のんびり娘の謎

10円が2個で、、、12円?今日の前の日は、、、前の日?のんびり娘のお答えは、理解できない謎ばかり。さぁ、どうする?

はじめての足し算 その2

2005-09-30 11:38:07 | 1年算数
例えば、5と5で10のように、指を何度も出していたら、刷り込まれただろうこと。
こういう事が娘はめっぽう弱いです。
計算を「実際の数」ではなくて、「数字の並び」を使ってしてきたので、
5ごと、10ごとの塊の感覚が育つチャンスを奪ったようにも思います。

もちろん、そういった側面での働きかけもしました。
それはもう、色んな物を使って、何度も何度も繰り返し働きかけはしました。
それでも、娘は「それはそれ、これはこれ」でした。
「実際の数」と「数字の式」が結びつく事はありませんでした。
進んでいく勉強に追われ、何時の間にか私も、
「まぁ、できるんだからよしとするか」という気持ちになっていきました。

娘の計算は、いつもストレート。
足して10になる塊を見つけて、先に計算してしまうなんていう「要領」が使えません。
10足す4のような計算まで、指を折ってしてしまいます。
間違えることは無いけれど、このやり方だと時間の短縮には限界があります。

あの時、もしも、公文式の指折りを知らず、
毎回の計算に普通に指を使っていれば、それこそ何百回も
「5と5で10」のような塊を意識できるわけですから、
それを使わなかった分、塊まり感覚の育ちが悪くなったのかもしれません。


子育てはやり直しが効きませんので、どちらが正解だったかはよくわかりません。
頑固なのんびりチャンですからね、どんなに頑張っても、結局「それはそれ、これはこれ」で、計算の出来ない娘になっていたかもしれません。
今となっては、わかりようのない事です。

私自身は、考えても仕方のない事で時間を取るのが嫌いなので、
何でも良く取ってしまいます。
娘が自信を持って計算に取り組めるなら、多少面倒で時間がかかる事があってもそれはそれでよかろうと思っているんです。

でも、もし次に続く人がいたら、そういう側面もあるんだよということを伝えておきたいと思います。
そして、それぞれのお子さんに合わせて、上手にそれぞれのやり方を利用してもらいたいと思うんです。


はじめての足し算 その1

2005-09-29 11:36:57 | 1年算数
初心に返って、1年生からの勉強の仕方を振り返っていこうと思います。
まずは、最初の足し算、引き算。

娘は数の概念が弱くて、ブロックをいくら使っても、それが数字で書かれた式となかなかリンクしませんでした。
「それはそれ、これはこれ」です。

当時、通っていた公文の先生が教えてくれたのが、ちょっと特殊な指折り計算。
3+5をする時、普通の指折りは、片手に3、もう一方の手に5を出しますね。
或いは、3を出しておいて、その横の指から5本出す。
このやり方だと、答えが10を超えた計算に対応できなくなります。

公文方式は、頭の中に3を置いて、次の4から声を出し、指を折りながら数え始めます。
1本おって4、2本目を折って5、3本目を折って6、4本目を折って7,5本目を折って8。
指が5本折れたら5足せたということなので、8が答えです。

このやり方は、元になる数がどんなに大きくなっても、足す数が一桁である限り対応できるというメリットがあります。
引き算も同じルールで出来るので、結構便利です。
折る指も、片手で10まで数えられるように折り返しを使うので、授業中に折っていてもあまり目立ちません。

公文の先生によると、「何度も計算していくうちに、答えを丸暗記しちゃいますから、最初はこれでいいんですよ」ということでした。


しかし、、、5年になった今でも娘はこの方法を頼ります。
いえ、暗記しなかったわけでは無いんですよ。
それでも、複雑な掛け算や割り算で足し引きを繰返す時、彼女は指を折る事で安心出来るらしいのです。この計算は、彼女にとって「絶対間違えない」自信を持てる方法なんだと思います。

そういう方法が一つでも持てたということを、私はありがたいと思います。
でも、その方法に頼ったために、得られなかったものもあるかもしれません。



あるとき、あるところ。 その1、その2

2005-09-28 11:35:36 | 娘の事・謎

運動会が終わって、ホッと一息。今日は先週受けた理科のテストが返されてきました。95点。嬉しかったんでしょう。妹のヤマハの教室まで持ってきて私に見せました。前日、2時間半一緒に勉強した成果なのですが、良く頑張ったと思います。


