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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

かつて「風牛学舎」があった「水上山龍源院」

2025-08-13 12:18:41 | 寺院
座間入谷に小桜姫伝説で知られる曹洞宗寺院「水上山龍源院」は鎮座する。渋谷高間が現在の富士山公園の西側の麓に永享間(1429~41)に建てたと伝わる。渋谷高間の娘「小桜姫」が後妻に殺され、後妻の子「小柳姫」も同情し自殺したことを弔うため屋敷を寺とした。創建は寛永2年(1461)、山梨県上野原の清源院八世・格雲守存を請して開山、清源院の末寺となる。本尊は釈迦である。当初上野原清源院八世格雲守存を開山として寛正2年(1461)入谷丸山下に創建。その後、弘治年間に現在地へ移転し天保年間(1830年)には寺子屋を開き教育の場でもあった。明治5年(1872)には座間小学校の前身「風牛学舎」があった。二世実州は夜夢枕にたった白蛇のお告げから財宝・五穀豊穣を祈念して「弁財天」を造立した。境内社に龍天善神社、稲荷社、白山社が祀られている。かつての藤沢街道沿い建つ「焔魔堂」の背後に建てられている寺号標より入山、境内正面に5年前に落成した美麗な入り母屋づくりの「本堂」がある。広い境内には庫裏の裏に「弁財天」が祀られており、「寺号標」そばに「六地蔵」、更に座間湧水の一つ「龍源院湧水」が今もこんこんと湧き出ている。(2503)
 
 
 
 
 


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座間入谷の古刹「休息山円教寺」と「法華塚」!!

2025-08-13 07:39:03 | 寺院
座間市入谷に当地の古刹である日蓮宗寺院の「休息山円教寺」は鎮座する。700年の寺歴を誇る。日蓮上人が文永2年(1271)龍の口法難の後に厚木の依知郷に赴く途中で鈴木弥太郎貞勝の屋敷で休息された。当寺は日蓮に帰依した貞勝が「円教坊」と改めたことが起源である。建治2年(1275)貞勝は自邸屋敷を献上して寺の建立を発願、日蓮上人が開山、円教坊が開基となり「円教寺」を創建した。本尊は十界曼荼羅二軸、釈迦像2体。この寺には市の重文財の佐々木掛け「鐙」が保存されている。「山門」を潜ると境内正面に入り母屋づくりの「本堂」、「鐘楼」、「祖師堂」、そして境内外に番神水湧水がある「三十番神堂」、そして当寺から300m先にある「法華塚」には大きく立派な日蓮上人立像が入谷の町を見守っている。(2508)





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家康公も立ち寄った座間の古刹「来迎山宗仲寺」

2025-08-12 07:26:31 | 寺院
座間市座間に座間の古刹の浄土宗寺院「来迎山宗仲寺」は鎮座する。当寺は高遠藩初代「内藤修理亮清成」が実父の「武田宗仲」の菩提を弔う為、慶長8年(1603)に創建。本尊は阿弥陀如来。「徳川家康公」も立ち寄ったとされ、元和3年(1617)家康公の霊柩が久能山から日光へ遷御される際に一行が座間宿にて休息したと伝えられる。当寺には「山門」右手には家康公お手植えの「大樹銀杏」がある。境内には幻想的な幽玄「月影の泉」が数年前完成した。「山門」より入山すると左手奥に入り母屋造りの「本堂」、本堂左手に「鐘楼」、「水子観音堂」、「清浄殿」がある。訪拝時は大施餓法要が執り行われていた。当寺に梅と桜の名所で本堂前の「紅白の梅の木」が二本、山門前の「河津桜」、「清浄殿」その奥にある「彫刻の苑」に河津桜と梅が十数本植栽されている。桜の時期は毎年撮影に訪れる寺院である。(2508)
 
 
 
 
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橋本の古刹「橋本山香福禅寺」

2025-08-10 07:35:37 | 寺院
相模原市緑区橋本、かつて橋本宿であった一角に鎌倉建長寺末寺の臨済宗寺院「橋本山香福禅寺」は鎮座する。1400年代初期に建長寺67世蔵海性珍が開山、矢嶋左近某が中興した。本尊は運慶作と伝わる「地蔵菩薩」である。風土記には当寺の支院として「延寿堂」と「常慶庵」があることが記載されている。秋葉大権現碑から進むと江戸時代後期建立の「四脚門」がある。その門より入山すると境内正面には入り母屋造りの「本堂」、右には庫裏と「客殿」がある。客殿の前には木々に囲まれた苔むした池が配置されている。貞亨3年鋳造の「鐘楼」、本堂左手には橋本本宿より移された薬師如来を安置している「薬師堂」と「六地蔵」、禅庭中央には本堂前には威風堂々ご神木の樹齢400年超えの「高野槙」の大樹が聳え存在感を示している。(2508)
 
 
 
 
 
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座間の地名発祥の寺「座間山心岩寺」

2025-08-09 07:28:57 | 寺院
座間市入谷に座間山と言う山号を有し座間の地名発祥元と言われる臨済宗建長寺派寺院「座間山心岩寺」は鎮座する。初めは「久光山心願寺」、後に「座間山心巌寺」から江戸時代に現在の「座間山心岩寺」と改称。座間7村の地頭「白井織部是房」(文明元年1469年没)が開基、白井氏の持仏堂を室町時代中期、建長第75世悦岩興惟禅師の法弟成英玉禅師が寛正元年(1461)開山、創建。本尊は運慶作の釈迦如来立像。51号線座間入谷のメガドンキ前に構える「寺号標」、参道の先に構えられた「山門」より入山すると仁王像、正面に「本堂」、右に「庫裏」がある。本堂左側に池中央に不動明王を安置する「不動池」がある。座間湧水の一つで「心岩寺湧水」にあたる。境内には「薬師堂」、「岩城常隆供養五輪塔」、「鐘楼」、「弁天社」がある。寺の東側台地に縄文時代中期の遺跡が分布し南方約100mにある鈴鹿横穴群、先史時代からの生活用水であった。根下の神井戸の水、谷戸山の水とあわせて「天水」として入谷地区の水田の灌漑にも利用された。(2508)
 
 
 
 
 
 
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