鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

村山古道について その1

2008-08-09 05:10:45 | Weblog
 村山口登山道の探索を、『富士山・村山古道を歩く』の著者である畠堀操八さんが志したのは2003年の1月。雪遊びのため吉田口五合目の佐藤小屋に登った時、登山家の篠原豊さんと知り合い、話しているうちに村山口登山道の藪漕(やぶこ)ぎを一緒にやりましょう、ということになったらしい。

 畠堀さんと篠原さんは、その年の7月に村山浅間神社を出発したものの、「見事に撃退され」、村山の人たちの協力を仰ぐことに。名乗りを上げてくれたのが、鯛津勝良さんと松浦伸夫さん。

 その年の11月から、その4人で道探しが始まりました。

 登山道と錯綜する林道・作業道の区別、キイチゴなどの棘(とげ)との戦い、密生するスズタケと行く手を阻む倒木、折り重なる風損木との遭遇など、道探しの試みは困難を極め、なんと、その4人による作業は、2年間述べ7回に渡ったという。

 私がこの本を、「文字通りの労作」であるとする所以です。いろいろな、多数の文献も参考にされていますが、基本は、「足」で書いた本であるということ。現場で、現地の人と協力し、道探しの困難と格闘しながら書いた本であるということです。

 前にも書きましたが、この本を読まなければ、一人で村山口登山道に入り込もうという勇気は生まれなかったに違いない。

 しかし実際は、本を読んでいても、村山口登山道を歩いていくことは容易ではありませんでした。道を探し、歩いていくのが精一杯で、途中で本を取り出して確認していく余裕がない。やはり大方は自分の、今までの山登りの勘を働かせながら登っていきましたが、その「勘」というものが、つくづくあてにならないものだということを痛切に感じた、今回の取材旅行でもあったのです。

 なぜ道が正確に辿れなかったかというと、それは私の準備不足もありますが、いくつかその理由を挙げることができます。

 一つは、かつてとは異なって、登山道周辺は植林帯(杉)になっているということ。この植林を切り出し、搬出するための林道やかつての「木馬道」が、登山道をいたるところで分断し、またいたるところで登山道と錯綜しているからです。案内標示があればともかくも、それがないところでは、分岐する道のどちらへ進んでいいかがわからない。結局、勘に頼り、道に迷う(登山道から離れる)ことになります。

 二つ目は、私有地・民有地になっているところが多いということ。これは植林ということとも関係があるでしょう。「財産林」になっているのです。また天照教という宗教団体の私有地になっているところもある。

 私が道に迷ったところは、その天照教の敷地付近。おそらく村山古道は、その敷地内を走っているのです。私有地であるから勝手に案内標示を立てることは許されないし、そもそも立ち入ることは本来許されてはいないのです。

 三つ目は、登山道は、まわりよりも若干下がったところに付けられている(まわりの雑木林より1mほど下がったところに道がある。つまり両側は段差になっている)から、台風などによる集中豪雨があれば、濁流が流れる沢のようになってしまい、場所によっては、その濁流のためにえぐられ、また濁流が運んできた石や岩の溜まり場になるということ。歩いてみると、沢筋ではないかと思わせられる箇所がいくつもありました。ガレ場です。

 四つ目は、やはり風損木が多い、ということ。風損木が行く手を塞ぐのです。ガレ道や風損木のために、利用する人々が少なく、その道には雑草やスズタケが繁茂することになり、藪漕ぎをせざるを得なくなる、というわけ。

 畠堀さんや地元の人々の努力によって、道探しが始まった2003年から較べれば、格段に道は利用しやすくなったものの、まだ一般の人々が気安く利用できるものとは言い難いのが実情です。

 しかし、一部、歩きやすく、雰囲気の良い、趣きのあるところがあります。たとえば、大淵林道から中宮八幡堂に登っていく道筋、また大淵林道と「富士山麓山の村」の緑陰広場を結ぶ道筋です。西臼塚駐車場と大淵林道を利用すれば、手軽に入っていける部分です。

 そこを歩いてみるだけでも、「村山古道」の雰囲気を味わうことが出来ます。

 私も、今までいくつかの山道を歩いて来ましたが、やはり「古道」の雰囲気が漂っていて、一味、他とは違います。何せ、平安末期、1000年も前に開かれた「富士山最古の登山道」。つい100年ほど前までは、利用されてきた登山道。約900年もの歴史を持つ「信仰の道」であるから、その歴史からにじみ出て来たものがあるのです。

 この道を富士の頂きに向けて歩む人々(多くは「道者」〔どうじゃ〕たち)は、どういう思いを懐きながら、ここを通ったのか。実にさまざまな思い・動機を持った人々が、数え切れないほどに通った道が、この「村山古道」なのです。

 この歴史と伝統のある「歴史遺産」とも言える道が、いたるところで林道(場合によっては国道)や私有地によって分断されているのは、痛ましいことではあるけれど、仕方のないことでしょう。

 しかし、もう少し、保全・保護を加えていく方法はあるのではないでしょうか。

 歴史を感じながら、誰もがゆっくりと気安く歩める、親しみやすい道。

 そういう道になったなら、という思いを強くいだきました。


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