私が嬉しかったのは、記述式の問題の答えが、キチンと形になってきた事。


「何故ですか?」と聞かれている問題に、「○○するため」と、書けていました。「どういうことですか?」という質問には、「○○ということです」と書けていました。


理科のテストは、他の教科に比べてだいぶ楽に出来ているような気もしますが、それでも、 「問題をしっかり読み」 「聞かれている事が理解でき」 「形式にのっとった答え方が出来る」ようになってきた事で、今後の見通しが随分と明るくなりました。


最近、娘は言葉に関して色々聞いてくるようになりました。


先日は、「忍玉乱太郎シリーズ」を読んで(まだ音読です)、「私いつもここがわからないの?」と聞いてきました。「ここ」とは・・・    「あるとき。あるところ。」まさに、冒頭部分が良くわかっていなかったのでした。


「あるとき」って、昨日とか、何月何日みたいに、はっきりわかっているときじゃないことだよ。「あるところ」も、どこかはよくわからないところのことを言うんだよ。と、教えると、安心したように続きを読み始めます。


誰もが、「知ってて当たり前だ」と思う言葉が理解できない。その状態で読書をしたり、授業やテストを受けるのはどんなに大変だったろうと思います。


「わからなければ聞くんだよ」と、大人は簡単に言いますけれど、彼女クラスになると、「わからないこと」があまりにいっぱいで、「聞く」のもそう簡単ではありません。第一、音読の時には「今読んでいる字」を追うのに必死で、「言葉」自体はあまり頭に入ってこなかったのだと思うんです。


最近になって、こんな風に彼女から質問が出てくるようになったのは、「読む力」が少しづつ上がってきて、わからなかった言葉に目を留める事が出来るようになってきたからかなと、考えています。



それから、先日こんな事も。


テレビで「植物状態」という言葉を聞いた翌日、植木がびっしり生えている場所を見て、「植物状態だよね。」って言いました。


パパと一緒に固まりかけましたが、聞いた言葉をすぐに使おうとする彼女の気持ちを潰したくなくて、さり気無く、使い方の違いを説明しました。


とんでもない事を知らなかったり、ものすごーーく頓珍漢な言葉の使い方をしたりしていますが、今、彼女は「自分の中の言葉」を増やし始めているのだろうと思います。


普通のお子さんが、年長さんや低学年でする事を、胸も膨らみ始めた5年生でするのですから、それもまたしんどい事でしょう。でも、それは大事な一歩。笑ったり、怒ったりして潰さないように、心がけていようと思います。


でも・・・「植物状態」は、けっこうツボにきたなぁ・・・。


かっこよさ

2005-09-27 11:33:14 | 心理的成長
以前どこかに書いたのだけれど、私はかなり男っぽい性格だと思う。
子育てで大事にする事も、女性らしいお母さん達とは、ちょっと違ってしまっているかも。

今朝、娘をガミガミ怒鳴りつけた。
理由は、『ぶーたれ方が下手』だから。

素直で、おそらく本来は穏やかな娘だけど、キツイ母親の私に鍛えられ、
反抗期にも入って、結構しっかりブーたれるようになってきた。
それ自体は、実は私は歓迎している。
人間って、文句をいうときが一番一生懸命だから、
(これで言葉が増えてくれればもうけもの)という思いもある。
自分の気持ちを人に伝える、いいトレーニングにもなるとも思う。
でも、そのぶーたれ方が甘ったれてると、ママの『渇!』が飛ぶのだ。

昨日の娘、7時のポケモンまでに宿題を終わらせたくて急いで帰ってきたというのに、
なかなか勉強を始めようとしない。
「早く始めなきゃ駄目でしょ。」という私の声に、
「あーあ、ママがブツブツ言うから、やる気がなくなっちゃった。」
   ・・・・・渇!だなぁ・・・・・

