児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

東京

2010年07月16日 | 徒然
今週は月曜から東京に4日間も続けて居たのだけれど、考えてみれば久しぶりの東京5泊である。各地で大雨が降るので移動がないと交通手段は大丈夫かとか言う心配事が少なくて良いともいえる。
月曜日は大学(芸大は前期はこれで終わりだけれど昭和音大はまだあと3回ある。半期に15回の授業を確保するのは本当に大変。その上試験もやるので・・・)、火曜日は家で仕事をして夜は歌舞伎を10数年ぶり(もっとか・・・)に観、水曜は某声楽家のアウトリーチプログラムの相談、昨日は地域創造で邦楽事業の説明会のあと、今年いくつも学校公演を頼まれてしまった某チェリストにその流れのもって行き方のはなしをする、という4日間。まあ、久しぶりに時間的には余裕のある4日間だった。今日はいわき。今日明日で地元の演奏家によるアウトリーチ研究会というのをたちあげるためのオーディションをする。
アウトリーチというのは、3つの小(広くない会場、多くない人数、長くない時間)が原則だと思うけれど、この一見能率の悪さは演奏する側の育成にも言える。結局実演家を育てるのに一人一人にしか教えられない(大学の実技の授業は全部そうなっているはず)のは、個人個人の個性を大事にするからだけれど、アウトリーチ手法の勉強も結局同じなのである。
最終的には一種のコンサルティングの世界で一緒に考えつつその人の個性を活かしていくという作業なのだ。なかなか理解されないのだけれどね。なんか芸術は大勢の人を一気に巻き込むエンターテインメント性を求める気分が大きいのだけれど、本当はそんなものではないはずだ(少し譲れば、どちらも必要だ)。そのことを納得する心理的な状態こそを求めないといけない気分になる。
3つの小も、「そこにいる聴き手とやりとりをしながら自分の言いたいこと伝えたいことをきちんと納得して貰う作業」と定義できれば比較的簡単に理解できるはずなのだけれど、そんなことが何で必要なんねん?と聞かれれば答えに窮するというのが芸術の面倒なところだ。でも、えーい、わからないならわからなくても良いよ,とは言えないのである。



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