goo blog サービス終了のお知らせ 

相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

島津公と深縁の浄土宗寺院「松風山晴雲寺」

2025-07-15 07:28:43 | 寺院
平塚市立野、「光圓寺」のはす向かいに浄土宗寺院「松風山晴雲寺」は鎮座している。創建は天正18年(1590)。本眞蓮社實譽晴雲(寛永6年1629年寂)が開山。尊は阿弥陀如来。当寺は昭和20年までは平塚駅前にあったが戦災で全焼に遭った後、戦後の都市計画で現在地に移転した。馬入川で川止めに会った鹿児島の「島津公一行」が当寺に宿泊した縁により島津公の紋章を頂いたとの謂れがある。平塚駅より東海道崇善小前信号を渡った住宅街の一画に構えられた大きな「山門」より入山すると石畳の参道が続き、手入れされた境内の正面に昭和34年(1959)に再建の入母屋づくりの「本堂」、その左手に「庫裏」、本堂右手には「勢至丸様坐像」や「阿弥陀像」、「名号塔」、「百万遍念仏供養塔」が建ち並んでいる。当寺は平塚第二の「蓮寺」と呼ばれていたが、今年は残念ながら蓮鉢がなくなった。当寺の墓地内には平塚八幡宮の青銅大鳥居を寄進した「本誉還真上人の墓」、「番町皿屋敷のお菊の墓」がある。当寺は「相模新西国三十三観音霊場15番札所」で「船越聖観音」を安置している。(2507)
 
 
 
 
 
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平塚宿本陣菩提寺であった「福生山宝善院」

2025-07-14 07:26:34 | 寺院
平塚市平塚に江戸時代300年を通じて平塚宿菩提寺として平塚の中心的存在であった東寺真言宗寺院「福生山能満寺(宝善院)」は鎮座している。創建は建久年間(1190年〜1199年)。本尊は不動明王。徳川家康公が江戸城入府直後の慶長6年、東海道五十三次の宿駅制度制定の際、平塚宿の目印として三河以来の譜代の家来「加藤・成瀬」の両家を平塚宿の本陣家とし、当寺を「本陣菩提寺」、平塚宿の寺院方差配寺と定め、広大な寺領を拝領したことで江戸時代に最も隆盛を極めた。平塚駅より西方へ15分ほどの通りに「なまこ塀」で囲われた寺域の正面に構えられた空海筆山号額の「山門」を抜けると境内正面にコンクリート造りの天井画が美しい「本堂」、その右に「庫裏」がある。当寺の目玉は本堂地下入り口から墓地南通路下を通って歴代住職墓地に至る「四国八十八ヶ所地下霊場」である。その他境内には天王社、稲荷社、天神社の境内社、さらに虚空蔵堂、永代供養墓、万霊塔、ふたたび大使像、ぼた餅地蔵 宮本武蔵ゆかりの瓦、日本最初の「鉄道レール」が保存されている。(2507)
 
 
 
 
 
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平塚に鎌倉光明寺末「報恩山阿弥陀寺」

2025-07-13 07:30:09 | 寺院
平塚市平塚に鎌倉光明寺末、浄土宗寺院「報恩山阿弥陀寺」(来迎院)は鎮座している。創建は弘治元年(1555)。府川出雲守吉種(弘治3年1557年没)が開基、建蓮社起譽雲公(文禄2年1594年寂)が開山、徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には寺領10石の御朱印状を拝受している。親鸞の弟子「了源(河津三郎信之)」が安貞元年(1227)に創建した浄土真宗寺院阿弥陀寺があったものの、空浄の代に東浦賀へ移り当地にあった阿弥陀寺を浄土宗に改宗された。本尊は阿弥陀如来(運慶作)。平塚駅から徒歩15分の所に構えられた「山門」(寺号標)より入山すると正面に鉄筋コンクリート造りの「本堂」、「鐘楼」(享保12年=1727作)がある。境内には「稲荷社」、本堂左下の塔碑群中に「平塚町大震災殉難者霊位供養碑」、開基の「府川出雲守吉種氏墓」、子どもを抱いた「地蔵」がある。(2507)
 
 
 
 





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平塚の蓮寺「要法寺」では「チェストベリー」が紫の花穂を!!

2025-07-12 11:55:49 | 寺院
平塚市平塚に「蓮寺」と呼ばれている日蓮宗寺院「松雲山要法寺」は鎮座している。鎌倉幕府の執権北条泰時の次男「平塚左衛門尉泰知」の平塚の居邸に弘安5年(1282)、池上に向かうため身延山を出発した病身の日蓮聖人が平塚の泰知邸に宿泊された由縁・逸話が残る。旧東海道の宿場町「平塚宿」の住宅街の一角に構えられた重厚な造りの「山門」を抜けると正面に入り母屋づくりの「大本堂」、「書院」がある。当寺境内には古代種の「大賀ハス」「白光蓮」、「誠蓮」、「中国茶碗蓮」、「粉娃蓮」など30種、70鉢の睡蓮鉢が並べられており今、白、ピンク、紅色の蓮花が神秘的な美しさで咲き始め見頃を迎えている。主役の蓮の陰でひっそりと紫の花穂を披露しているのが「チェストべりー」である。和名は「セイヨウニンジンボク」、イタリアニンジンボク とも呼ばれている。クマツヅラ科ハマゴウ属 落葉低木でハーブの一種である。高さ4〜5m程までに生長する丈夫な落葉低木。7~9月にかけてちょうど今頃、青紫色の小さい花を穂状に咲かせ、灰色のビロードのフードのようなものに一部が覆われていて、大きさや形がコショウに似ている黒い果実を付け、枝葉や果実からは爽やかな香りがする可愛らしい花である。(2507)
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時宗「一遍上人」ゆかりの寺「永海山教善寺」

2025-07-10 07:23:59 | 寺院
平塚市平塚に藤澤清淨光寺末、時宗一遍上人ゆかりの寺院「永海山教善寺」(妙音院) は鎮座している。市内唯一の時宗寺院で一遍上人が諸国を巡回時、この寺の近くにお堂を建て住庵としたことが興りである。開山は本寺2世眞教元応元年(1319)。本尊は上人が海の魔性退散の祈願をしたとき花水川畔で得た聖観世音菩薩(眼病平癒の観音様)で信仰篤い。平塚駅から徒歩20分の西方、この一帯は東海道の宿場町であり平塚の中心地であり寺院も多い。薬医門形式の「山門」が構えられ「一遍上人留錫場跡」碑が建てられている。山門前には小さな地蔵堂「日限地蔵」(安政6年=1869)がある。境内は木々に覆われ正面にコンクリート造、宝形造りの「本堂」と庫裏がある。また本堂前には蓮鉢(大賀ハス)が置かれ今年は開花していた。当寺は相模新西国第13番札所である。(2507)
 
 
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする