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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

座間栗原の古刹「栗原山崇福寺」の花々!!

2025-06-02 12:19:31 | 寺院
座間市栗原に臨済宗建長寺末寺の「栗原山崇福禅寺」は鎮座している。戦国時代に村民の太郎衛門(鈴野家の先祖)が創建。本尊は釈迦如来。昭和53年(1978)に「開山450年祭」が盛大に行われている。「山門」右脇にある「お地蔵様」は文久元年1861に建立されたもので土地の人々から「子育て地蔵」として厚く信仰されており、幼児抱いて慈愛深いその姿は子を思う母親の情愛を感じさせる。「山門」を抜けると左手に「鐘楼」、正面に入り母屋づくりの「本堂」、本堂右に「庫裡」がある。境内の植木は手入れが行き届き美しい。今、本堂前には「藤棚」があり今、紫色の房状の花をつけ見頃となっている。山門を入ったすぐ傍に数輪の「ショウブ」が開花していた。また当寺の裏山の歴代僧墓地には無縫塔、キリシタンに関係するマリア地蔵がある。更に1200~1300年前の人々の二基お墓「北横穴墓群」がある。境内ではアジサイ、ホタルブクロ、ムラサキツユクサ、シモツケが。本堂の左には数十個のハス鉢があり、今開花へ向けスタンバイ中である。(2505)
 
 
 
 
 
 
 

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座間栗原小学校発祥の地「法林山専福寺」

2025-06-01 07:20:41 | 寺院
座間市栗原中央に真宗高田派寺院「法林山専福寺」は鎮座している。創建は不詳であるが村人が建立、了山の開基と伝えられる。境内には明治12年(1879)に栗原小学校が設置されてたのでそれ以前である。真宗高田派は三重県津市の専修寺を本山とする浄土真宗の一派である。親鸞の門弟「真仏」、「顕智」が率いる下野国高田の専修寺を中心とする高田門徒の流れを汲む。末寺数は約640寺。本尊は阿弥陀如来。県道44号線、246号線前の立野台信号を左折、坂の右に建てられている「寺号標」を抜けると正面に銅板葺き入り母屋造りの「本堂」、左に「庫裏」がある。境内右手に「如来像」と史跡となっている「栗原小学校跡地」の説明版が建てられている。この間70年間栗原地区の児童はここに学びここを基盤に巣立っていった。学校の開校を祝して「山岡鉄舟」が来村し「栗原学校」の文字を揮亳した。この扁額はいまも保存されている。(2505)
 
 
 
 
 
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旧本山は身延久遠寺、堀之内法縁「法要山浄運寺」

2025-05-26 15:27:45 | 寺院
町田で最も賑やかな中心街、「109」の裏に旧本山は身延久遠寺、堀之内法縁である日蓮宗寺院の「法要山浄運寺」は鎮座している。創立は天正5年(1577)。本尊は曼荼羅釈迦多宝如来像である。境内には正面に入り母屋造りの「本堂」、境内社に「稲荷社」、右手の庭には「鐘楼」と「妙見堂」(加藤清正を合祀)、日蓮上人像がある。東屋の背後に早咲き「河津桜」と樹齢、樹高も高い一本の「しだれ桜」、「本堂」左横には「ソメイヨシノ」、前には「赤椿」が植栽されている。「しだれ桜」が満開となる頃、この桜撮りは年中行事となっている。当寺は原町田七福神の毘沙門天を祀る。境内と墓地には大須賀明(医師)と長岡織部(剣術師範)の墓所や町田市中町1丁目に所在した塚武藤塚(野盗塚)の石碑、原町田村代々の名主武藤氏の墓(典型的名主墓地)列立する。(2505)
 
 
 
 
 
 
 


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崎姫や香沼姫達の菩提寺「栖龍山高長寺」

2025-05-19 07:29:30 | 寺院
小田原市城山に北条氏綱の娘の「崎姫」や北条氏綱公の娘の「香沼姫」達の菩提寺となる曹洞宗寺院「栖龍山高長寺」は鎮座している。明治時代に横浜監獄小田原分署幼年監が設置された際に用地内にあった小田原北条時代(1500年頃)に創建の「高源院」と現在地にあった「長吉寺」が合併し一文字ずつ取り「高長寺」と改称した。小田原駅より線路沿い際に銅板葺き薬医門形式の「山門」が構えられている。この門は西栢山村の旧家井上八衛門の所有であった。山門前には当寺の縁起案内と石柱、右には「地蔵堂」が建っている。「山門」を抜けると長い石畳の参道の先に銅板葺き入母屋造り屋根平入り「本堂」がある。藍鼠色に着彩された軸組に軒桁と細い飛貫の隙間に換気格子を嵌めて精巧な造りは技術の高さが窺える。季節ではないが境内にある「白木蓮」の大木は市の天然記念物となっている。また裏手の墓所には近代浪漫主義文学の先駆者「北村透谷の墓」と文政年間に日本最後の公許による仇討ちを果たした浅田兄弟の兄「鉄蔵の墓」があることで知られている。(2505)
 
 
 
 
 

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京都真宗大谷派「本願寺」の末寺「華英山善照寺」

2025-05-18 16:27:51 | 寺院
小田原市浜町、本源寺、蓮上院の先に江戸時代には京都東六条真宗大谷派本願寺の末寺「華英山善照寺」は鎮座している。寺伝によると平家物語にその活躍が記されている。また能「実盛」の題材になった長井之齋藤別当実盛の次男の長井之齋藤六実正が開基。創建は不詳であるが、親鸞上人が国府津で布教をしていた時の弟子「善照坊光栄」(正中元年=1324没)が古新宿町に草庵を結び「善照庵」と称したのが興りのようである。10世・宗栄(江戸・善福寺の行宗の弟)は浅草に堂宇を建立して「善照寺」と号し江戸へ移住した。浜町の「善照寺」はその子の泰栄に譲ったとある。関東大震災ですべて焼失、昭和6年(1931)再建し現在に至る。本尊は阿弥陀如来。「山門」(寺号標)より入山、真直ぐ続く参道の正面に銅板丸瓦棒葺きで入母屋造り屋根の「本堂」があり龍の立体的な彫刻がされている。本聳え、右に小さな「庫裏」が構えられている。(2505)
 
 
 
 
 



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