「誰のための勉強だ?」「やらなくて困るのは誰なんだ?」と、追い詰めた上で、
「やる気がないのは、ママがいう前からでしょ。だからダラダラしてるんでしょ。
それを、まるで、言われたからやる気がなくなったように言うのは、ずるい。
そういうブータレは、最高にかっこ悪いよ!!」と、一喝してあげました。

それで、「ごめんなさい」と明るく表情が変えられるなら、「反抗期」じゃないですよね。
宿題、ポケもんをはさんで、少々の持ち上がりはありましたが、引き続き私に対して
ブーたれ気分の娘。
「明日の仕度は?」と言っても、「朝ちゃんとやるからいいの。」と、わざとランドセルを放りっぱなして、お風呂、そして就寝。

結局、朝、短い時間で仕度をしたと思ったら、教科書だけ入れてノートがなかったり、
ドリルを放り出したままだったり。ちっとも『ちゃんと』は出来ていない。
  ・・・・・渇!だ・・・・・

「昨日、ママのいうことを聞かないで、明日やるって言ったんでしょ。
それなら、意地でもちゃんとやんなさいよ。
大人の言うことに逆らったからにはさぁ、ちゃんと出来なきゃかっこ悪いでしょ。
ブーたれるんならね、ママが「ごめんなさい」って言うくらいキチンとやって見なさいよ!」

娘は、更にブーたれながら学校に向かいました。

割合 その1

2005-09-26 11:31:52 | 5年算数
ここ2,3日、「割合」をどう教えたら、のんびりさんにもわかるのか考えています。

教科書では、「比べ方を考えよう」と、
バスケットのフリースローの入る確率が導入に使われています。
(バスケットもフリースローも知らない娘は、この時点で脳がフリーズしてしまうわ)
3日間の上達具合をどう比べるか、という問いかけから、
「割合=比べられる量÷もとにする量」を教わり、
次には、mの場合、gの場合、単位を替えて次々と例題が・・・。

そして、次のページではもうパーセントが出てきます。
「割合をあらわす0・01を1パーセントといい、1%と書きます。
パーセントで表わした割合を、百分率と言います。」

僅か2ページの中に、似ているけどちょっと違う
「割合」と「百分率」「パーセント」がドシャドシャ入ってきて、
しかもそこに、のんびりチャンが大概苦手とする単位が、
ゴシャゴシャ入っているの。

3ページ目にはなんと、「歩合」が出ていました。
「何割何分何厘」まで一気にやる必要がどこにあるの。勘弁して!


教科書を作っている人も、検定でそれを調べる人も、
きっと皆頭が良くて、算数のお勉強で苦労したことなんて
ないんだろうなって、そんな風に思えてきちゃいます。
一度、娘を貸してあげるから、どうやったら教えられるか、考えて欲しいわ。


と、グチばかりいっていても仕方ないので、今日は娘たちの大好きなリンゴで、導入部分をやって見ました。

分数に入る前、リンゴを分けていったら、分母が大きくなると量が減る事をしっかり覚えてくれたので(少しでも大きいほうをとりたいがためです)、今回も、それを利用してみようかなっと、試してみました。


まず、食後にリンゴをいつものように切っていきます。2分の一、4分の一、8分の一、分母が2倍されている事に注目させながら、次は何かを聞いてみます。ヒント出しながらですが、なんとか16分の1にたどり着き、そこからは、32分の1,64分の1と言えました。(リンゴ、大きかったのです)薄っぺらいのも楽しくいただいて、「ごちそうさま」。今度は紙にリンゴの絵を書きます。


その絵を両側から、姉妹それぞれがかじった様な線をいれ、「さぁ、どっちが多く食べたかな?どういう風に比べようか?」「キチンと分けて切ってあれば、何分のいくつかでわかるけど、こんなにギザギザに齧ったら、わからないよね。」


「そういう時がパーセントの出番だよ。パーセントはね、初めにリンゴを細かく、100に分けちゃうの。」と言いながら、縦線と横線で100の格子を作ります。(「本当は同じ大きさに分けるんだけど、、」といいながら、かなり大雑把にやってます)


