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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

開元通宝、朝鮮通宝を寺宝とする「福寿山幸延寺」

2025-06-30 09:15:35 | 寺院
相模原市南区鵜野森に鎌倉妙本寺の末寺、日蓮宗寺院「福寿山幸延寺」は鎮座している。創建は天正2年(1533)。本尊は三宝祖師と鬼子母神。当寺には寺宝として多くの「開元通宝」「朝鮮通宝」など約60種、2万枚の古銭を収蔵する。また平成14年度に相模原市の調査において中国唐の開元通宝(620年)、北宋の皇宋通宝、煕寧、元宝、元豊通宝、明の永宣徳通宝(1433)など11866枚が確認された。この古銭は非公開であり、開基の大谷伊織が天正18年(1590)の小田原城攻略の際にこの旧家の祖先が持参し埋めたものとされる他、地下埋蔵銭は備蓄銭とする説や信仰上の行為であるという説がある。当寺は町田駅周辺のビルが見渡せる鵜野森の高台にあり、「山門」を抜けると境内の正面には入り母屋づくりの「本堂」、右に庫裏がある。境内には数十株の「アジサイ」が植栽され程よく開花している。本堂左に「金色大明神」と「愛敬稲荷」が祀られている。またすぐ隣には鵜野森の鎮守「日枝神社」が鎮座している。(2506)
 
 
 

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町田「薬師池公園」内に鎮座する「野津田薬師堂」

2025-06-21 07:30:28 | 寺院
町田市野津田に新東京百景、日本の歴史公園100選に選定、東京都指定名勝に指定されている「薬師池公園」の西方に「野津田薬師堂」は鎮座している。薬師池から梅林脇の赤い奉納幟が建ち並ぶ急こう配の参道(石段)を上って行くと正面奥にいかにも重厚感溢れる入母屋造りの「薬師堂」(明治16年=1883再建)が建っている。天平年間(729~749)に行基が開基、元亀4年(1576)に僧興満が再興し「福王寺薬師堂」と称した。先に訪れた「華厳院」は別当を務めた。本尊は薬師如来である。脇仏には右に日光菩薩様、左に月光菩薩様、さらに右側と左側に6人ずつの神様、全部で15体の仏像が祀られている。当薬師堂は「武相寅薬師」の札所であり12年に一度開扉が行われ、狩野信矩筆の堂内「天井絵」を見ることができる。参道脇には町田市名木百選に指定されれ「大イチョウ」が天蓋のように寺域を包む。(2506)
 
 
 
 
 
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武蔵観音四十八霊場の「鶏足山養運寺」のアジサイとショウブ!!

2025-06-20 07:26:12 | 寺院
町田市本町田に八王子極楽寺を本山とする浄土宗寺院「鶏足山養運寺」は鎮座している。永禄10年(1567)光蓮社伝譽上人が開創。本尊は阿弥陀如来である。町田駅の北方向、旧鎌倉街道に面した丘陵地にあり、石段を上った高台に重厚な造りの「山門」が構えられ、その先正面に新しい入り母屋造りの「本堂」がある。右に「庫裏」、境内には町田市の名木100選の「ムクロジの木」、傍に「鐘楼」、「六地蔵」がある。本堂左には武蔵観音四十八霊場の五番札所として観音菩薩を祀る「観音堂」がある。今日は特に鐘楼、参道周辺では数株のアジサイとショウブが終焉美を披露中である。(2506)
 
 
 
 
 
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開成に曹洞宗寺院「萬田山西福寺」

2025-06-19 07:21:45 | 寺院
足柄上郡開成町延沢に本山は福井県の「永平寺」、横浜の鶴見の「総持寺」の両大本山とする曹洞宗寺院「萬田山西福寺」は鎮座している。創建は慶長の役が勃発した慶長2年(1597)である。当寺はもとは真鶴にあったが、小田原市早川の「海蔵寺」の末寺、山号を「東向山」と称していた。開山は「了峰印達大和尚」と開基し「西岸清光庵主」である。縁起によると当寺は「永平道元元禅師の遠孫「大樹乗慶大和尚」(永正6年=1509寂)により現町内では最も早く開創された禅刹である。小田原北条氏の奉行衆として活躍し、小田原城板部曲輪を守護した板部岡能登守康雄は延沢村に知行地を与えられ永禄8年(1565)道林慶哲大和尚の時、小字岡田の地に道林庵を修造し併せて田地を寄進した。さらに先祖の菩提を弔うためたびたび財政的な援助と寺領の寄進をし、慶哲大和尚と共に小庵を確たる寺院に発展せしめた」とある。当寺の本尊は「不動明王」と「釈迦牟尼仏」。県道712号線=松田停車場線の開成小学校バス停裏に「酒田神社」と隣り合わせるように当寺の「山門」が構えられている。蘇鉄、ビラン樹が植わる「山門」より入山すると右手に六地蔵、左手に鐘楼、正面に昭和53年新築の「大本堂」がある。右に庫裏(寺務所)がある。(2506)
 
 
 
 
 
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源頼朝に由来する「夏蒐山修廣寺」

2025-06-12 15:46:45 | 寺院
川崎市麻生区片平に末寺6ヶ寺を有し近隣の同派の寺では格が高い曹洞宗寺院「夏蒐山修廣寺」は鎮座している。「夏蒐山」の山号は源頼朝がこの辺りで巻狩(蒐)をしたことに由来する。開創は嘉吉3年(1443)、創建は永享年間(15世紀前半)で現在地に移されたのは永正17年(1520)である。本尊は釈迦牟尼仏、それを守護するお前立として薬師如来が置かれている。大本山は福井県の「永平寺」と横浜鶴見区の「総持寺」、本寺は青梅の「天寧寺」である。柿生より徒歩十数分のなだらかな丘(柿生緑地内一角)の上にあり、静寂さ漂う「山門」を経て石段の上に大きな朱色の「仁王門」(左右に阿形、吽形を祀り、階上には五百羅漢が安置する)より入山すると広い境内の正面に「本堂」、左手にまだ新しさが窺い知れる「位牌堂」がある。仁王門の横に「典座和尚と道元禅師」像がある。本堂の右奥にの小丘に「鐘楼」がある。当寺は明治の学制により初めての公立学校「片平学舎」が開かれたとある。(2506)
 
 
 
 
 
 
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