のんびり娘の謎

10円が2個で、、、12円?今日の前の日は、、、前の日?のんびり娘のお答えは、理解できない謎ばかり。さぁ、どうする?

アレキサンダと・・スーパー先生

2009-02-28 10:32:42 | 先生方に①スーパー授業
2年生の国語です。
まとめの時期に入ってきまして、各クラス教科書の最後の
長文に取り組み始めました。
うちの学校の2年生は、本物のねずみと玩具のねずみが出て来るお話。

スーパー先生は、例によって「読み聞かせ」からこの単元に入りました。
最初はただ「聞く」ことで、お話の全体の流れを掴み感じさせるのだと思います。
先生の読み方もお上手なので、子ども達は静かに集中して聞いています。
そうして、読み終わったらすぐに「どうだった?」と問い掛けます。
だまって聞いていた子ども達は、言いたい事がいっぱい。
先を争って、口々に、色んな意見が出ますよね。

それを先生は、実に楽しそうに、
「そうだったよね。何でそうなったんだっけ?」
と、問いかけ返し、
その反応をまた拾って、
「最初はどうしたかったんだっけ?」
と、また返す。

このやり取りの中で、実はそれほど深く読み取れていなかった、
或いは意味の取り違えをしていた子ども達にも
「そうだったんだ。」
という気付きが生まれてきます。
しかも、心理的な負担は一切無し。集団で学ぶよさが生かされている部分だと思います。

そのあと、スーパー先生はこれも「恒例」のイラストチェックに入ります。
各ページに書かれたイラストをみながら、
「何が書いてある?」
と問い掛けていくことで、お話の流れをたどる作業をするんですね。

以前にも書きましたが、スーパー先生はこの「イラスト」の使い方が非常にお上手です。
絵の変化から、お話の展開を追っていくという事に使うのはもちろん、
文章だけでは読み取りにくいところ、読み飛ばしてしまいそうになるところを、
イラストや写真に書き込ませることで、しっかりと意識させたり、
子ども達の知らない語彙を、絵と結びつけて覚えさせたり、
その単元ごとに実に上手に利用しています。

さて、今回のイラストには2匹のねずみが登場します。
よく似たねずみですが、片方は足のついた本物のねずみ。
もう片方は車輪とぜんまいのついた「ぜんまいねずみ」
名前は「アレクサンダ」と「ウィリー」です。
横文字の名前、覚えにくいし、混乱しやすいですよね。

スーパー先生は、イラストみながら、
「これは、アレキサンダ?それともウィリー?」
とやっていきます。
何ページにも亘ってイラストはありますから、
見分けようとする子ども達は、自然とその特徴の違いに注目するようになりますね。
何ページにも亘ってイラストはありますから、
「これは?」「これは?」とやっていくうちに、見分けるのも、長ったらしい横文字の名前を口にするのも、いつしか自然にできるようになっているのです。

最後には、どちらがどちらかわからなくなった
(お話は、捨てられそうになった玩具のねずみを魔法の力で本物のねずみに変えてもらうという結末です)2匹のねずみがダンスを踊っている絵がでてきます。

これはもう、大人の力では判別不能なんですけど、
子ども達は、色々な理由をみつけて、
「左が・・・で、右が~だ。」
といろいろ考えるんですね。
ここは先生特に止めも諭しもせず、
「そっかぁ。なるほどねぇ。」
と感心してます。

アレキサンダとウィリーの特性の違いに注目できて、
それがどう変化したかがわかればいいのですから、
それ以上の部分で、
「本当はこうだ。とか、それじゃぁおかしいだろ」
とか、厳密にする事の意味はないから。

ただ、こうした発言の中で、もしも
理解のベースで間違っている、ずれているというものがあれば
「そうかい?そうかいてあったかい?」
と、しっかり文章を読むように仕向けますし、
集団の中で、上手に修正されるように持っていきます。


このようにして、新しい単元は始まりました。
スーパー先生の授業は、いつも私が思っているよりはるかに深いところに
子ども達を連れて行きますので、今回もこのクラスの子ども達がどこまで深く
お話にもぐりこんでゆくのか、楽しみに授業に参加させてもらおうと思います。






授業でも泣けるの続きです。

2008-10-09 20:20:16 | 先生方に①スーパー授業
で、この単元さいごのワークシート。

森の片隅に小さなお墓を作ったひよことアヒルとウサギが
きつねにどんな想いを伝えたいか、
みんなひよこ達の気持になって手紙を書きました。
やっぱり全員びっしりと。

そして、それをひとりずつ発表している時、
自分の書いた手紙を読みながらO君の目にジワジワと涙が浮かんできて、
そして自分の番が終わって次の子が読んでいるうちに
それは止められない感情になって号泣。

