私の平成史 金は天下の周りもの

2019年04月10日 | 日記

 1989年に1月に元号が昭和から平成になった。

当時は今のヴェスパ店にBMWやDUCATI等を展示していて、いわゆるマルチ外国車ディーラーとして有限会社グッドウッドとして営んでいた。

 現在、モトラッド八千代店で工場長を務めている山下スタッフと私の妻とアルバイトが一人くらいだったが、時代はバブル景気なのに二輪車業界には好景気は訪れていなかった。

 何せ教習所で取得できる二輪免許は中型に限られ、限定解除という難関を国の試験場に通いつめて合格してから晴れて大きなバイクに乗れる時代なのだ。

 なので、当時外国製二輪車のディーラも限られていてハーレー、BMW、DUCATIを合わせても3,000台程度(現在は17,000台くらい)のマーケットだった。

 融資の銀行の担当者に「御社の商圏エリアは?」と聞かれたので、「江東区から千葉県全域です」と答えておいた。

 特に先見の眼があった訳でもないが、どの販売店も新車と中古車を100台も売れば食ってゆける規模だったから、価格競争もないのでBMWの新車を購入したりできるくらいの利益は出た。

 そのころ私が熱中していたのは、四輪のFJ1600のレースに参戦、世の中はF1ブームだから予選を通過するだけでも至難の激戦クラスだった。

 好きな商材で好きなモータースポーツをしても、30歳そこそこの若さだから不安はなかった。

 当時は銀行担当者も「社長、金に色はついていませんから、名目は何であれ借りて好きに使ってください」ってな金を貸し出してしまえばOKだったバブルの終焉直前の日本経済だった。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする