私が取材旅行でたまたま立ち寄った津波被災地や利用したルートで、本書において被災状況が触れられているところを列挙してみたい。◆「湊地区では、石巻市立湊中学校をはじめ避難所の大半は、1階部分が浸水し、床や階段が津波で運ばれてきたヘドロや粉塵で汚れ、また上水道が被災したため水道から水が出ず、手さえ満足に洗えない状態だった。」私は湊小学校の前を通りかかり、車を停めて敷地内を歩いてみましたが、湊中学校と同様な状態であったのでしょう。◆「石巻医療圏内でも避難所の衛生状況がとくに劣悪で、医療ニーズが高かったエリア6(鹿妻・渡波地区)とエリア7(旧北上川東地区)に4ヵ所の拠点救護所を設けた」湊地区や渡波地区などは、石巻医療圏内でも特に避難所の衛生状況が劣悪であった地域であったのです。◆「大量のハエに悩まされていた湊小学校や渡波小学校などの避難所で、県薬剤師会による害虫駆除作戦を展開してくれた。」私が湊地区の湊小学校に立ち寄ったのは震災後1年半以上の後であったから、瓦礫も撤去され衛生状況も回復しているようでしたが、震災後数ヵ月は厳しい衛生状態であったことがわかります。◆「震災直後、全国から集まった救護チームの悩みはガソリン不足だつた。三陸自動車道は緊急車両しか通行できず、被災地への燃料供給が極端に少なくなっていたためだ。」私は仙台から東松島・石巻方面へ向かう際に三陸自動車道を利用しましたが、震災直後は緊急車両しか通行できなくなっていたことが、この記述からわかります。◆「市中心部から東南に位置する旧北上川以東の湊、鹿妻、渡波地区や、中心部から西南に位置し、大街道(国道398号線)より南の地域は、復旧から取り残されていた。」大街道以南に入る「門脇小学校」の津波被災直後の写真が掲載されていますが(P191)、広い校庭は津波によって運ばれてきた瓦礫で覆われています。当然のことながら私が見た情景とはまるで異なります。◆「(イオンによる無料医療支援バスは)市立万石浦中学校、市立渡波小学校、松並ヤンマー、市立湊小学校の4定点救護所を含む…ルートを設定した。」私が車で走った道筋は、そのルートの一部であったのです。 . . . 本文を読む