100個に分かれたら、それぞれが食べたのは何個分か数えます。雰囲気がわかればいいから、これもかなり大雑把です。


で、数えた数字を分数の形で書いて見ます。妹は、100に分けたうちの27食べたのよね。27/100だね。姉は100に分けたうちの54か。   54/100だね。娘がパーセントという言葉を知ってはいることは、事前に確認済みなので、100で分けたうちのいくつ分かが、パーセントなんだよ。だから、妹は27パーセント、姉は54パーセント。あら、おねーちゃん、ちょっと食べすぎじゃないの(笑)で、今日の導入が終了です。


さぁ、明日はこれをどう展開させていくか、今夜また作戦を練ってみます。


 



運動会 組体操

2005-09-25 11:29:51 | 心理的成長

高学年の目玉は、組体操と騎馬戦。娘は体が軽いので、どうしても上になる事が多い。車の駒止め(高さ10センチ位)から飛び降りる勇気を出すまで、3年もかかった怖がりさんが、3段ピラミッドの上に乗るなんて、かなりすごい事。何度か落ちて、痛い思いをして、本番前日にも、「組体操、上はいやだなぁ、、、」とこぼしてた。


でも、ひとつの演目ごと、自分の立ち位置を確かめるように移動して、仲間の失敗にも、イライラしたり、カッカしたりする様子もなく、淡々と、そして精いっぱい頑張っていたね。体の伸ばしは、少し足りなかったけどね(硬すぎ!)、十分立派だった。


騎馬戦も、当然、「逃げ専門」なんだろうと思ってた。6年生の女の子とがっぷり組むなんて、そんな事ができるとは思わなかったよ。2回戦とも、帽子は結局取られちゃったけど、母はその姿勢に感動しました。


去年の採点係は、なんだかウロウロしてたよね。きっと何をやっているかも良くわからなかったのでしょう。今年の用具係では、壁に貼ってある予定表を何度も眺めに行って、次の手順を確認している様子が良く見えました。1,2年生の玉入れのときも、少しもサボらず玉集めをしてた。転がってくる玉を追って、右に左に走り回る君に、おじいちゃんもおばあちゃんも、心から感心してくれたよ。すっごく嬉しい運動会だった。


後はお友達だね。君の頑張りを一緒になって喜んでくれる友達がいたら、1等がもっと嬉しかったでしょう。どうにもしてあげられないことだけど、大丈夫。あなたにはいつか、きっと素敵な友達ができるよ。


 


時計追加

2005-09-22 11:28:29 | 2年算数

昨日、娘が時計を読んでいる時に気がつきました。


分を読むとき、スタートの12のところを0(ゼロ)でカウントしています。


ここには、整理した教え方を書いている私ですが、娘の時は手探り状態。ピッタリ来る教え方を求めて、その都度色んな教え方をしてしまいました。今思うと、「言葉」や「理解」の弱い娘を、かなり混乱させてしまったと思います。ごめんね。


その中から、彼女は自分にあったやり方を見つけたのでしょう。1から5,10と数えるのではなく、12から0,5、、と数えていく。これが娘の間違えない方法なんでしょうね。


ちなみに、この0(ゼロ)スタート、物差しの読みのときにも重宝します。ものさしも、スタートを1(いち)と読んでしまう子が多いんですよ。そういえば、数直線の問題でも、「6から3大きい数字は?」なんていうのを指でさしてやらせると、指している6を1とカウントして答えがずれちゃう子がいます。どれも、0スタートを身につけると克服できますよね。


そういえば、時計とものさしは良く似ています。単位がふたつ混ざり合う。そこがとても難しいのです。


昨日、パート先の学校で、ものさし読みに苦労している子を見ていて思ったのですが、「単位がふたつ」ということを、最初からしっかり刷り込んでしまったらどうでしょう。


時計、ものさしの読み方の問題の時は、毎回即座に、


________時____分  とか  ____cm___mm と書いてしまう。


そして、計った順に数字を入れていく。


ものさしの場合、___の上が0の時は、そこを消しゴムで消す。時間は「分」の方が0なら、そこを消す。


このやり方を繰返して、時間や長さが、ふたつの単位の数字を合わせた物だという感覚を『初めから」しっかり掴んでもらうと、いいような気がします。


どう思われますか?


