鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008年元旦 初日の出 

2008-01-13 05:35:16 | Weblog
 頂上付近に着いた時には、空は薄い藍色になっていました。水平線上や背後の山並みの向こうに雲があるものの、それ以外は一面、雲のないまったくの「初日の出」日和(びより)。

 デジカメを腰のポーチから取り出し、ワクワクしながら、太陽が出てくるであろう方向を眺め続けました。

 下から、「大丈夫かあ?」と声を掛ける男性の声と、それに応える女性の声が聞こえてくる。親子のようで、正月元旦から親子連れで山に登るなんて大したもんだ、と思いつつ東南方向を眺めていると、やがて下の広場に姿を見せたのは、親子ではなく、若いカップルでした。

 眺望は、空気が澄み切っているために抜群。

 横浜の高層ビル群はもちろんのこと、東京都心部もくっきりと見える。さらにその向こうの筑波山。その左手の秩父連峰。東京湾と相模湾。その向こうの房総半島とその先端。相模川の河口部。その右手の高麗山。その右手の海上やや上に伊豆半島。背後には雪をかぶった甲斐の山々(おそらく甲斐駒ケ岳辺り)。もちろん右手には大山や、丹沢山・蛭ヶ岳(ひるがたけ)・袖平山・黍殻山(きびがらやま)などの丹沢山系。その手前に三峰山。眼下には、宮ヶ瀬湖がまだ日が当たらず黒い湖面を見せています。

 この辺りは自宅から近いので、今まで5、6回は登っているのですが、こんなに視界のすみずみまでくっきりと見えるのは、今回が初めて。

 登ってきた若いカップルが、にこやかに「新年明けましておめでとうございます」と声を掛けてくれました。

 東京から深夜のR246を走り、下の登山口で車を停めたとのこと。暗がりの中を2人で登ってきたことになる。

 「いつも、山で初日の出を見ることにしてるの?」

 と聞くと、

 「初めてです」

 とのこと。

 2人とも、礼儀正しくういういしいカップルで、好青年でした。

 「1人占めかと思ったけど、これじゃ3人占めだね」と思わず冗談を言う私でした。

 房総半島の上の雲の間から、朱色がかった黄金色のまん丸の太陽が閃光を放ちながら顔を出してきたのは6:46。

 デジカメで、その後15分ばかり、壮大で厳粛な光景を撮り続けました。

 カップルの写真も撮ってあげました。

 太陽が上がるにつれて、ビルの建物が朝日に反射して白く輝き始め、また山々の西側斜面も明るく輝き始めました。日陰になっている眼下の宮ヶ瀬湖畔や愛川方面の町はまだ薄暗い。そのコントラストが鮮やかでした。

 カップルは、「初日の出」の感動を、携帯で田舎の誰かに伝えていました。

 2人に、

 「じゃあ、よいお年を」

 と、声を掛けて下山を開始したのが7:13。

 登山口には7:57に到着しました。

 さて、来年はどこで「初日の出」を拝もうか。

 1年かけて、近場の「ビューポイント」を探してみようと思います。

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