「デューン/砂の惑星」が4巻とそれなりの分量だったこともあり、またまた箸休め的に手に取りました。
私くらいの年代(1970年生まれ)のSF好きにはありがちなパターンですが、小学-中学くらいで眉村卓のジュブナイルSFをよく読みました。
当時角川文庫から出ていたものはぜんぶ持っていたんじゃないかと思います。
もともと持っていたものはこちら。

眉村卓のジュブナイル作品の中でも、当時この作品が一番好きで何度となく読んだのでボロボロです。
奥付見ると昭和52年第6版、7歳では買っていないので...多分古本屋で買ったんだと思います。
(小学校高学年くらいから古本屋通いが趣味だった...)
他先日ブックオフ108円で売っていたのをみかけ、表紙に魅かれてついつい買ったのが

こちら。
薬師丸ひろ子、最近すっかり「お母さん」んキャラですが懐かしいですね…。
(この映画も見ていないんですが)
「時をかける少女」同様、本作も映画化されて有名になった作品ですね。
ちょっと調べたら、本作も1981年公開、大林宣彦監督の薬師丸ひろ子主演版とは別に2012年にアニメ映画が製作されているようです。
どちらも機会があれば見てみたいものです。
(頭の中を「守ってあげたい」が流れる...)
またこの角川文庫版「ねらわれた学園」は豊田有恒氏による解説が付されていますがこれについて瀬名英明氏が日本SF作家クラブとの決別する辺りで話をしていて変に有名になっていたりします。(ちなみに大した内容ではない…と思う)
作品自体は1973年発刊です。
内容(表紙折り返し記載)
もし、人や物を自由に動かすことができたら―――誰しもが夢みる超能力。しかしそれが普通の人間に与えられていないことがどんなに幸福なことか意外に知られていない・・・・・・。
ある日、おとなしかったはずの少女が突然、生徒会の会長選挙に立候補、鮮やかに当選してしまった。だが会長になった彼女は、魅惑の微笑と恐怖の超能力で学校を支配しはじめた。美しい顔に隠された彼女の真の正体は?
彼女の持つ謎の超能力とは?
平和な学園に訪れた戦慄の日々を描くスリラーの世界! 他に複製人間の恐怖を描いた「0から来た敵」を併録。
「ねらわれた学園」は他の眉村卓のジュブナイル作品よりも若干厚めのイメージがあったのでなんとなくそれなりに「長い」作品のイメージがあったのですが、もう1編入っていたんですね。
まぁジュブナイルですので2時間くらいで読んでしまいました。
それぞれ感想など。
「ねらわれた学園」
悲観的な未来から来た未来人が超能力を使ったりして世の中を改造しようとして、それに中学生が立ち向かうという構図。
この手の話眉村氏のジュブナイル作品に多いパターンですね。(「なぞの転校生」とかあと「天才はつくられる」もか?)
冒頭大阪の中学校なのに関西弁でないのが気になったりしました。(笑)
とにかく登場人物が全員真面目に「正義」を語り、「社会」の問題をテーマにしているのが「社会派」眉村卓風でしょうか。
今(2014年)の日本と異なり1970年代の日本はまだまだ第二次世界大戦の反省的なものも生々しく感じられる時代だったかと思うので「独裁者」的な存在に従う社会への抵抗がストレートに正義として力強く語られています。
現代では当時よりも「正義」が多様化していることもあり、もうちょっと複線的な語られ方になってしまうような気もしますね。
若干右傾化している現代日本では未来人の主張も一定の「正しさ」があるという評価が出てくるかもしれません。
ともあれ本作「正義とは」というのを真っ向から論じています。
話は変わりますが、本作のヒロイン楠本和美の先読み力と軍師力というか母性というか、とにかく只者ではない。
薬師丸ひろ子、キャラがピッタリ合うかもしれない。(笑)
(映画では楠本和美でなく役名三田村由香)
楠本和美の正体は最後まで何も語られませんが、その辺の不思議感が残るのもこの作品の魅力ですね。
「0から来た敵」
友人の家に遊びに行って、気を失ってしまい家に帰ったら自分がいて….。
というお話。
「家に帰ったら自分の存在が親にも否定され帰るところがない。」というのは子供に取っては根源的恐怖かもしれませんね。
ということでジュブナイルSFにはありがちな展開ですが、この手の話で当時「怖さ」を感じた記憶を思い出しました。
今なら表現的に問題あるかと思うのですが、捕えられた人たちが「ばかにされてしまう」というのもなんだか怖い表現ですね。
「治るんじゃないか?」ということで終わっていますが、ヒロイン的な主人公のいとこも「ばか」にされてしまっていますし結構思い切っています。
とにかく2編とも懐かしかったです。
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私くらいの年代(1970年生まれ)のSF好きにはありがちなパターンですが、小学-中学くらいで眉村卓のジュブナイルSFをよく読みました。
当時角川文庫から出ていたものはぜんぶ持っていたんじゃないかと思います。
もともと持っていたものはこちら。