時計の読み方

2005-09-19 11:27:07 | 2年算数

時計の読み方って、一度に色んな能力を使うんです。難しくて当たり前。


初めは、焦らずに「時」の針から読ませます。「短い針を読むんだよ。」皆さん、こう教えると思いますが、「短い」と「長い」が良くわからない子がいます。教科書などでは、短い針が大概太くなっていますので、子供の頭の中では「大きい針」と感じられるのかもしれません。


それから、「短い」という言葉を完全に聞き漏らしている子もいます。そういう子は、針の色で覚えたりするのですが、色は教具と教科書とで違う場合もあり、混乱の元です。だから、まず、そのお子さんがどちらの針を読むのかキチンと把握できているかどうかを確かめなくてはなりません。


その子にわかる言葉を使って、最初に見る針を探せるようにしてあげると良いと思うんです。見つけたら、混乱を避けるために、もう一本の針を指で押さえて見えなくしちゃうとか、自分で色を塗り分けさせるとか、本人がどこでも出来る、迷わない方法を作ります。


針を確実に捕まえられるようになったら、その針先を指でたどって、数字を読ませます。まず、ちょうどの時間から。これは、割合すんなりいくと思います。何度もやらせて、ここでしっかり自信をつけさせたいです。


次に、針が数字と数字の間にある時。これが難関。難しいこと説明すると、かえって混乱してしまう子が多いので、ルールだけを刷り込みます。「間にあったら、手前の数字」と、念仏みたいに唱えてやらせます。この段階で「だいたい何時?」なんていうのをやると、大混乱になるので、あえて触れません。


このルールが刷り込まれたら、ようやく「分」の針に進みます。


教科書には、分針ひと目盛ずつに、自分で数字を入れていくというところもあります。そういうのをしっかりやって、こちらの針は時計に書いてある数字ではなく、外に自分で書き入れた細かい数字を読むんだということを覚えてもらいます。


「分」が読めるようになるまで、練習問題を繰返します。わからなくて嫌にならないように、最初は、分の数字びっしり時計に書き込んだもので練習しても良いと思います。


その数字を、次の段階では5分置きのところに記入するようにしていきます。因みに、5とび数えは九九の練習にもなりますし、数直線の問題にも生かせますから、親子で、(ごぉ、じゅうぅ、じゅうご、にじゅう・・・)と、唱えながら記入することを、繰返してみるといいと思うんです。


「時」の時計を読むときの数字の外側に5、10,15と書いていきます。12時のところを、0にして、1時のところから5とびで数えるという事がわからず、12時のところから5,10。15とやる子がいますので、これも一緒に何度もやって刷り込みましょう。


数を数える時に、5の区切りを意識する事が出来るようになると少し楽なのですが、子どもによってはこれがなかなか出来ない子がいます。


時計読みがそのいいトレーニングにもなると思いますので、5とか、10から、6,7・・や11,12・・・と続けて読む練習もしていくといいです。苦手な子は、今指差している5のところを、6と読んだりします。


また、小さな目盛りを目だけで追うのが苦手な子もいます。指先だと混乱するので、鉛筆の先で一つづつ押さえるように言ってあげてもいいかもしれません。


 


そこそこ出来たら、あわせ技です。


まず、「時」から読むこと。次に「分」を読むこと。それが刷り込まれるまで、こちらで○時△分と書いておいて、○、△を埋めていく練習もしたらどうでしょう。


時を読んだら、すぐに○の数字を書く。分を読んだらすぐ△を書く。この方法だと、途中で忘れてストレスになる事が少なくて済みます。


私は短気なので、せっかく読めた「時」の針の数字を、「分」を読んでいる間に忘れられると、ものすごーーくイライラします。親のイライラを避けるのにも、スモールステップは大事です。


次の段階では、自分で「時」や「分」も書けるようにしきます。「時」とか「分」とか、大事な漢字だから、なんども練習して覚えちゃうと得ですからね。ただ、これも最初から書かせようとすると、「漢字を思い出す」に脳を使ってしまうので、まずは、手順を覚える事を優先させたほうが良いようにおもうんです。


