児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

地域創造フェスティヴァル(続き)

2010年08月13日 | 徒然
今年は音活のプレゼンテーションでは、まだ海のものとも山のものともわからなかった音活の活動の精神を作り手法を切り開いてきた本当の仲間と呼べる演奏家たちが、10年以上経ってもきちんとした姿勢を崩していなかったのはうれしいかった。アウトリーチは強い気持ちを持ち続けることが唯一の秘訣だと思うけれどもそのような光景にいくつもだあった(全部ではないけれど)。演奏家の人生と共に歩くという(自分に還ってくるものも多いのだ)経験ができているという意味で、音活やスタッフや地域創造のスタッフは本当に良い思いをしていると思う。この感覚は演奏家と一番近くにいるマネージャーが感じるものとはまた違ったものがあるだろう。カザルスホールでやってきた仕事の仕方と同じような充実感があるのである。
今回一番すごいなあと思ったのは、オケに入って5年になる大森潤子が演奏家としての自分と高めるために(だろう)今年取り組んでいる無伴奏のリサイタル(東京公演は11月4日東京文化会館。お聞き逃しなく!)に向けての練習量と緊張感の成果が明らかにあったこと。すばらしい充実した演奏をした。そして、多くの音活関係者が、音活初期から彼女を見続けてきた歴史を踏まえてそれを聞き,感動していたことである。

ただ、最近、いくつかの地域で地元演奏家のアウトリーチの講座をしているけれど、その中で少数ではあるけれど音活の人たちに負けないくらい強い意欲を持ってやる演奏家が出てきて、音活の演奏家がうかうかしていられないくらいに子どもたちに強いインパクトを与えるのを見て来ているので、そのあたりで満足できないことも少しでてきた。アウトリーチはすでに地域創造の専売でもなく,各地で行われ始めている。その中で「特に」良いことをやれるということがとても大事になっている。そんな危機感がないといけないだろう。