まだSFに戻る気がせず...。
長い間積読していた本書を手に取りました。
本作を最初に買ったのは古本屋で新潮社の純文学シリーズのハードカバー版のもの、確か赤い箱に入っていました…。
大学生のときだから25年位前、でも10年位前に文庫本を古本屋でみつけて購入
家のスペースの関係もありハードカバー版はブックオフに売却しました。
(それでも読んでいなかった…)
「倉橋由美子」の名前を知ったのは大学時代(20年位前)に一般教養の授業で映像制作があり後輩が倉橋由美子訳の「ぼくを探して」の絵をそのまま撮ってナレーションを入れて映像化したのを見て、そのあと後輩と話したら「倉橋由美子も知らないんですかー」とバカにされたときです。
「何をー」と思いそれ以降古本屋で倉橋作品を見つけるたびに買っていたのですが….。
結局今まで本書含み一冊も読んでいませんでした…。
なお本書は1965年発刊の作品です。
内容(裏表紙記載)
交通事故で記憶を喪った未紀が、事故前に綴っていたノート。そこには「パパ」を異性として恋した少女の、妖しく狂おしい陶酔が濃密に描かれていた。ノートを託された未紀の婚約者Kは、内容の真偽を確かめようとするが・・・・・・。「パパ」と未紀、未紀とK、Kとその姉L。禁忌を孕んだ三つの関係の中で、「聖性」と「悪」という、愛の二つの貌が残酷なまでに浮かび上がる。美しく危険な物語。
手持ちの倉橋由美子作品の中でも今回本書を手に取ったのは、松岡正剛の千夜千冊に紹介されていたためでもありました。
松岡氏は「村上春樹や吉本ばななや江国香織に代表され、それがくりかえし踏襲され、換骨奪胎され、稀釈もされている小説群の最初の母型は、倉橋由美子の『聖少女』にあったのではないかと、ぼくはひそかに思っている。」と書いています。
吉本ばなな、江国香織は読んだことはありませんが(読書の幅せまいなぁ)、本作読んでみて「村上春樹の一部の作品は本作が母型になっているのかなぁ?」などという気はしました。
学生運動の描写も入っていて感じ的には「ノルウェイの森」に一番近いような…。
逆に1962年刊のバージェスの「時計じかけのオレンジ」が「K」の若い時の行動の母型になっているようにも感じたりしました。
まぁ何を母型にしていても作品自体がいいか悪いかですね。
で、本作読んでのとりあえずの感想は「名作だ…と思う」です。
ちなみにタイトルは「聖少女」ですがヒロイン未紀は22才ですので今日的には「少女」じゃないですかねぇ(笑)また性的描写もありますが、淡々と描かれているのでエロチックさはあまり感じません。
「ノルウェイの森」のようにエンターテインメント的な余分な部分はなく、当時の学生運動関係の用語やらが「飾り」的に用いられている部分はありますが、それ以外は無駄なく「小説」としての骨組みを組み立てた感じでページ数も少ない作品なわけなのですが...その骨組みが、なんとも複雑で私ごときではとても「パッと」理解できない。
読んでいると時間も空間もゆがみ出し、何が本当で何が嘘だかわからなくなっていきます。
途中から未紀が「嘘をついている」のはなんとなくわかってきて、話として「落ち着くかなー」と思わせますが、そこで著者の分身的な存在のY.Kなる「作家」の女性が出てきて話はどんどん混乱していきます。
(この辺メタフィクション的)
ラストはノルウェイの森的に(私はそう感じた)Kが混乱しながらも未紀と結ばれることで終わる感じですが…。
それは小説内での事実なのか、虚構なのかわからない....。
表面的にはKの青年時代(未紀の少女時代も)が終わり、落ち着くという「時計じかけのオレンジ」完全版のラスト的なのですが果たして.....。
日常性と虚構のあいまいさを描いて「現実とはなんだろう?」という疑いなど感じさせる作品で、とにかく「名作」と感じましたが、私ごときが一読したくらいでは理解しきれませんでした。
機会を見て他の倉橋作品も読んで、再読したいところですが、いつになることやら…。
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長い間積読していた本書を手に取りました。
