しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

犬は勘定に入れません 上・下 コニー・ウィリス著 大森望訳 ハヤカワ文庫

2014-07-30 | 海外SF
青い宇宙の冒険」の後ということでそれなりにボリュームのあるものを読もうと思い本作を手に取りました。

タイトルに入りきらなかったので削りましたが題名には上記の後「あるいは消えたヴィクトリア朝花瓶の謎」(原文は”or,How We Found the Bishop’s Bird Stump at Last”)
がついております。

ちなみにタイトルの「犬は勘定に入れません」=”To Say Nothing of the dog”はジェローム・K・ジェロームのユーモア小説「ボートの三人男」の副題という関係。
 
本自体は昨年ブックオフで入手済み。

ウィリス作品は「ドゥームズデイ・ブック」を読んでいて、物語づくりのとても達者な作家なイメージがあり、長くても大丈夫だろうという安心感もありました。

作中の未来世界は「ドゥームズディ・ブック」の3年後2057年のオックスフォードという設定。
前作同様ダンワージー教授が出て来ますが続編というわけではないので独立して楽しめる作品になっています。

1998年発刊、’12年ローカス誌オールタイムベストト77位 ヒューゴー賞・ローカス賞受賞と評価の高い作品。

内容(裏表紙記載)

人類はついに過去への時間旅行を実現した。その技術を利用し、オックスフォード大学は第二次大戦中、空襲で焼失したコヴェントリー大聖堂復元計画に協力している。史学部の大学院生ネッドは、大聖堂にあったはずの“主教の鳥株”を探せと計画の責任者レイディ・シュラプネルに命じられた。だが21世紀と20世紀を何度も往復して疲労困憊、とうとう過労で倒れてしまった!? SFと本格ミステリを絶妙に融合させた話題作

時間旅行の無理がかさなり過労に陥ったネッドは、二週間の絶対安静を命じられるが、レイディ・シュラプネルのいる現代ではゆっくり休めるはずもない。そこで指導教官ダンワージー教授はネッドをのどかな19世紀ヴィクトリア朝へ派遣する。だが、時間旅行ぼけでぼんやりしていたネッドは、自分に時空連続体の存亡を賭けた任務があるとは夢にも思っていなかった・・・・・・ヒューゴー賞・ローカス賞・受賞の時間旅行ユーモア小説

解説でも触れていましたが「ドゥームズデイ・ブック」が悲劇だとすると、本作は「喜劇」という感じ。

前作のイメージで読んでいて、どこかからか「すごいことになってくのかなぁ?」と思っていたのですが…。
途中から「こりゃ最後まで喜劇だな」とわかり正直ちょっと肩すかし感はありましたが、読み出したら止まらなくなるところは前作同様で、最後の方はページをめくるのがもどかしくなるほど先が気になりながら読んでいました。

さすがウィリス、面白い話を書くコツを心得ている作家なんですねぇ。

ただ序盤の主人公ネッドがヴィクトリア朝へ旅立つまでのところは、状況説明がまったくなく「時間酔い(タイムラグ)」状態にあるネッドのふにゃふにゃ一人称で話が進むので慣れない人にはきついかもしれません。

私は「ドゥームズデイ・ブック」を読んでいてウィルス流のなんとももどかしい導入部にある程度慣れていたので「またか」と思っただけですみましたが…。

SF的設定はあるにはありますが、古き良き英国ユーモア小説、ミステリのパロディ、ラブコメ、ドタバタ喜劇のミックスという感じの作品です。
「時空連続体」の説明のところが若干ハードSF風ではありますがまぁメインの仕掛けではない気がします。
英国ミステリのパロディは「犯人」像にもいかんなく発揮されていて、とても笑えました。

ラブコメの方もツンデレ感満載でとても楽しめました。
ヒロインのヴェリティは1930年辺り担当で当時のミステリを読みふけり、当時の本格ミステリおたくという設定。
多少なりとも活字「おたく度」の高いSF読者(男)にはたまらない設定。(笑)

アガサ・クリスティやドイルはミステリに疎い私でも知っていましたが、作中ヴェリティがネッドと自分ををなぞらえて「あなたはピーター卿で、わたしはハリエットね」といった元ネタの作者ドロシー・L・セイヤーズは知りませんでした。
(クリスティと並ぶ英国女流ミステリー作家でウィリスはこのシリーズ大好きらしい)

ちなみにwikipediaでピーター・ウィムジィ卿を調べたらハリエット嬢との関係なかなかそそる感じでした。(笑)
(一回プロポーズして断られている)
こちらも機会があれば是非読んでみたいところです。

というわけで主人公とヒロインは王道的ツンデレ感ありのラブコメ風展開で、もう一組は裏を書いたデレツン…楽しめました。

登場人物全て基本的に善人で(レイディ・シュラプネルは微妙な描き方ですが)「ドゥームズデイ・ブック」で容赦なくバサバサと登場人物を殺した作者と同じ人とは思えないほど人は死にません。
(犬・猫一匹死にません)
犬、猫のかわいさも遺憾なく発揮されています。(笑)

そんなこんなで「テーマ」と呼ぶべきものがあるのか「???」という話なのですが、作中何回も1888年側の人間であるベディック教授の口を借りて語られる、歴史における「個人」の役割と「運命論」的なマクロ論にうまく折り合いをつける、もしくは考えさせるところ辺りがテーマなんでしょうかねぇ。

主人公ネッドは「カオス理論で全部説明できる」と折にふれいっていますが、作中、個人の思いやら行動やらでどんどんゆらぐ時空連続体の挙動を見ていると完全に説明できるものとは思えません。

「運命」は避けられないとしてもとにかく「努力」したり「懸命」に動く「個人」はとても愛らしいしそこには何かしらの意味がある...ような気になります。

そんなこんなで迎えるラストでは、悪役キャラのレイディ・シュラプネルも、「運命」に喧嘩を売っている姿が雄々しく見えてきます。
シュラプネル氏のモットー「神は細部に宿る」もなんとか許せるような気がしてくる(笑)

とにかく序盤を我慢できればとても面白い作品だと思います。
感動やら教訓を真剣に求める作品ではないでしょうが、なにやら前向きな気分になれる良質な「喜劇」です。

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