「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

春来たる

2008-03-23 18:09:15 | 日記
春来たる。
昨日、全国一早いソメイヨシノの開花宣言をした静岡。
今日も暖かだ。

夕方の犬の散歩を終えて1時間ほどの収穫(もちろんですが自分の山のです)。
まだ土の中から頭を出さないものを見つけるにはちょっとした変化を見逃さず鍬を入れるのだが、そのちょっとした変化の中の微妙な違いに慣れれば「間違い」はなくなる。これも普段の地表の観察あっての変化の違いの気づきである。実際地表の写真を撮ってもどれがそれか現場と違ってわからないものだ。しかも単に二次元と三次元の違いというだけではない。

このことは政治・経済含め多くのことに共通する事実である。
変化に気づき、それを重大と受け取るか、たわいもないものと流すか、これは普段の目の在り方だけでなく、情報源の描写の優劣にも依拠する。
実際見るのと写真で見るのとが大きく違うように、現場に在る者こそがそれにいち早く気づくことができる。
よって、この現場の優劣がこれに依拠した判断の優劣につながる。
これが現場主義のエッセンスである。

いわゆる単にホウレンソウを徹底すれば同じと考えがちだが、写真のように雑多な情報から何かを判断するのは現場から遠くなるにつれ困難を極める。そのどこがなぜ注目されなければならないのかを知ることができないからだ。

なぜ財務官僚が政治家をコントロールできるのか。
彼らは情報の意味とその使い方にたけている。
情報を受け取る側を生かすも殺すも情報提供の側にあることを熟知している。
県のように情報を偽装しなくとも情報の出し方や順序や散らし方によって判断者を誘導することも可能だということも知っている。
彼を知り己を知らば百戦するもあやうからずというが、いかに強敵かを知った上で相対することができなければ、政治の敗北は今後も続く。