鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.冬の取材旅行「平泉~足利~佐野」 その2

2013-02-23 06:17:34 | Weblog
石巻医療圏では、ほとんどの医療機関が津波による水没や停電で機能停止に陥り、高次救急医療に対応可能な施設は、2006年5月に湊小学校近くの沿岸部から三陸自動車道路からのアクセスがよい内陸部に移転していた石巻赤十字病院だけであり、石巻医療圏22万人すべての命を石巻赤十字病院が背負うことになりました。もし内陸部に移転していなければ、石巻医療圏の犠牲者数はもっと増えていた可能性がある。しかし意外なことに震災発生当日の3月11日に搬送された急患数はわずか99名でした。ところが翌12日になると一転して救急患者が石巻赤十字病院に殺到し、13日の救急患者数は1251人を数えたという。この日、石巻赤十字病院には63機ものヘリが飛来しました。石巻赤十字病院のマニュアルでは、阪神・淡路大震災の経験から、地震による建物の倒壊で下敷きになったり、押し潰されたりした患者が多数運ばれてくることを想定していましたが、実際に運ばれてきたのは、海水に浸かったまま一昼夜を過ごして体温が極度に低下した人たちや、寒さで肺炎を起こした人たちなど、マニュアルで想定していなかった患者ばかりであって、石井正さんを初めとする石巻赤十字病院の関係者たちは、今回の災害が「津波」であることを実感するに至りました。その後も多数の救急患者が搬送されてくる状態は続き、地震発生から1週間で来院した被災患者数は3938人に達したという。また震災発生直後の12日未明には八戸赤十字病院の救護班が最初の支援部隊として到着。その1時間後には長岡赤十字病院の救護チームが2台の救急車で到着。そして午前5時半には足利赤十字病院の救護チームが到着。震災発生翌日に全国から駆け付けた救護チームは17チームを数えたと石井正さんは記しています。長岡や足利などかなり遠方の地域から、震災発生翌日には救護チームが石巻赤十字病院に到着しているという事実を知り、石巻~足利の遠さを実感したばかりであった私は、正直言って驚くとともに感動しました。 . . . 本文を読む