱい、心をこめて書く」。これ以外に修業の道はない


 以上ですが、文章を書く上で、歩くこと、現場を歩くこと(別の言葉で言えば「現場を踏む」ということ)、現場で五感を磨くこと、そしてそれを生涯続けることの大切さを、これほど明確・明快に述べた「文章論」は今までなかったのではないでしょうか。

 夏目漱石・太宰治・永井荷風から藤沢周平・小田実・向田邦子・村上春樹・よしもとばななまで幅広い多くの作家たちや、熊谷守一・岡本太郎といった画家たちの「言葉」(文章論や絵画論など)が引用されていて、それを読むだけでも面白いし、ためになります。

 
 最後に、この本の最後の文章を引用します。


 「渾身の気合で書く。

  そして、肩の力を抜いて書く。

  この二つをどう融合させるか。

  矛盾するようで、これは決して矛盾するものではありません。」
 

○参考文献
・『文章のみがき方』辰濃和男(岩波新書)


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