相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

青山の鎮守、火防神として尊崇されている「秋葉神社」

2024-04-19 07:29:37 | 神社
港区北青山、表参道駅そばに青山の鎮守、火防神として尊崇されている「秋葉神社」は鎮座している。元は青山「善光寺」境内鎮守として奉祀されていたが明治維新後、神仏判然の別により同寺院より分割された。創建は文政10年(1827)。祭神は稲荷大神・秋葉大神・御嶽大神。三神を奉斎することから「三社さま」とも呼ばれる。表参道駅A2出口の目の前に昨年建て替えられた鳥居が構えられた57坪ほどの境内正面にコンクリート造りの本殿、木造りの拝殿がある。(2404)
 
 
 

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上野霊山の守護神「花園稲荷神社」

2024-04-17 15:28:26 | 神社
東京都台東区上野公園内に村社格の「花園稲荷神社」は鎮座している。創建年代(不詳)は本覚院の僧晃海が霊夢に感じ廃絶していた社を承応3年(1654)再建、上野霊山の守護神とした。古くからこの地に鎮座し「忍岡稲荷」として石窟の上にあった事から俗称「穴稲荷」とも云われていた。御祭神は倉稲魂命である。幕末、彰義隊の戦いでは最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られている。後に明治6年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され「花園稲荷」と改名した。「五條天神社」が現地に遷座となる時に社殿も一新された。お社は古書に弥左衛門狐と記され「寛永寺」が出来る時に忍岡の狐が棲む処が無くなるのを憐れみ一洞を造り社を祀ったと云われている。社地はお穴様を中心に約2000坪あったが明治の上地の為、現在は五條天神社と併せて約1000坪となった。五條天神社の右奥にあり稲荷らしく赤い鳥居が数十列並んでいる。(2403)
 
 
 
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「靖国神社」の回遊式「神池庭園」の桜景色!!

2024-04-14 07:14:21 | 神社
靖国神社の「社殿」の後方に明治期初めに造られた美しい「神池庭園」がある。当園の魅力は深い山の中を思わせる滝石が組み合わされ優雅で気品に満ち溢れた「回遊式の庭園」である。池の周囲には3本の大きな高樹齢の「桜」が満開となてクライマックス期を迎え神池を覆っている。2つの中島を繋ぐ日本一の長さを誇る「花崗岩の直橋」、そして黒、赤、黄の鯉が優雅に泳ぐ神池は今満開となった桜花ベールに包まれ神秘的で幻想的な美しさを魅せている。当園の一画には茶室の「靖泉亭」と「洗心亭」、「行雲亭」があり風情、趣きを一層高めている庭園となっている。(2404)
 
 
 
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白髭さんとして親しまれている「熊本城稲荷神社」

2024-04-12 19:02:57 | 神社
熊本市中央区本丸に熊本城築城の守護神、城下町繁栄の守護神として崇敬を集めている「熊本城稲荷神社」は鎮座している。創建は天正16年(1588)。主祭神は2匹の狐を従えるのが生活守護神の白髭大明神。他に倉稲魂神と9祭神を祀る。「熊本城稲荷神社」は加藤清正が天正16年(1588)に肥後国へ入国するに当たり居城となる熊本城の守護神として「稲荷神」を勧請したことに始まる。清正公は神使の2匹の狐(霊狐)を連れてきて、居城となる熊本城に守り神として奉つた。石垣が聳える熊本城本丸の真下に「本殿」がある。朱色で統一された境内はいかにも稲荷神社らしい。生活守護の神「白髭大明神」を祀っていることから通称「白髭さん」の名で親しまれている。400年歴史を持つ当社は生活の守護神として崇められており毎年2月に開催される「初午大祭」は多くの参拝者で賑わう。(2403)
 
 

  



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熊本市の総鎮守「藤崎八旗宮」朱色の鮮やかな社殿

2024-04-07 15:42:20 | 神社
熊本市中央区井川淵町に旧社格は国幣小社、九州の石清水五所別宮の一社、熊本市の総鎮守として信仰を集める「藤崎八旛宮」(県内八幡信仰を代表する神社)は鎮座している。社名は「幡」ではなく「旛」と書くのは天文11年(1548)の後奈良天皇宸筆の勅額に基づくとのこと。創建は承平5年(935)。当社は平将門・藤原純友の乱の時、追討と九州鎮護との敕願により京都の「石清水寺八幡宮」を勧請して建立。伝承では鎮座の時、勅使が馬の鞭としていた石清水の藤の枝を地面に刺したところ、芽を吹き枝葉が生えたので「藤崎」を社名とした。「国府八幡宮」として国司や朝廷の崇敬を受け、鎌倉時代以降は歴代領主の崇敬を受け、江戸時代には熊本城の鎮守社とされた。主祭神は応神天皇、神功皇后・住吉三神を相殿に祀る。国道3号線通りにある大きい「一の鳥居」より5百メートルの参道が続く。「二の鳥居」を潜ると鮮やかな朱色で統一された「楼門」、その正面に華麗な「本殿」・「拝殿」、「申殿」、「神楽殿」、「能楽殿」がある。左右には「回廊」が設けられている。社格制度、時代変遷を経て今も肥後の人々の信仰を集めている神社で、秋には1070余年の歴史と伝統を誇る「秋季例大祭」が行われる。(2403)
 
 
 
  



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