鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-伊良湖岬から神島まで-その8

2015-04-10 06:11:02 | Weblog

 伊良湖のフェリー乗り場を出航し、伊良湖岬の先端を左旋回したフェリーは、沖合いへと浮かぶ神島方向へとまっすぐに進んで行きました。

 近づいて行く船上から見える神島は、左半分が三角錐の山をなしており、右半分が段丘のような丘となっており、その三角錐の山が右手の海に落ち込んで行くところに人家が集中しているのが見てとれます。

 崋山が描いた神島全景も、伊良湖浜からほぼまっすぐに神島へと向かい、それに接近したところの姿を描いています。

 崋山らの乗った船は、「島の南辺」に近付き、そこで船乗りたちは崋山を背負って磯辺から上陸させています。

 ということは、おそらく崋山たちの乗った船は、島の南側を回って島の南側の磯辺へ近づいたと考えられるから、いきなり島の北側にある集落へと至ったのではないことになります。

 私は、神島沖を初めてフェリーで通過した時、この島の北側にある集落の浜辺に崋山たちが上陸したものと思い込んでいましたが、よく日記を読んでみるとそうではないことがわかりました。

 フェリーから見える神島の左半分の三角錐のような山(神島で一番高い山)を灯明(とうめ)山と言いますが、現在その中腹の伊良湖水道が見渡せるところに神島灯台があります。

 その灯台の下の切り立った崖の沖合を回って、島の南側の磯辺へと崋山らの乗った船は近付き、そこで船乗りたちは崋山らを船から下ろしたことになります。

 フェリーは神島の北側、集落をその中央に見て、まもなく神島から離れていきました。

 フェリーの船中客席に戻ると、右手の窓の方がうっすらと赤くなっています。

 そこで右端の客へと移動すると、窓から小島の間、伊勢湾のはるか向こうの陸地に沈もうとする夕陽が見えました。

 時刻は18:07。

 しばらくしてフェリーは鳥羽港に入港。

 車に乗ってフェリーを出て、鳥羽の近くで一泊することにしました。

 神島へと鳥羽から出る船の時刻を調べてみると、佐田浜(鳥羽マリンターミナル)から7:40に出る便(始発)があり、「和具」経由で「神島」へは8:20に到着することになっています。

 ということで、翌朝の7:40の便に乗って神島へと渡ることに決めました。

 

 続く

 

〇参考文献

・『渡辺崋山集 第2巻』(日本図書センター)



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