もしも私が、この学校の管理職であったり、
後進の指導に当たるべき教員であったりしたのなら、
この先生に対して働きかけできることはあると思う。
職員室でのさりげないお喋りの中で
時間をかけてこの先生の気持ちをほぐし、
少しずつ、「叱り方」についての感覚を修正するとか。
他の先生方のやり方に触れさせるよう、別学年の
トラブルの場面にうまく立ち合わせるとか・・。
或いは、機会を見つけてじっくりとこの先生の
心に溜まっているものを吐き出させ、
先生自身が抱えているものを軽くしていくことさえできるかもしれません。
(管理職に訴えても、たいして進展がないので、
できる範囲で、上記のような働きかけもしていなくもないのですが・・)
でも、私は先生達のためにこの仕事をしているわけじゃないのです。
教室の中で心細い思いをしている子供達のサポーターとしてここにいるのです。
それを忘れちゃいけないなと、最近強く思います。
この先生の心をほぐしていくためには時間が必要だけど、
頭のいい方だから、きっと時間をかければ
自分の心と向き合って一段上に上がることも可能だとは思うのだけれど、
そうして時間をかけている間も、教室の子供達は
この先生の嵐のような怒りに振り回される。
怒られている子どもたちは、意外と大丈夫なんです。
叱られ慣れているというか、右から左というか・・
でも、それを見ている「叱られつけない子」=「良い子」は
おびえ、緊張を強いられ、必要以上に「良い子」でいようとし始める。
そのことの害を、もっと考えなきゃいけないのだと思います。
殴られてるわけじゃない。いつもいつも怒っているわけでもない。
授業はメリハリがあって、楽しい事もたくさん盛り込んである。
だから、子供たちだっていつもいつも萎縮しているわけじゃない。
たまに来る「怒りの嵐」の時だけだから・・・。
だいいち、言っても聞かないし・・・。
そういう立場じゃないし・・・。
といった、「大人の事情」が優先し、実害を受けている(と思われる)
子供達の事を後回しにしてこなかったか。
だから、先生を育てるなんておこがましい事は考えず、
怒りの嵐が起きないように止める。
或いは、嵐が過ぎ去るまでの時間を短縮する。
または、嵐の勢いを和らげる。
それも無理なら、せめてその嵐の中に私もい続けて、
子供達に「大丈夫だよ」というメッセージを発していよう。
と、今はそう考えています。
後進の指導に当たるべき教員であったりしたのなら、
この先生に対して働きかけできることはあると思う。
職員室でのさりげないお喋りの中で
時間をかけてこの先生の気持ちをほぐし、
少しずつ、「叱り方」についての感覚を修正するとか。
他の先生方のやり方に触れさせるよう、別学年の
トラブルの場面にうまく立ち合わせるとか・・。
或いは、機会を見つけてじっくりとこの先生の
心に溜まっているものを吐き出させ、
先生自身が抱えているものを軽くしていくことさえできるかもしれません。
(管理職に訴えても、たいして進展がないので、
できる範囲で、上記のような働きかけもしていなくもないのですが・・)
でも、私は先生達のためにこの仕事をしているわけじゃないのです。
教室の中で心細い思いをしている子供達のサポーターとしてここにいるのです。
それを忘れちゃいけないなと、最近強く思います。
この先生の心をほぐしていくためには時間が必要だけど、
頭のいい方だから、きっと時間をかければ
自分の心と向き合って一段上に上がることも可能だとは思うのだけれど、
そうして時間をかけている間も、教室の子供達は
この先生の嵐のような怒りに振り回される。
怒られている子どもたちは、意外と大丈夫なんです。
叱られ慣れているというか、右から左というか・・
でも、それを見ている「叱られつけない子」=「良い子」は
おびえ、緊張を強いられ、必要以上に「良い子」でいようとし始める。
そのことの害を、もっと考えなきゃいけないのだと思います。
殴られてるわけじゃない。いつもいつも怒っているわけでもない。
授業はメリハリがあって、楽しい事もたくさん盛り込んである。
だから、子供たちだっていつもいつも萎縮しているわけじゃない。
たまに来る「怒りの嵐」の時だけだから・・・。
だいいち、言っても聞かないし・・・。
そういう立場じゃないし・・・。
といった、「大人の事情」が優先し、実害を受けている(と思われる)
子供達の事を後回しにしてこなかったか。
だから、先生を育てるなんておこがましい事は考えず、
怒りの嵐が起きないように止める。
或いは、嵐が過ぎ去るまでの時間を短縮する。
または、嵐の勢いを和らげる。
それも無理なら、せめてその嵐の中に私もい続けて、
子供達に「大丈夫だよ」というメッセージを発していよう。
と、今はそう考えています。
いつも参考にさせていただいております。
ありがとうございます。
5年生でクラス替えをして、
娘はベテラン女教師に
お世話になるようになったころ。
こんなことを言っていました。
「○先生。いつ怒るかわからないから、それがこわい。」
と。
そうなんです。
娘は今まで怒る先生にしか当たってこなかったので、
最初動揺したのです。
私も、優しすぎで
やんちゃな男の子達になめられないか?
(なめられて、退職に追い込まれた先生が昨年度いらっしゃった。)
でも、
「感情で怒り、
子どもに言う事を聞かせても仕方がない。
それは私のやり方ではない。」
とおっしゃる担任のおかげで
娘の表情はとても変わりました。
人間関係も、学校生活も、学習の習熟度も。
林間学校、部活。のんびりなムスメには心配要素
満載な今年度でしたが
担任の先生のおかげで、実りのある年となりました。
先生の力量がこんなにも素直に
反映してくるものなのか?
と驚くほどです。
長男や次男はどんな先生になってもあんまり
関係ないんですけどね。
長女は写鏡のようです。
そうなると、環境を整えてやりたい。
人的な環境を特に!
と思ってしまうのは親のエゴなのでしょうか?
この先生の件については後日談がありますので、そのうち書きます。
お嬢さんの担任の先生のお話しも身につまされるものがありました。
先生次第でこれだけ変わるのかという体験(のんびり娘の場合は逆に悪く出てしまいましたが・・)は、我が家も経験していますから。
「環境を整えたい」という思いは、高校3年生の母となった私の中にも未だ根強くあります。
影響、大きいですものね。