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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

震災後の熊本城は今!!

2017-11-09 12:12:37 | 城・城郭
日本三名城のひとつ「熊本城」は昨年4月に発生した「熊本震災」、震度6クラスの前震と本震の二回の地震によって大きな被害を受け痛々しいほどダメージを負ってしまった。美しく反り返り「武者返し」の石垣をはじめ、城内の石垣は約50箇所が崩れた。熊本市街が一望できる「天守閣」も大きな損傷を受けた。西南戦争を戦いぬき「強い城」のイメージを持つ熊本城もこの熊本震災には耐えきれなかった。変わり果てた城姿は熊本県民のみならず全国の人々の心を痛めた。あの震災から1年半、まずは大天守を優先し復旧作業が進められており2019年までに「大天守(天守閣)」の再建を目指している。長い歴史の中で悠然と建ち続け雄姿を見せてきた熊本城。地震により崩壊した城姿は痛々しいがこの現実も今しか見ることのできない姿でもある。熊本城を在りし日の姿に戻そうと懸命の復旧作業が進行していることに多くの人々を勇気づけるだろう。一部は観光できるようであるが全てが完成復旧するのに20年という途方もない時間とあわせ莫大な資金を必要としている。皆さまも支援、応援を!!(1711)






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日本100名城のひとつ、平戸のシンボル「平戸城」

2016-11-14 10:20:49 | 城・城郭
平戸は江戸時代松浦氏の城下町として栄えた異国情緒漂う港町、その平戸の海に突き出た山の上に建ちほぼどの角度からもその雄姿を拝むことができる平戸のシンボル「平戸城」はある。別名「亀岡城」と呼ばれる平戸城は元禄17年(1704)松浦家の城として築城が始まり、享保3年(1718)に完成した。天守閣からの眺望は素晴らしく、平戸瀬戸や市街地を見守る様に佇んでいる。城の構成は昭和37年(1962)復元された三層五階建の「天守閣(本丸)」、その周りには「乾櫓」、「狸櫓」、「地蔵坂櫓」、「懐柔櫓」、「見奏櫓」が囲んでおり、本丸のすぐそばには「亀岡神社」も鎮座している。内部には平戸藩ゆかりの鎧や刀、かくれキリシタンの品々も展示されている。山鹿流の軍学に沿って設計された珍しい平戸城は日本100名城にも選定されている。(1611)












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「小田原城と城址公園」の第45回梅まつり

2015-02-20 08:31:27 | 城・城郭
小田原市城内に難攻不落の城と言われた「小田原城」(築城は応永24年=1417)はある。戦国時代から江戸時代にかけの日本の城(平山城)で、北条氏の本拠地であった。江戸時代には小田原藩の藩庁があった。聳える天守閣は江戸時代に造られた雛型や引き図を基に昭和35年に鉄筋コンクリート造で再築され3重4階の天守に付櫓、渡櫓を付している。内部には甲冑・刀剣・絵図・古文書など小田原の歴史を伝える資料や武家文化に関わる資料などが展示されている。平成18年10月に「日本の歴史公園100選」に選ばれている「小田原城址公園」内には「天守閣」の入口と「二の丸広場」と「常盤木門」から「歴史見聞館」に亘って植えられている250本の梅の内早咲き終わったようだが遅咲きが紅や白の花びらを広げ咲いている。寒気の中、百花に先駆けて花咲く梅花を見ていると春はもうそこまで来ていることがわかる。「梅一輪一輪ほどの暖かさ」という句もある様に・・・・・。おりしも「小田原梅まつり」は3/1まで開催されている。(1502)


















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琉球王国の国王の居城「首里城」

2014-09-07 22:40:14 | 城・城郭
那覇市首里金城町に1429年から1879年まで琉球王国の国王の居城であった「首里城」はある。首里城は14世紀の末頃は築かれており、地形を巧みに活かした内郭と外郭に分かれている。琉球の政治、外交、文化の中心であったという。高さ6~15mもある城壁には琉球石灰岩の切石が用いられ総延長は約1Kを超える。「守礼門」を潜り園比屋武御嶽石門を左に見て、日本城郭でいえば首里城の大手門に相当。尚清王時代に創建。柱は四本で二重の屋根を持ち、赤い本瓦が使われており大手門にふさわしい独特の風格がある。いよいよ入城いよいよ第一の正門「歓会門」、「瑞泉門」通り抜け、首里城の一日は琉球王朝時代の生活を再現したこの「御開門」へ。朝一番の来園者を迎える儀式が始まる。門番がドラを叩いて発する「ウケージョー」の声を合図に「奉神門」を開く。我々もその貴重な儀式に幸運なことに立ち会うことができた。門や各種の建築物全体が漆と朱色を基調に彩られ、屋根瓦には初期は高麗瓦、後に琉球瓦が使われるなど各部の装飾には国王の象徴である龍が多用さている。奉神門を潜り抜けると鮮やかな朱色の正殿が眼に飛び込んできた。まさに琉球王国の舞台となったその歴史、文化の息吹を伝える殿堂。国王自らが執り行う正治や儀式の中心の建物=正殿、これぞ琉球王国の栄華と幾多の興亡を伝える歴史の「証」であり世界遺産の首里城はまさしく華麗で豪華絢爛である。まるで琉球王国の時代にタイムトリップしたような息吹を感じる空間であった。 (1409)






















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国宝指定4城のひとつ彦根城へ初登城

2014-07-17 16:45:18 | 城・城郭
滋賀県彦根市金亀町に姫路城、松本城、犬山城とともに国宝四城の一つに数えられている、旧彦根藩井伊家の居城「彦根城」(金亀城)はある。初代直政の遺志を継いだ直継と直孝がなんと20年近くの歳月をかけて築城。江戸時代および明治2年(1869)の版籍奉還後から明治4年(1871)の廃藩置県まで彦根藩の役所が置かれた。彦根城の魅力は国宝の「天守閣」(城郭構造は連郭式平山城、天守構造は複合式望楼型 3重3階地下1階)ではなく、中堀と内堀の二重のお堀に囲まれた城郭はほぼ江戸時代の姿をとどめているといわれる。場内各所には「天秤櫓」、「二の丸沢口多聞櫓」、「西の丸三重櫓」、「太鼓門櫓」、「旧西郷屋敷長屋門」、「馬屋」が建ち並ぶ。独特の美と意匠を誇る城郭建築の最高峰と言われる彦根城、いくつもの破風を巧みに組み合わせ美しい曲線の調和を魅せる天守閣。牛蒡積の石垣の上にどっしりと三重の天守が聳える。気高く気品に満ちた城姿はさすが国宝に指定されただけの魅力に溢れている。(1407)






















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