☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!
相模原下溝に昭和29年に築造された相模川系横浜水道局の沈殿処理に使われている「相模原沈殿池」はある。昭和29年(1954)に築造され88万㎡の貯水量で横浜市民が一日に使用する水量の7割にあたる貯水である。池に突き出た着水井は直径10m、高さ6.2m。柵越しに見る光景はまるで海か湖を見ているかのような広さと素晴らしい景色である。この沈殿池は「かながわの探鳥地50選」にも選ばれておりマガモ、コガモ、オナガガモ、コサギ、カルガモ、カワラヒラ、カイツブリ、アオサギなど数十種類の野鳥の休息場となっている。この池に渡来するカモ類は11月から3月まででまだ数は少ない。施設内は立ち入り禁止のため柵越しからの観察、撮影となる。今よりもっと多く渡来する頃、その野鳥を観察、撮影をする愛好家の「バードウオッチング」スポットとなっている。(1912)






相模原市新戸の霊峰「雨降山」を望む緑豊かな地に建長寺の末寺、曹洞宗寺院「本鏡山常福寺」はある。創建は約700年前。本尊は釈迦如来。当寺は春は「桜」、秋は「彼岸花」と「萩」、初冬は「紅葉」と年に2期間にわたって境内は美しく彩られる。境内に入る石段の前には樹齢400年を越える古木「しばの木」が悠久の時を刻んでいる。当寺は禅寺として江戸時代には「寺子屋」を開き、当地の学問の中核をなしていた。「山門」前にある数本の「モミジ」も赤く色づき始め華やかな錦秋の世界を創り始めている。「紅葉」、「枯山水の庭園」、本堂横の「竹林」と静寂な初冬景色の寺域となっている。(1912)







大阪市天王寺区四天王寺に聖徳太子建立(開基)七大寺の一つとされている和宗寺院の総本山「荒陵山四天王寺」は鎮座してい。別称は「金光明四天王大護国寺」である。創建(建立)は推古天皇元年(593)。1400年以上の寺歴を誇る。「日本書紀」(伝)には物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら「四天王像」を彫り戦いに勝利したら、この世の全ての人々を救いたいと誓願され、平和な国づくりの為建立された日本仏法最初の官寺である。本尊は救世観音菩薩。天王寺駅より交通量の多い谷町筋(府道30号線)沿いに進むと右手に鳥居、南大門が視界に入る。当寺の伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」として南から北へ向かって一直線に並ぶ「中門」、「五重塔」、「金堂」、「講堂」を回廊が囲む形式で日本では最も古い建築様式(源流は中国や朝鮮半島に見られ6~7世紀の大陸の様式)の代表である。講堂の奥に「六時堂」、中心柄の右に太子殿、宝物館がある。更にその先に本坊、客殿、五智光院、極楽浄土の庭がある。中之門際には当寺関連の地蔵堂、元三太子堂、大黒天、英霊堂型と並ぶ。当寺は新西国三十三箇所第1番、西国三十三所番外霊場、西国薬師四十九霊場第16番、近畿三十六不動尊霊場第1番、摂津国八十八箇所第25番、摂津国三十三ヶ所第33番、おおさか十三仏霊場第4番、大阪七福神(布袋尊)河内飛鳥古寺霊場第1番、なにわ七幸めぐり、大坂三十三所観音めぐり第20番 - 24番、聖徳太子霊跡第1番、法然上人二十五霊場第6番、西山国師遺跡霊場客番、四国八十八箇所番外霊場と多くの札所となっている。甲子園の3倍11万平方メートルという広大な寺域に建ち並ぶ堂宇、伽藍の威容には唯々息を呑むばかりであった。(1911)
12月に入り寒波が訪れるのでは不安を一掃し穏やかなの気温となった今日、当麻の時宗寺院「当麻山無量光寺」へ撮影とお参りに赴いた。当寺は「時宗」の旧本山であり古くは「当麻道場」で11ケ寺の末寺を擁していた一遍上人ゆかりの寺院である。創建は弘長元年(1261)であり750年超えの寺歴を誇る。本尊は一遍上人。重厚な「外門」より石畳の参道の先に構えられた「山門」を抜けると深い木立の包まれた境内にはまず「本堂」、「経堂」、「東権現」の建造物、「芭蕉の石碑」、「徳本念仏塔」、「歴代廟所」、「御影の池」、「御髪塚」、「笈退の泉」、「金光院の跡」がある。紅葉が最も美しいエリアは一遍上人像前の二つの池と「本堂」裏の池である。また「本堂」横の「一遍上人像」、「鐘楼」の周りも「カエデ」、「モミジ」、「落葉樹」がオリジナルカラーの紅、黄、橙の葉を纏うように幻想的なグラデーション美を描き寺域・境内を紅葉の世界で包み込もうとしている。(1912)







