「キチンとした親」を印象付けるようにした。
ということを書きましたが、これも程度が大事。
「キチンとしすぎた親」になってしまうと、
学校側に煙たがられる恐れがあります。
例えば、学校説明会にジーパン、サンダル履きでやってくる親も、
「ちょっと・・」でしょうけれど、
全身これでもかというブランドスーツで固め
ありったけの装飾品をつけてくるのも、「ちょっと・・」でしょ。
同じように、相談会での質問、相談の仕方にも、
相手が負担に思うほどの気合を入れたら逆効果だと思うんです。
特に我々、のんびりチャンの親というのは、こうしてネットや本で「お勉強」して
すっかり「理論武装」しちゃっているところがあるわけですが、
それを前面に出しちゃぁ,相手を構えさせちゃう。
学校にいるから良くわかりますけれど、先生方のこうした分野に対する知識って
実に薄いです。
もちろん、中には興味関心を持って知識を仕入れてくださっている方もいますけれど、
日常的にのんびりチャンに接し、支えている親のそれには比べようもないのです。
なんたって、真剣度が違う(笑)。
その親が、「先生だからこれくらいは知っているはず」と、
「専門用語」を繰り出して、色々相談してきた場合、
話しの中身そのものよりも、
「何だか難しい事をいう親」という印象ばかりが
残ってしまう恐れがあります。
入学後、ある程度人間関係を築いた上でのことなら、
また印象は違いますが、入学前、また入学直後は、
少なくともその先生なり学校なりの
知識、関心レベルが掴めるまで、
同じことを伝えるのでも「専門用語」を避け、
より平易に、相手が想像しやすいようにと
考えてお話しする方が無難だと思うのです。
そうはいっても、のんびりチャンの親として、
入学後の対応について確かめておきたいところはあります。
そういう場面で、私は、「心配症の親」の顔を使います。
「うちの子はこういうところがあるんですが、この学校ではこういうことをしてくれますか。」
と「しっかり者の親」が尋ねると、相手は構えます。
要求を突きつけられるような気になってしまうんですね。
そうすると、「もし出来なかったら・・・」「思った以上にお子さんが大変だったら・・・」
と、なかなか答えが出せなくなってしまいます。
同じことでも、
「うちの子は、こういうところが心配なんです。入った後、大丈夫でしょうか・・・?」
と「心配症の親」の顔で、不安そうに尋ねると、大概の先生は、
「そういうことなら、こんな方法もありますし、こういったことも・・・。」
と、親の心配を和らげようとしてくれます。
子供のためにやって欲しいことがあったら、
親から要求するのではなく、先生の方から言いだしたり
はじめてくれるように仕向ける。
これが親の王道ではないかと・・(笑)。
また、この時に出てくる「案」の内容で、ある程度、学校の雰囲気も掴めたりします。
同じような傾向のあるお子さんに対応したことがありそうか、
でてくる「案」が、理にかなっていて前向きのものか。
その辺りを判断する材料にもなります。
ということを書きましたが、これも程度が大事。
「キチンとしすぎた親」になってしまうと、
学校側に煙たがられる恐れがあります。
例えば、学校説明会にジーパン、サンダル履きでやってくる親も、
「ちょっと・・」でしょうけれど、
全身これでもかというブランドスーツで固め
ありったけの装飾品をつけてくるのも、「ちょっと・・」でしょ。
同じように、相談会での質問、相談の仕方にも、
相手が負担に思うほどの気合を入れたら逆効果だと思うんです。
特に我々、のんびりチャンの親というのは、こうしてネットや本で「お勉強」して
すっかり「理論武装」しちゃっているところがあるわけですが、
それを前面に出しちゃぁ,相手を構えさせちゃう。
学校にいるから良くわかりますけれど、先生方のこうした分野に対する知識って
実に薄いです。
もちろん、中には興味関心を持って知識を仕入れてくださっている方もいますけれど、
日常的にのんびりチャンに接し、支えている親のそれには比べようもないのです。
なんたって、真剣度が違う(笑)。
その親が、「先生だからこれくらいは知っているはず」と、
「専門用語」を繰り出して、色々相談してきた場合、
話しの中身そのものよりも、
「何だか難しい事をいう親」という印象ばかりが
残ってしまう恐れがあります。
入学後、ある程度人間関係を築いた上でのことなら、
また印象は違いますが、入学前、また入学直後は、
少なくともその先生なり学校なりの
知識、関心レベルが掴めるまで、
同じことを伝えるのでも「専門用語」を避け、
より平易に、相手が想像しやすいようにと
考えてお話しする方が無難だと思うのです。
そうはいっても、のんびりチャンの親として、
入学後の対応について確かめておきたいところはあります。
そういう場面で、私は、「心配症の親」の顔を使います。
「うちの子はこういうところがあるんですが、この学校ではこういうことをしてくれますか。」
と「しっかり者の親」が尋ねると、相手は構えます。
要求を突きつけられるような気になってしまうんですね。
そうすると、「もし出来なかったら・・・」「思った以上にお子さんが大変だったら・・・」
と、なかなか答えが出せなくなってしまいます。
同じことでも、
「うちの子は、こういうところが心配なんです。入った後、大丈夫でしょうか・・・?」
と「心配症の親」の顔で、不安そうに尋ねると、大概の先生は、
「そういうことなら、こんな方法もありますし、こういったことも・・・。」
と、親の心配を和らげようとしてくれます。
子供のためにやって欲しいことがあったら、
親から要求するのではなく、先生の方から言いだしたり
はじめてくれるように仕向ける。
これが親の王道ではないかと・・(笑)。
また、この時に出てくる「案」の内容で、ある程度、学校の雰囲気も掴めたりします。
同じような傾向のあるお子さんに対応したことがありそうか、
でてくる「案」が、理にかなっていて前向きのものか。
その辺りを判断する材料にもなります。