1年生の男の子。
ひらがなが読めなくて書けなくて、
その入りにくさから、おそらくLDだろうと思われていた子。
連絡帳に毎日書く「こくご」の3文字でさえ
なかなか入らなくて、
「こ」という字が、上の棒と下の棒、別々に見えているようだった。
自分の名前にある文字でさえ、別の場面で出てくると書けない、読めない。
毎年、苦手な子、遅れている子は見るけれど、
この子の入りにくさは、これまで見たどの子より強くって、
どうしてあげるのがよいのか考えてしまう部分もあったけど、
担任の先生と連携して、毎日の連絡帳書きの時には
なるべくそばにいるようにした。
最初のうちは、国語の教科書の「あいうえお表」を手元に用意して
うまく書けない字があれば、指さして見せた。
この子の場合、一文字がどういう形なのかがはっきりわかる方がいいと思ったので、
同じ「あいうえお表」でも、それぞれの字を○や□で囲ってあるページを利用した。
それでも、なかなか覚えはしなかったけれど、
皆にさほど遅れずに、そしてまた「自分で書けた!」
という達成感が感じられるように、
本人の様子を見ながら、手を出す部分を調整してきた。
夏休みが明けてしばらくすると、
「こくご」や「さんすう」は自分で声を出しながら
書くようになってきたから、調子のいい時は、
斜め後方から見守るだけにして、
手が止まりかけたら、黒板の「今書いているところ」を指さして
見えやすくしてきた。
書く時間が長くなりすぎて意欲を減退させてしまわないように。
他の子よりひどく遅れることで劣等感を持ってしまわないように。
それだけ気をつけてあげれば、「継続は力」に持っていけると思っていたから。
そしたらね、
最近、本人が一音一音、声を出しながら書くようになってきたのだ。
そう、いつの間にか少しずつ「読める」ようになってきて、
自分で「音」と「文字」をつなげる作業ができるようになったのね。
そうして、「こくご」とか「さんすう」とかは、ひと固まりの言葉として
一文字ずつ見ないでも書けるようになってきた。
どちらがどちらか、わからなかった「う」と「ん」も、
ちゃんと、音の聞きわけができるようになってきた。
苦戦していた「あ」と「お」も、使い分けがかなり出来てきた。
最近は、例えば、
「まるいち こくご」
と、耳元で読んであげると、黒板の文字を見ないでも
①こくご
と、かけるようになってきたの。
着実に進化してるよ。
ひらがなが読めなくて書けなくて、
その入りにくさから、おそらくLDだろうと思われていた子。
連絡帳に毎日書く「こくご」の3文字でさえ
なかなか入らなくて、
「こ」という字が、上の棒と下の棒、別々に見えているようだった。
自分の名前にある文字でさえ、別の場面で出てくると書けない、読めない。
毎年、苦手な子、遅れている子は見るけれど、
この子の入りにくさは、これまで見たどの子より強くって、
どうしてあげるのがよいのか考えてしまう部分もあったけど、
担任の先生と連携して、毎日の連絡帳書きの時には
なるべくそばにいるようにした。
最初のうちは、国語の教科書の「あいうえお表」を手元に用意して
うまく書けない字があれば、指さして見せた。
この子の場合、一文字がどういう形なのかがはっきりわかる方がいいと思ったので、
同じ「あいうえお表」でも、それぞれの字を○や□で囲ってあるページを利用した。
それでも、なかなか覚えはしなかったけれど、
皆にさほど遅れずに、そしてまた「自分で書けた!」
という達成感が感じられるように、
本人の様子を見ながら、手を出す部分を調整してきた。
夏休みが明けてしばらくすると、
「こくご」や「さんすう」は自分で声を出しながら
書くようになってきたから、調子のいい時は、
斜め後方から見守るだけにして、
手が止まりかけたら、黒板の「今書いているところ」を指さして
見えやすくしてきた。
書く時間が長くなりすぎて意欲を減退させてしまわないように。
他の子よりひどく遅れることで劣等感を持ってしまわないように。
それだけ気をつけてあげれば、「継続は力」に持っていけると思っていたから。
そしたらね、
最近、本人が一音一音、声を出しながら書くようになってきたのだ。
そう、いつの間にか少しずつ「読める」ようになってきて、
自分で「音」と「文字」をつなげる作業ができるようになったのね。
そうして、「こくご」とか「さんすう」とかは、ひと固まりの言葉として
一文字ずつ見ないでも書けるようになってきた。
どちらがどちらか、わからなかった「う」と「ん」も、
ちゃんと、音の聞きわけができるようになってきた。
苦戦していた「あ」と「お」も、使い分けがかなり出来てきた。
最近は、例えば、
「まるいち こくご」
と、耳元で読んであげると、黒板の文字を見ないでも
①こくご
と、かけるようになってきたの。
着実に進化してるよ。