「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

未成熟な民主主義

2007-06-24 00:17:56 | 日記
多数決イコール民主主義イコール正義という短絡的論理がまかり通っている。
良識の府といわれた参議院でさえ十分な討議もなしに多数決による採決を強行を繰り返すばかりで、多数を占めればどのような法律でも通せるという数の権力が理性や論理や良識といった価値観を凌駕している。
何ゆえ多数決が正当化されるのか。
何ゆえ民主主義が正当化されるのか。
原点が忘れ去られている。
日本国憲法を始め、先進国の近代憲法はいずれも立憲主義に立脚している。
立憲主義は、個人の尊厳のために国家権力を制限することを目的とする原理だ。
それゆえ、治者と被治者との自同性・同一性を求める民主主義の原理は少数意見の尊重を求める自由主義の原理と止揚され自由主義的民主主義でなければ正当性を有しない。
多数決の原理も、自由な討議を十分尽すという審議の原理が前提となってこそ立憲主義憲法の下での正当性を有するのであって、単純な多数決には何らの正当性の根拠もない。さらに、国会における単純な多数決は、討議の過程の公開を通じて国民の自律的政治参加を担保する会議公開の趣獅ノも反する。
にもかかわらず、当然の権利行使であるかのように強行採決が繰り返される様は、金が力だとばかりに強引な企業買収を企図したライブドアを思い出させる。
数の力、金の力、権力の力、もはや誰もこの横暴に抗うことはできないのか。
幼少のころ教わったモラル・価値観は無力なのか。
現実の社会は学校の授業や教科書よりも教育の手本となる。
古い価値観にとらわれていては負け組になると学んだ親たちは学校への反逆をはじめている。
道徳教育をと言ったところで手本となる現実社会がこのありさまでは何をかいわんやだ。
未熟で不誠実な政治家・行政、道徳なき経営者、自立できない裁判所、無関心な多くの国民、・・・
我々は今どこに正義の姿を見たらよいのだろう。