本作を最初に買ったのは古本屋で新潮社の純文学シリーズのハードカバー版のもの、確か赤い箱に入っていました…。
大学生のときだから25年位前、でも10年位前に文庫本を古本屋でみつけて購入
家のスペースの関係もありハードカバー版はブックオフに売却しました。
(それでも読んでいなかった…)
「倉橋由美子」の名前を知ったのは大学時代(20年位前)に一般教養の授業で映像制作があり後輩が倉橋由美子訳の「ぼくを探して」の絵をそのまま撮ってナレーションを入れて映像化したのを見て、そのあと後輩と話したら「倉橋由美子も知らないんですかー」とバカにされたときです。
「何をー」と思いそれ以降古本屋で倉橋作品を見つけるたびに買っていたのですが….。
結局今まで本書含み一冊も読んでいませんでした…。
なお本書は1965年発刊の作品です。
内容(裏表紙記載)
交通事故で記憶を喪った未紀が、事故前に綴っていたノート。そこには「パパ」を異性として恋した少女の、妖しく狂おしい陶酔が濃密に描かれていた。ノートを託された未紀の婚約者Kは、内容の真偽を確かめようとするが・・・・・・。「パパ」と未紀、未紀とK、Kとその姉L。禁忌を孕んだ三つの関係の中で、「聖性」と「悪」という、愛の二つの貌が残酷なまでに浮かび上がる。美しく危険な物語。
手持ちの倉橋由美子作品の中でも今回本書を手に取ったのは、松岡正剛の千夜千冊に紹介されていたためでもありました。
松岡氏は「村上春樹や吉本ばななや江国香織に代表され、それがくりかえし踏襲され、換骨奪胎され、稀釈もされている小説群の最初の母型は、倉橋由美子の『聖少女』にあったのではないかと、ぼくはひそかに思っている。」と書いています。
吉本ばなな、江国香織は読んだことはありませんが(読書の幅せまいなぁ)、本作読んでみて「村上春樹の一部の作品は本作が母型になっているのかなぁ?」などという気はしました。
学生運動の描写も入っていて感じ的には「ノルウェイの森」に一番近いような…。
逆に1962年刊のバージェスの「時計じかけのオレンジ」が「K」の若い時の行動の母型になっているようにも感じたりしました。
まぁ何を母型にしていても作品自体がいいか悪いかですね。
で、本作読んでのとりあえずの感想は「名作だ…と思う」です。
ちなみにタイトルは「聖少女」ですがヒロイン未紀は22才ですので今日的には「少女」じゃないですかねぇ(笑)また性的描写もありますが、淡々と描かれているのでエロチックさはあまり感じません。
「ノルウェイの森」のようにエンターテインメント的な余分な部分はなく、当時の学生運動関係の用語やらが「飾り」的に用いられている部分はありますが、それ以外は無駄なく「小説」としての骨組みを組み立てた感じでページ数も少ない作品なわけなのですが...その骨組みが、なんとも複雑で私ごときではとても「パッと」理解できない。
読んでいると時間も空間もゆがみ出し、何が本当で何が嘘だかわからなくなっていきます。
途中から未紀が「嘘をついている」のはなんとなくわかってきて、話として「落ち着くかなー」と思わせますが、そこで著者の分身的な存在のY.Kなる「作家」の女性が出てきて話はどんどん混乱していきます。
(この辺メタフィクション的)
ラストはノルウェイの森的に(私はそう感じた)Kが混乱しながらも未紀と結ばれることで終わる感じですが…。
それは小説内での事実なのか、虚構なのかわからない....。
表面的にはKの青年時代(未紀の少女時代も)が終わり、落ち着くという「時計じかけのオレンジ」完全版のラスト的なのですが果たして.....。
日常性と虚構のあいまいさを描いて「現実とはなんだろう?」という疑いなど感じさせる作品で、とにかく「名作」と感じましたが、私ごときが一読したくらいでは理解しきれませんでした。
機会を見て他の倉橋作品も読んで、再読したいところですが、いつになることやら…。
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倉橋由美子は、「聖少女」「パルタイ」「暗い旅」などの初期作品の硬質な手触りも独特なものがありますが、
私は著者の余裕と遊びが感じられる「桂子さんシリーズ」が好きです。
「シュンポシオン」なんか、けっこう楽しく読んだ記憶が。