拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

額縁を選ぶのは他人

2007-02-15 19:00:12 | 音楽
時期的にちょっと微妙な話題だが、2006年に発売されたアルバムの中で聴いたのは宇多田ヒカルの『ULTRA BLUE』である。発売直後にもこのアルバムを支持しまくる熱い記事を書いたが、まだまだ書きたい事は沢山ある。ありすぎてまとめきれなかったが今日はまたあのアルバムについて書いてみる。
個人的にダントツで最高傑作だと感じている、今でもよく聴く宇多田の4作目。あのアルバム収録曲はまず単純にメロディが良い。流暢に流れてるように聞こえて実はかなり突拍子もない展開を運ぶメロディ。良く言えば斬新、悪く言えば唐突すぎ。故にちゃんと歌おうとすると、その慌ただしいメロディ展開にかなり戸惑う。宇多田がSMAP×SMAPに出演した際、カラオケでよく宇多田を歌うという香取が「『なんでこの音からこの音に繋がっていくのかわからない!』と歌ってていつも思う」と宇多田の曲の難易度を的確に語っていたのが印象的である。ついでに中居が「音が急に上がったり下がったりする。『ここで上がるか?普通!』ってタイミングで」とコメントしていたが、これも的を得た表現だろう。「traveling」とか「Can you keep a secrete?」とか激しいよね。
「人が作り得るメロディはもう出尽くした」という意見には私もほぼ同意で、実際音楽を聴いてて「この曲どっかで聴いた事あるな。新曲のはずなのに」とか「よくある展開だな。耳タコできそう」とか「このバンド同じような曲ばっかりだ…」と思う事は多々ある。さらにネット上で「○○という曲は△△に酷似してる。盗作!」と具体的に挙げられているものを聞き比べてみると、「全くのオリジナルなメロディを生み出すのにはもう限界があるのだなぁ…」と寂しく思う事もしばしば。でも宇多田の作る曲は軽々と越えるのだ、限界を。誰も聴いたことのない革新的なメロディを作ることのできる数少ないアーティスト。「Keep Tryin'」なんて歌いだしから衝撃である。あんなにフラッフラ揺れながら希望を鳴らす音楽を聴いた事が無かった。
歌詞の世界も過去最高に研ぎ澄まされている。ふざけてるのか真面目なのかわからない言葉使いで描かれる日常風景を通して真理を射抜く歌詞は、宇多田と同世代の「作詞もできるアーティスト」と比べるのも怖れ多いぐらいだ。同世代どころか上の世代にも、「誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ それでも扉の音は鳴らない」とか「幸せとか不幸だとか基本的に間違ったコンセプト」とか「クールなポーズ決めながらずっと戦ってた」とか「冷静な眼差しでこの地上の陰と陽 左右に掻き分けてく」なんて書ける人がいるかどうか。酸いも甘いも味わい尽くした泉谷しげるの曲みたいな世界感を、身近な単語でポップに表現している宇多田。どう軽く見積もっても6馬身ぐらい周りのアーティストの先を行ってる(?)。
アルバム収録曲の「海路」、そしてシングルにもなった「COLORS」には、宇多田のアーティストとしての意思表明みたいなフレーズが出てくる。

「いいじゃないか キャンバスは君のもの」(「COLORS」)
「額縁を選ぶのは他人」(「海路」)

「私は自由に作品を作るので、後は個人で好き勝手に解釈してください」宣言。確かに彼女はインタビューで自分の作品について、核心に触れる事を多くは語らない。やたら作品について説明したがるアーティストが多い中、彼女は本当に語らないのだ(だから宇多田が雑誌に載ってても大体は立ち読みで済ます)。受け手は彼女の作品に好きな額縁を付けて勝手に楽しんだり批評したりすればいいのだ。
「額縁を選ぶのは他人」…これラルクのtetsuにプレゼントしたいフレーズだな。「ヴィジュアル系」呼ばわりされるのはさぞ不快だろうが、勝手に言わせておけばいいじゃん、もう…。

そいえばしょこたんの新曲「ストロベリmelody」、結構売れてるみたいですね。昨日は発売日ということで一日に86回もブログを更新し、必死に新曲をアピールしていたしょこたん。全部見させていただきましたよ、ええ。あの曲普通に良い曲なので買ってみようかなぁ…。10位以内に入るといいねー。

●今日の一曲
「マルコポーロ故郷に帰る」/宮崎吐夢