さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

一里壇青嶺越えゆく塩の道 桜木町 草生

2014-11-02 | 日記
  束ね松峠入口の広場に美事な句碑がありました。この句はその句碑の第一句です。会津ツクシ吟社31名の方の句が黒い石の板に白く美事に彫られていました。束ね松峠に吟行なさった時の皆様の俳句なんでしょうね。

塩の道一里壇束松を詠ふ 会津ツクシ吟社 とありました


 お恥ずかしいんですけど私は感性に乏しく教養も浅いので俳句のことは正直全く分かりません。でもそれなりの思いで句碑の一句一句を詠ませて頂きました。

時頼の訪えし松風蝉しぐれ
 教養の浅い私は「訪えし」が読めません。でもこの句で井関敬嗣先生の会津坂下の伝説と史話に「昔北条時頼がこの峠を過ぎたとき、満田の山の束松千代の齢を家つとにせん」と詠んだと書いてあったのを思い出しました。束ね松峠にそんな言い伝えがあったんですね。歴史ではなくておもしろい伝説なんでしょうけども・・

姫小百合旅情を誘う一里壇
 そう言われると50年ほど昔この峠から高圧送電線補修の道を歩むと姫小百合がいっぱい咲いていたことを思い出しました。今は絶えてなかなか見ることは出来ませんけども、それにお恥ずかしい思い出があるんですよ、当時若かった私の職場に知的で賢い若い女の人がいました。私はきれいなその人のことを密かにあこがれていました。あるときその方が姫小百合のことを話しているのを脇で聞いて、よしこのときこそその人を喜ばせるために働かなければ思い、早速晩秋の小雪の降る山の道にバイクを飛ばしていって高圧送電線鉄塔の下から5個ほどの姫小百合の球根を掘りとってつぎの日恭しくその球根を差し出しました。そしたら目をつり上げて私をにらみ激しく「あなたみたいな人がいるから野の花は荒れるんです」と私を叱り飛ばすんです。実はその方植物愛好会の熱心な会員でいらっしゃったんです。私の夢は一瞬に消えました。それからは私も自然を大事にする今の私にになりました。お恥ずかしい・・

一里壇語り嗣がれて松の芯
 そうですよね、昔頂上の近くに亭々と空に枝を伸ばしている束松の古木がありました。でも今は枯死してしまって切り株だけが残っています。その年輪のひとつひとつに峠路のいろんな悲喜こもごもが刻まれているんですね。

 俳句のことなど何一つ分からない私なりに一句一句にいろんな思いをこめて読ませて頂きました。

 句碑を撮ろうとシャッターを切ってモニターを見たらこんな写真になっていました。美事に磨かれた句碑の石の板は鏡のようになっていていろんなものが写っていてみにくいんです。撮ろうとしてる私なども写っていて驚きました。

 反射をさけるために横から撮ったら遠くの句が小さくて詠めません。ちょっと苦心して最初の写真のように修正したんです。

 私は俳句のことは全く分かりませんけど、あこがれみたいなものは持っているんです。そんなこんな愚かな感傷(鑑賞ではありません)を書かせて頂きました。お恥ずかしいです。