眉村卓のジュブナイル作品の中でも、当時この作品が一番好きで何度となく読んだのでボロボロです。
奥付見ると昭和52年第6版、7歳では買っていないので...多分古本屋で買ったんだと思います。
(小学校高学年くらいから古本屋通いが趣味だった...)
他先日ブックオフ108円で売っていたのをみかけ、表紙に魅かれてついつい買ったのが

こちら。
薬師丸ひろ子、最近すっかり「お母さん」んキャラですが懐かしいですね…。
(この映画も見ていないんですが)
「時をかける少女」同様、本作も映画化されて有名になった作品ですね。
ちょっと調べたら、本作も1981年公開、大林宣彦監督の薬師丸ひろ子主演版とは別に2012年にアニメ映画が製作されているようです。
どちらも機会があれば見てみたいものです。
(頭の中を「守ってあげたい」が流れる...)
またこの角川文庫版「ねらわれた学園」は豊田有恒氏による解説が付されていますがこれについて瀬名英明氏が日本SF作家クラブとの決別する辺りで話をしていて変に有名になっていたりします。(ちなみに大した内容ではない…と思う)
作品自体は1973年発刊です。
内容(表紙折り返し記載)
もし、人や物を自由に動かすことができたら―――誰しもが夢みる超能力。しかしそれが普通の人間に与えられていないことがどんなに幸福なことか意外に知られていない・・・・・・。
ある日、おとなしかったはずの少女が突然、生徒会の会長選挙に立候補、鮮やかに当選してしまった。だが会長になった彼女は、魅惑の微笑と恐怖の超能力で学校を支配しはじめた。美しい顔に隠された彼女の真の正体は?
彼女の持つ謎の超能力とは?
平和な学園に訪れた戦慄の日々を描くスリラーの世界! 他に複製人間の恐怖を描いた「0から来た敵」を併録。
「ねらわれた学園」は他の眉村卓のジュブナイル作品よりも若干厚めのイメージがあったのでなんとなくそれなりに「長い」作品のイメージがあったのですが、もう1編入っていたんですね。
まぁジュブナイルですので2時間くらいで読んでしまいました。
それぞれ感想など。
「ねらわれた学園」
悲観的な未来から来た未来人が超能力を使ったりして世の中を改造しようとして、それに中学生が立ち向かうという構図。
この手の話眉村氏のジュブナイル作品に多いパターンですね。(「なぞの転校生」とかあと「天才はつくられる」もか?)
冒頭大阪の中学校なのに関西弁でないのが気になったりしました。(笑)
とにかく登場人物が全員真面目に「正義」を語り、「社会」の問題をテーマにしているのが「社会派」眉村卓風でしょうか。
今(2014年)の日本と異なり1970年代の日本はまだまだ第二次世界大戦の反省的なものも生々しく感じられる時代だったかと思うので「独裁者」的な存在に従う社会への抵抗がストレートに正義として力強く語られています。
現代では当時よりも「正義」が多様化していることもあり、もうちょっと複線的な語られ方になってしまうような気もしますね。
若干右傾化している現代日本では未来人の主張も一定の「正しさ」があるという評価が出てくるかもしれません。
ともあれ本作「正義とは」というのを真っ向から論じています。
話は変わりますが、本作のヒロイン楠本和美の先読み力と軍師力というか母性というか、とにかく只者ではない。
薬師丸ひろ子、キャラがピッタリ合うかもしれない。(笑)
(映画では楠本和美でなく役名三田村由香)
楠本和美の正体は最後まで何も語られませんが、その辺の不思議感が残るのもこの作品の魅力ですね。
「0から来た敵」
友人の家に遊びに行って、気を失ってしまい家に帰ったら自分がいて….。
というお話。
「家に帰ったら自分の存在が親にも否定され帰るところがない。」というのは子供に取っては根源的恐怖かもしれませんね。
ということでジュブナイルSFにはありがちな展開ですが、この手の話で当時「怖さ」を感じた記憶を思い出しました。
今なら表現的に問題あるかと思うのですが、捕えられた人たちが「ばかにされてしまう」というのもなんだか怖い表現ですね。
「治るんじゃないか?」ということで終わっていますが、ヒロイン的な主人公のいとこも「ばか」にされてしまっていますし結構思い切っています。
とにかく2編とも懐かしかったです。
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