鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-伊良湖岬から神島まで-その7

2015-04-07 06:03:56 | Weblog

 畠神社を出て車を停めてあるところに戻り、国道259号を「道の駅 伊良湖クリスタルポルト」へと向かいました。

 伊良湖から「神島」行きの神島観光汽船が出ていることをインターネットで知り、翌朝に観光汽船で神島に渡ろうと思って朝一番の連絡船の時刻を確認しにいったところ、「お知らせ 神島行きはエンジン修理のため3月下旬頃まで(未定)運休させていただきますのでご了承下さい」との貼り紙が掲示してありました。

 窓口の方に、「3月下旬というと今ですが、明日あたりには運航するんでしょうか」とお聞きすると、「それはわかりません」とのこと。いつ運航するかははっきりとはわからないということであるらしい。

 とすると、最初考えていたように、遠回りで料金も高くつくけれども伊勢湾フェリーで鳥羽まで行って、鳥羽から神島行きの連絡船に乗るしかないと決めました。

 「臨機応変」という言葉が、脳裏に浮かびました。

 伊良湖にフェリーで戻ってくるのも経費がかかるので、佐久島へは鳥羽から名古屋経由で行くこともその時に決めてしまいました。

 鳥羽へと渡るフェリーの最終は17:40。

 その時刻を待って、17:30頃に鳥羽行き伊勢湾フェリーに乗り込みました。

 この伊勢湾フェリーに乗るのは3回目。

 関東地方から伊勢志摩方面へ行く場合は、渥美半島を伊良湖方面へと走り、伊良湖から伊勢湾フェリーに乗るのが便利だと思っています。

 予定外に鳥羽へと渡ることになり、第一日目の夜は鳥羽周辺で泊まることにしました。

 フェリーの後ろ甲板に出て、伊良湖岬を眺めると、右端に「古山」が見え、その左手に「宮山」がありました。

 そして半島右端の「古山」のほんの右手奥に、軍艦のように伊良湖水道に浮かぶ神島の島影と、遠く鳥羽方面の陸地が見えました。

 ということは、伊勢湾フェリーは「古山」沖を大きく左へとカーブして、神島のそばを通過して鳥羽へと向かうということになります。

 伊良湖の浜から小さな帆船に乗り込んだ崋山一行は、「古山ノハナ」の荒磯のやや沖合を左手へとカーブしていった時に、前方にいきなり神島が現れたことになります。

 現在、「道の駅」やフェリー乗り場があるところは、かつては何もなく、また海に突き出した突堤(防潮堤)もかつてはあったはずはなく、「宮山」下の伊良湖浜から海へと乗り出した帆船は、「古山」の磯際(「古山ノハナ」)を航行して、左旋回して神島へと向かったのです。

 その情景を描いた崋山のスケッチが「小山ノはな」。

 この絵を見ても、波は相当に強かったことがわかります。

 あとで「神島渡海」というスケッチも出てきて、これは、「小山ノはな」に描かれた荒波に浮かぶ帆船を、ほんの間近で描いたような絵。

 高波が次々と押し寄せる中を進んでいく帆船と、その船上の船乗りや崋山一行の様子がよくわかる臨場感あふれるスケッチです。

 しかし、今日は海はきわめて静かであり、しかも船は大型高速フェリー。

 まもなくゆっくりと左旋回した伊勢湾フェリーは、まっすぐに神島方向へと静かな海の上を進んで行きました。

 

 続く

 

〇参考文献

・『渡辺崋山集 第2巻』(日本図書センター)

・インターネット  「陸軍 伊良湖試験場」関係の検索記事



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