レジデンシープログラムというのは日本でも美術の世界ではずいぶん前から行われている。少なくとも21世紀になる5年以上前からどこかの自治体が中心となりやっていたように思われる。
演劇の場合、レジデンシーとは呼ばなかったけれども、作品づくりには1ヶ月とかの合宿が望ましいと言うこともあり、一つの会館で制作をしてそこをスタートとして各地に持って回るという形をすでにずいぶん行っている。
音楽の場合のはどうか? レジデンスという言葉が使いはじめたのはカザルスホールだと思うが(レジデント・カルテット)これは海外での大学の制度を少し真似たもので、乱暴に言えばホール座付きの謂である。ヨーロッパのオペラ座やアメリカのオーケストラなどが、劇場(ホール)と演奏団体が一体となって活動していることは常識である。日本でも、水戸、紀尾井そのほかホールにレジデントのグループを持つことは少しづつ形を変えつつあるとはいえ継続し、その中で実績も上がっている、と考えることができるだろう。
ただ、最近使われているレジデンシーには違ったニュアンスがあって、ホールではなく社会(地域、都市、コミュニティ)のなかに音楽家が滞在する、という意味合いが強くなっているように思う。
私の周りでも、まずトリトン・アーツ・ネットワークが演奏家のレジデンシープログラムを企画化したし(まあ、言葉をいただいてしまおうという感じもあるが)、ほかでも計画をしている場所がある。これは、コミュニティの中で演奏家が何ができるか?という問いの方向性から考えられているものである。それはもうやってるよとオーケストラの皆さんは言うだろうが、室内楽レベルではなかなか難しいのだ。
一方、アメリカのCMAのプログラムであったルーラル・レジデンシー・プログラムは数年前に衣替えをし、長期滞在を義務化しないでレジデンシー色が薄まってしまった感が否めない。
このあたりは、演奏家という存在の社会的な意味とも関係するし、「旅をする演奏家」という生き方とも密接に関係する事柄だと思うので、まだ、まとまった考えを提出できないのだが、CMAの変更を見ていろいろと考えさせられることである。
演劇の場合、レジデンシーとは呼ばなかったけれども、作品づくりには1ヶ月とかの合宿が望ましいと言うこともあり、一つの会館で制作をしてそこをスタートとして各地に持って回るという形をすでにずいぶん行っている。
音楽の場合のはどうか? レジデンスという言葉が使いはじめたのはカザルスホールだと思うが(レジデント・カルテット)これは海外での大学の制度を少し真似たもので、乱暴に言えばホール座付きの謂である。ヨーロッパのオペラ座やアメリカのオーケストラなどが、劇場(ホール)と演奏団体が一体となって活動していることは常識である。日本でも、水戸、紀尾井そのほかホールにレジデントのグループを持つことは少しづつ形を変えつつあるとはいえ継続し、その中で実績も上がっている、と考えることができるだろう。
ただ、最近使われているレジデンシーには違ったニュアンスがあって、ホールではなく社会(地域、都市、コミュニティ)のなかに音楽家が滞在する、という意味合いが強くなっているように思う。
私の周りでも、まずトリトン・アーツ・ネットワークが演奏家のレジデンシープログラムを企画化したし(まあ、言葉をいただいてしまおうという感じもあるが)、ほかでも計画をしている場所がある。これは、コミュニティの中で演奏家が何ができるか?という問いの方向性から考えられているものである。それはもうやってるよとオーケストラの皆さんは言うだろうが、室内楽レベルではなかなか難しいのだ。
一方、アメリカのCMAのプログラムであったルーラル・レジデンシー・プログラムは数年前に衣替えをし、長期滞在を義務化しないでレジデンシー色が薄まってしまった感が否めない。
このあたりは、演奏家という存在の社会的な意味とも関係するし、「旅をする演奏家」という生き方とも密接に関係する事柄だと思うので、まだ、まとまった考えを提出できないのだが、CMAの変更を見ていろいろと考えさせられることである。