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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「町田薬師池公園」薬師池の鳥たち!!

2019-06-26 22:08:17 | 公園・庭園

町田市を代表する公園、人気の高い公園といえば「町田薬師池公園」である。当園は「新東京百景」、「東京都指定名勝」、「日本の歴史公園100選」に指定選定されている名園である。園内中央部に太鼓橋がかかる「薬師池」では冬場より数は少なくなったが今、数羽のカルガモかカイツブリを見ることができる。いま終焉を迎えようとしている菖蒲園近くの池では二羽の親鳥が健気に、懸命に巣作りをしたり餌を上げようとしたり雛の子育て中であった。この雛たち間もなく池面を泳ぎ自立していくのだろうか・・・・・??(1906)


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鎌倉二十四地蔵の一つ「導地蔵=極楽寺地蔵」

2019-06-26 09:24:31 | 寺院
鎌倉市極楽寺に鎌倉24地蔵の一つで「極楽寺地蔵」といわれる子育てに霊験あらたかな御地蔵様を祀る堂「導地蔵」はある。創建は文永4年(1267)。極楽寺の僧「忍性」が運慶作の地蔵を安置したのが始まりである。兵火により当初の地蔵は焼失現在の地蔵像は室町時代の作といわれています。江ノ電「極楽寺駅」より極楽寺に向かう跨線橋を渡った右側に一見すると民家風の赤い屋根した「導地蔵」はある。縁側がありそこに座って寛ぐ参拝者もいる。約760年前の正元元年(1259)創建の「極楽寺」は「忍性」が開基、「執権北条重時」が開山。中世には子院49ヶ院を有する鎌倉有数の大寺院でで隆盛を極め、背後の山を含め「導地蔵」あたり一帯は境内で「導地蔵」含まれていた。数年前テレビドラマの舞台となった場所である。(1906)








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成就院の境外仏堂「虚空蔵堂」

2019-06-25 20:32:07 | 寺院
鎌倉市坂ノ下にアジサイで有名な「成就院」の境外仏堂「虚空蔵堂」はある。虚空蔵堂は正式名称を「明鏡山満院星井寺」といい奈良時代の行基僧が彫った「虚空蔵菩薩」を祀られている。かつて行基がこの地で虚空蔵求(聞持法の修行をしていた時、境内にある星の井(井戸• 鎌倉十井の一つ)の中に7日間輝き続けた黒く光り輝く石を行基は虚空菩薩の化身と思い虚空蔵菩薩(地蔵菩薩)を自刻し「星井寺」を創建したと伝わる。極楽寺切通し「成就院」の対向側の小丘にあり道路から参道に白い幟がいくつもたなびいている。石段を上って行くと狭い境内の正面に「お堂」がある。虚空菩薩の虚空は無限の知恵を表し知恵を司る仏様で、開帳される1月・5月・9月は大勢の参拝客で賑う。(1906)










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材木座に浄土宗の関東大本山「天照山光明寺」

2019-06-25 08:55:33 | 寺院
鎌倉市材木座に浄土宗の関東大本山、関東十八檀林の第一位の寺として栄えた「天照山光明寺=蓮華院」はある。寺伝では寛元元年(1243)創建。本尊は阿弥陀如来。開基以降浄土宗が関東以北に広がる礎となり、江戸期には徳川家康が浄土宗の「学問所」として関東の寺院を十八壇林と定め光明寺をその筆頭として大いに栄えた。朝廷との関係も深く「山門」には後花園天皇直筆と伝えられる「天照山」の額が掲げられている。境内には「総門」、そして正面に鎌倉最大の規模といわれる鶴岡八幡宮から移築された壮大な構えの「山門」(弘化4年=1847再建)がある。その奥正面に元禄11年(1698)の建立、入母屋造、銅板棒瓦葺きで間口奥行ともに約25メートルの鎌倉地方では最大級の「本堂」がある。本堂の左横に「開山堂」、その前に「善導大師像」、「記主庭園と大聖閣」、本堂右前に「鐘楼」、本堂右側の回廊前には「三尊五祖の石庭」、「客殿」、「庫裏本坊」、「書院」、「寺務所」がある。「繁栄稲荷社」の奥には延岡藩歴代藩主、その正室など200基以上の石塔が立つ「内藤家墓所」がある。当寺は鎌倉三十三観音18番、鎌倉二十四地蔵22番札所である。当寺は建長寺、円覚寺、遊行寺と並び鎌倉最大規模の大寺寺院で「鎌倉四大寺」の1つに列させられている。その広大な寺域、国宝、重文級の文化財、数々の重厚な伽藍には大寺に相応しい風格が漂う。「記主庭園」には蓮が咲き「かながわの花の名所100選」、「東国花の寺百ヶ寺 鎌倉2番」に選ばれているハスの花の名所で、来月には「観蓮会」も開催される。(1906)
















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朱塗りの社殿と政子石「旗上弁財天社」

2019-06-24 10:18:01 | 神社
鎌倉市雪ノ下、「鶴岡八幡宮」三の鳥居そばの「源氏池」に浮かぶ島に鶴岡八幡宮の境内社として「旗上弁財天社」は鎮座する。創建は承久3年(1221)。源頼朝の旗挙げに際しては家運長久の守護神として弁財天が現れ、霊験があったと伝えられ北条政子が建立。幕政を好まず皇権回復を図る後鳥羽上皇に対し北条政子が当地に御家人たちを集め旗上げ(承久の乱)したことが興りである。主祭神は弁財天。他に多紀理毘売命、市寸嶋比売命、多岐都比売命を祀る。弁財天は仏教の守護神、明治の廃仏毀釈で破壊されたが昭和31年(1956)に再興。現在の社殿は「鶴岡八幡宮」創建800年にあたる昭和55年(1980)に復元された。参道や島に並ぶ数多くの旗は奉納された源氏の二引の白旗。朱塗りの「社殿」、右に社務所、社殿裏手には源頼朝が北条政子の安産を祈ったと言われる「政子石」がある。朱塗りの社殿の周りは源氏池に囲まれまもなく蓮の花が開花し埋め尽くされ一層華やかとなる。当社は鎌倉・江ノ島七福神札所の一つである。(1906)












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