鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

「限界集落」について

2008-01-15 06:07:42 | Weblog
 番組では、「ご近所の底力」ということで、その「限界」状況の解決の糸口を探っていました。

 まず紹介されたのは長野県飯田市の農家の人たちの試み。ここには農業の手伝い(ボランティアです)に年間467人の人たちが訪れるのだという。「ワーキングホリデー」といい、そこでは農作業を体験するばかりか農業を農家の方に教えてもらえる。食事も宿も農家が提供してくれます。滞在日数は3泊4日以上と決められているとのこと。飯田市の農業課係長である女性の方が映像に出てきましたが、行政側から企画を推進し支援してきた方なのでしょう。

 二つ目に紹介されたのは、和歌山県那智勝浦の色川地区の試み。ここは住民の3分の1がよその土地からの移住者。「ふるさと塾」を設けて「お試し滞在」をしてもらい、集落の実際や集落の人々の考えや要望などを納得してもらった上で、住んでもらうのだという。廃校となった小学校校舎や廃屋を有効活用していました。

 三つ目に紹介されたのは、京都市綾部市の高齢化80%の「限界集落」。ここではNさんという女性が道路や休耕田に花を植えたことによって足をとめる旅行者が増え、そこから「やれば出来る」という小さな自信が集落の人々(高齢者)に生まれ、その後、住民の創意工夫(住民自身の発案)によって集落は「活性化」するようになりました。その具体例の一つが、特産品である「とちもち」を利用した食品の製造。集落のおばあさんたちが集まって「とちもち」を作り、それを使った大福餅を作って、近くの「あやべ温泉」という立ち寄り湯(?)で販売していました。「とちもち」を利用した商品を特産品として売り出すというのは住民の発案で、行政側は「条例」に基づいて、餅つき器などを提供するといった形でその試みをむバックアップしていました。

 「村が元気でないと、よその人も入って来てくれない」

 という1女性の言葉が印象的でした。

 「ふるさとを再発見」し、いかに活性化させるかを住民自らが発案する。そして行政はその試みを財政面で支援し、また広い見地からアドバイスをする。

 道路の整備や「箱物(ハコモノ)」を設ける、すなわち行政側からの「上からの」施策ではなく、地域の歴史や文化に根ざして生きる住民の創意工夫を中心とした「下からの」動きを土台にした「地域活性化」が大事なのだ、ということでしょう。行政はそれを支援するのがその役目。

-(マイナス)とされている(そう世間に評価されている)面を、逆手(さかて)にとる(+に転ずる)試みも必要ではないか。

 人が、ありのままの自分をよしとするところから出発して主体的になった時、そしてありのままの自分を認められ主体的に生きるのを大切にされた時、いかに大きな力を発するか、ということは、日常的にも目にするところです。

 「地域活性化」に向けてのポイントは、実は、子育てや教育にもつながる大事なものを含んでいるのだな、という思いを強くしました。

 この番組では、ある東北地方の学校で、災害時に地元の高校生たちが地域の高齢者を救助する体制を作っている試みが紹介されたことがありますが、あの試みも印象深いものでした。高校生たちがグループを組んで、日頃、地域の高齢者との交流を継続し、救助してから避難場所へ運ぶ道具も自ら考えて製作していました。行政にたよるばかりでなく、地域の学校や高校生たちとの連携を、そういう形で日常的に深めていく。それが緊急時に大きな力となって生きてくるのだと思いました。

 高校生たちも、そのような活動を通して、高齢者の抱える問題に目を開き、また地域に生きる者としての責任感というものを自覚していくに違いないし、高齢者の方にとっても、孫のような高校生との日常的な(週1回でも月1回でも)交流や会話は、生きる元気を与えてくれるものであるに違いない。

 ボランティアや道徳の教育といったことが文科省や教育再生会議あたりから発言されたりしますが、私には、あの高校のああいった試みこそ貴重なものに思えるのです。

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