これが出来て初めて、何時半の「半」を説明しますが、これもシンプルに「30分のことを半という」くらいの方がすんなり受け止めてくれるようです。特に言葉の弱い娘の場合、長々説明すると混乱して、かえって訳がわからなくなっていました。


 


 


意地悪母さん

2005-09-17 01:02:43 | 心理的成長

昨日、見学した中学がこちらの希望にピッタリで、浮かれていた私。帰ってきて、るんるんしながら恒例のノートチェック。先生方が一週間の学習内容を事前にプリントで教えてくださるので、何をやった筈なのかはだいたいわかる。


金曜は、漢字ドリルの日。そして、国語はプリントを埋めていく形の学習があったはず。これはどちらも娘が悩まずに出来る物だ。なのに、漢字は全然進んでいない。プリントも少しも埋めて来ない。


優しい声で、「何故出来なかったの?」と聞いてみる。こういう声の時の私は怖いと、娘には刷り込まれてしまっているようで、答えるのに必死の勇気を振り絞っている。


「怒られるけど、私が悪いんだから、言わなくちゃ」と、口の中でつぶやいてから、「ボーーっとしちゃいました。」と、蚊のなく声。


頼むよ。2時間ボーーとしないでよ!!中学はいいとこだけど、肝心の君がその調子では困るだろーー。


こういう時は容赦はしない。「じゃあ、帰ってから2時間は勉強ね。」と冷徹に宣言してあげる。いつもはブーたれる娘も引け目があるので、「ハイ、わかりました」と素直なものだ。


「学校でサボると後がきつい」が刷り込まれるまで、意地悪母さんになるつもりなのだよ。ガミガミ母さんについていられるのは嫌だよねぇ。だから早く覚えようね。「やらなきゃいけないことは、やるべき時間に少しでも減らしておくと楽なんだ!」っていうことをね。


 


 


「わかる」より「できる」

2005-09-16 01:01:22 | 先生方に③ 親の思い 

娘が1年生のときは、「何とかわからせよう」と必死に努力してきました。


1が10個で10になる事、10が2個で20になる事、それがどうしてなのか、お金やブロックを使ってさんざん教えました。でも、娘は手強くて、わかったかと思うと、次のテストで大どんでん返しをしてくれます。


そんなことを繰返していくうちに、何時の間にか、「わかる」より「できる」を大事にする我が家流の勉強法が出来上がってきたのです。


だってね、「わからない」事を「わかれ、わかれ」と言われたって、困っちゃうだけでしょう。さんざん説明してもらって、それでも出来なくて、大好きな(たぶん、その頃は、そうだったと思うなぁ)ママの、がっかりした顔を見せられて、それじゃぁ、勉強って辛いだけじゃないですか。辛い事を我慢して頑張れるほど、私は出来た人間じゃないんです。幼い娘にだけ、「あんたは辛くても頑張りなさい!」なんて、私には恥ずかしくてとても言えません。


怒鳴りつけたり、引っ叩いたりも実は何度もあったけど、最後には必ず「ほーーら、怒られてもあそこで踏ん張ったから出来るようになったじゃない」に落としてきました。どうしても出来ない事は、ズルしてでも(彼女ができる形に誘導しちゃうの)、「私も出来た!」に持っていってしまいます。


それしか道はなかったと、今振り返っても思うのですが、時々、置き去りにしてきた「わかる」が気になりだすことがあります。


あの時、「出来る」を後回しにしてでも、「わかる」まで、しつこくその単元を責めていたら、彼女は違う伸びを見せただろうかと。


同じ子どもで実験するわけには行かないから、答えは見つけようがないのですけれど、そんな事もたまに思ったりするのです。


でも、パートタイムで行っている学校で、娘のように「わからない」子達を見ていると、やっぱり「出来た」優先でいこうって思うんです。


理屈がわからなくても、ルールに従って計算の解き方を覚えて、何度も練習して早くなって、みんなと同じにドリルが出せたとき、子ども達は誇らしげな笑顔を見せます。


その笑顔と、小さな自信を大事にして欲しいの。やり方さえわかれば、かなりの事が出来るんだ。そう信じられれば、もう少しもう少しって、ずっと頑張れるはずだから。