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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

麻溝に浄土真宗聞法道場の「霊苔山金相寺」

2025-08-07 07:11:20 | 寺院
相模原市南区下溝に東本願寺系単立の浄土真宗寺院「霊苔山金相寺」は鎮座している。本尊は阿弥陀如来。宗祖は親鸞聖人。親鸞聖人のお念仏「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法する聞法道場である。10年前、750御遠忌の年でここ金相寺でも供養が行われた。当寺の近くには「北里病院」と「北里大学」、「県立相模原公園」、すぐ隣には「相模原沈殿池」がある。その一画に構えられた「寺号標」より入山すると境内正面奥にコンクリート造り、宝形屋根の「本堂」、右に「庫裏」がある。本堂前の手入れの行き届いた境内には樹木も植栽され「親鸞像」の他、置石が配されている。今境内、境外にはサルスベリとひまわりが咲いている。(2507)
 
 
 
 
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江戸期には寺子屋を開いていた「秀珍山宝光禅寺」

2025-08-05 10:26:37 | 寺院
相模原市中央区上溝元町に江戸時代には寺子屋を開くなど教育の場であった曹洞宗の寺院「秀珍山宝光禅寺」は鎮座している。福井県の「永平寺」、神奈川県の「總持寺」を本山とする。寺伝によると天文年間(1532~1555)、当時地領での大石源左衛門定久が出家(真月斉道俊)し娘の「向西尼」と共に上溝本郷に「向西庵」を結び修行、その後慶長年間に名主「佐藤対馬」が現在地に移し「宝光寺」とした。本尊は「釋迦牟尼佛」である。「山門」(寺号標)より入山すると境内正面に入り母屋造りの「大本堂」、木が茂り静寂な寺域、手入れの行き届いた境内右手には「客殿」「鐘楼」、左手には聖徳太子碑、平和聖観音像、地蔵菩薩、上溝地区の片野湘雲、井上篤斉碑がある。(2507)
 
 
 
 
 

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大磯に鎮座する高麗寺末の「鶏足山慶覚院」

2025-07-28 07:27:15 | 寺院
大磯町高麗に「高麗寺」の末寺=子院で「高来神社」に隣接するように天台宗寺院「鶏足山慶覚院」(高麗寺)は鎮座している。創建は慶長18年(1613)。高麗という地名から古代には朝鮮からの渡来系の人々の住む集落である。江戸時代までは高麗山山頂とその麓に「高麗権現社」と別当寺の「高麗寺」が中腹の登山路脇にあった。元々「高麗寺」は行基が養老元年(717)に創建し、千手観音を本地仏と定め、神仏習合の聖地であったが、明治の神仏分離令により「高麗寺」が廃され大磯唐浜の沖より漁民が網で引き上げたと伝わる本尊の「千手観音立像」他の地蔵菩薩像が当寺に移された。かつては北下町にあったが明治23年(1890)に南下町の大火で焼失により地蔵堂のあった当地に移った。花水橋の架かる国道1号線を大磯方向に進んだ高来神社入口を右折した先に「高来神社」の「二ノ鳥居」と当寺の「仁王門」が構えられている。山門の仁王像は江戸初期の仏像で廃寺となった「高麗寺」のものである。境内正面には平成19年(2007)に地蔵堂を建替えて完成した「本堂」、右に庫裏と鐘楼があり前には回向柱が建つ。(2507)
 
 

  
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了源上人創建の「龍頭山善福寺」の墓穴群

2025-07-25 07:26:47 | 寺院
大磯町高麗に宗祖・親鸞聖人常随の高弟である関東六老僧の一人、鎌倉時代の浄土真宗の僧の平塚入道了源上人=伊東四郎祐光が創建の浄土真宗本願寺派寺院「龍頭山善福寺」は鎮座している。伊東祐光は伊豆の押領使・伊東祐親の孫であり、その次男・伊東九郎祐清の子で、仇討ちで有名な「曽我兄弟」とは従兄弟の関係になる。元仁2年(1225)祐光は国府津(勧堂)滞在の親鸞聖人の本願他力の道に心を打たれ弟子となり念仏の教えを各地に弘めて道場を建立し、延応元年(1239)には壗下の地に草庵を結び阿弥陀堂を建立した。本尊は阿弥陀如来立像。平塚市内より国道1号線を大磯に向かって進むと「花水川」に架かる「花水橋」を渡った左側に構えられた小田原城家老職・大久保忠衛の屋敷門の移築の「山門」より入山すると正面に文化2年(1805)再建の「本堂」(阿弥陀堂)と「庫裏」がある。境内庭の東側花水川右岸の台地上に6、7世紀の「横穴式墓穴群」の8基の古墳を見ることができる。岩山の前には檀家の墓地も並んでいて古墳時代と現代人の墓地が一緒という不思議な空間である。(2507)
 
 
 
 
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「弘法大師」ゆかりの寺院「清水山医王寺」

2025-07-16 07:33:58 | 寺院
平塚市平塚に足柄下郡国府津村寶金剛寺末寺、弘法大師ゆかりの高野山真言宗寺院「清水山医王寺」(薬師院)は鎮座している。弘法大師が当地の水を湧き出る清水に変えたという故事により清水山となったと伝えられる。開山は日譽慶(1652年寂)、宝暦年中(1751年〜1764年)に義仙(1780年寂)が中興。本尊は薬師如来であることから「薬師院」と称されている。寅年に相模三十三カ所の「お薬師」開帳年に開扉される。平塚駅より20分、平塚宿のもっとも西側にあり「寺号標」、重厚な「山門」を抜けると正面に「庫裏」、右に入り母屋づくりの「本堂」がある。本堂前に蓮鉢が置かれて今にも開花しそうである。境内には相模西国第十四番霊場の「松風庵観音堂」、金毘羅社、稲荷社、地蔵菩薩、観音菩薩など古い石仏が並び、三猿庚申塔、光明真言の回国塔などが祀られている。当寺は明治7年(1874年)から6年間に亘り「崇善館第二支校」として多く当地の子女の勉学の場であった。当寺は相模21薬師霊場10番札所、関東91薬師霊場22番札所である。(2507)
 
 
 
 
 
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