鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.冬の取材旅行「東松島~石巻~南三陸町」 その10

2013-02-05 05:38:52 | Weblog
「浮世絵風景画」に京都「四条派」の影響があるということを、私は大久保さんの著書を読むまで知りませんでした。「四条派」は、呉春に始まり、京都を中心に大きな支持を得ていた円山応挙の平明な写生画風の上に、蕪村から受け継いだ俳趣味を加味し、洒脱で機知溢れる画風によって、十九世紀の上方画壇で盛行を見せた流派であるという。モティーフの借用、筆致などの技法面の受容、構図原理の吸収など、さまざまな段階の影響があるわけですが、広重の作品にもさまざまな段階での四条派の影響が見られることを大久保さんは指摘する。それは特有の形状をもつ家屋であり、花鳥版画における「抒情的リアリズム」であり、対角線もしくはそれと平行する斜線を軸にした構図であり、特にこの「対角線構図」は、四条派の絵本の中ではほとんど常套手段と化していたものであったという。さらに「対角線構図」にとどまらず、それに付随する「余白」的部分の確保といった画面構成の手法や、大胆な「近像型構図」についても、四条派の影響を強く受けるものでした。つまり「広重風景画における四条派の影響は、天保前半の一時期に限ったものではなく、彼の晩年作の構図や視覚にも深く及ぼされている」ものであることを、大久保さんは指摘する。しかしそのことは広重に限ったことではなく、歌川国芳など時流に敏感な江戸の浮世絵師たちに広く見られるものであったことも、大久保さんは指摘されています。以上のように、上方で隆盛していた「四条派」の画風が幕末江戸の浮世絵風景画に深い影響を及ぼしていたことを、私はこの大久保純一さんの本によって初めて知ったのです。 . . . 本文を読む