鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.冬の取材旅行「東松島~石巻~南三陸町」 その14

2013-02-11 07:16:26 | Weblog
町田市立国際版画美術館の企画展「北斎と広重 きそいあう江戸の風景」で見たように、北斎も広重も、実際に行ったことがない日本各地の名所風景を多数描いています。つまり種本を利用して、各地の名所風景を描いているわけですが、広重の場合は種本としてもっとも使用頻度の高かったのは、淵上旭江(ふちがみきょっこう)の『山水奇観』であると大久保さんは指摘しています。淵上旭江は備前国児島郡の富農の家に生まれたが、幼少より絵画を好み、若い時に家を出て諸国の奇観を23年にもわたって写生して歩き、その旅の成果を上梓したものが『山水奇観』でした。彼は山陰道・山陽道・南海道・西海道・五畿内・東海道・東山道・北陸道とほぼ全国を歩き、各地の奇観を写し取りました。広重はその旭江の写生図のリアリティに信を置き、早い時期から名所絵の種本として同書を利用したという。しかし広重は、種本に用いた『山水奇観』の図様をそのまま流用するのではなく、景観内の諸モティーフの位置関係を壊すことなく、たくみに視点の移動を行い、その新たな視点をもとにして現実ならばそうであろうという地形の配置を合理的に割り出してリアリティを高めており、その高度な図様操作において広重ほどの技量を持つ浮世絵師は他には見られない、と大久保さんは記しています。広重の名所絵の特色を、その豊かな情趣性の面からのみ説くのではなく、当時の最高水準にあった彼の空間構築力の面から改めて見直す必要性がある、という大久保さんの指摘はまさに正鵠を射たものであると私は思いました。 . . . 本文を読む