普通ね、男の子が授業中に泣き出したら冷やかす子がひとりふたりいると思うんですよ。
でもね、きっと皆その子の気持ちがわかるから。そこまで深く全員がお話の中に入っているから、誰も笑ったり冷やかしたりしなかった。
突っ込みが信条の関西育ちのHくんだってね。
「O君が感激して泣いてる。」
と、皆わかってるから。

すっごくいい時間を分けてもらえた気がするの。
授業っていいなぁ。学びあうっていいなぁ。
スーパー先生のクラスではよくそう思うのだけれど
今回はまた格別に素敵な時間をもらえました。


国語の授業でも泣いちゃえるんだね

2008-10-09 19:53:52 | 先生方に①スーパー授業
またまたスーパー先生の授業について書きたくて書きたくて・・。

先日、この先生のクラスの国語の授業の中でひとりの男の子が泣き出したんです。
「せんせーい。O君感激して泣いているよ。」
と、周りの子ども達。
「それを見た先生も、感激して泣きたくなっちゃうよ。」
と先生。
実は私も涙がジワーッと浮かんでくるそんな時間があったので・・。


勤務先の学校の国語の教科書には
「きつねのおきゃくさま」
という単元があります。主人公の心の動きに気をつけて読む物語文です。
ちょっと悲しいの。かいつまんで(本当はかいつままない方がいいので機会があったらちゃんとよんでください)ないようをかくと・・

腹ペコ狐が歩いていると、やせたひよこに出会った。
ひよこは狐に
「どこかにいいすみかがないかなぁ」
と相談。太らせてから食べようと考えた狐は自分の住処に連れて行く。
でも、ひよこが「きつねおにいちゃんってやさしいね。」
というのを聞いてやさしくやさしくお世話をしてしまう。
ある日ひよこが「散歩にいきたい」といった。
逃げる気かと疑った狐はそっと後をつける。
やせたアヒルに出会ったひよこは、アヒルにも狐の家で住む事を薦める。
当然アヒルはびっくり。
「とうんでもない。がぶりとやられるぜ。」
「ううん。きつねお兄ちゃんはとっても親切なんだよ。」
これを聞いたきつねはうっとり、急いでうちに帰って二人を迎え
親切に親切に世話をした。
季節が変わり、ひよことアヒルが散歩に行きたいと言い出した。
逃げる気かと思ったきつねは今度も後をつけていった。
やせたウサギに出会ったひよことあひるはウサギも誘う。
「とうんでもない。がぶりとやられるぜ。」
「ううん。きつねおにいちゃんは神様みたいなんだよ。」
きつねはそう、神様みたいに3人のお世話をした。
ある日、山から狼が下りてきてひよこ達のにおいをかぎつけた。
そこへきつねが飛び出して、勇ましく戦いついに狼を追い払った。
そのばん、きつねははずかしそうにわらってしんだ。

そういうお話。

「食べよう」としたきもちが
生まれて初めて言われた
「やさしい」とか「親切」とか「神様みたい」とかという言葉を聞くたびにかわっていくその気持ちの変化を読み取り、
「恥ずかしそうに笑って死んだ」きつねの心情を捉えるのは
二年生にはなかなか難しいだろうと私は思ったし、他のクラスの先生で、
「ここまでは二年生無理ですよね。何人かはそこまでわかるかもしれないけど・・」
と言った方もいる。

でもね、スーパー先生のクラスで
「はずかしそうにわらってしんだ」きつねが、ひよこやアヒルやウサギに言いたかった事をきつねにかわって手紙にしてあげようという課題をやった時、
クラス全員がびっしりとワークシートを埋めていた。

「おれ、本当は皆を食べちゃうつもりだったんだよ。でも「やさしい」とか「親切」とか言われて食べられなくなっちゃったんだ。生まれて初めてやさしいって言われてうれしかったよ。ありがとう。てんごくからみまもってるからね。」
「さいごまで育ててあげられなくてごめんな。でもおれ天国から皆の事を見守ってるからな。いっしょにくらしてくれてありがとうな。」
「やさしいおにいちゃんって言ってくれてありがとう。生まれて始めて言われたから本当に嬉かったんだ。でもおれ、さいしょは食べようと思ってたんだよ。やさしくて親切で神様みたいなのはおれじゃなくて、おまえたちだよ。」
「狼をやっつけようと飛び出したのに、頑張れなくてごめんな。もっといっしょにすみたかったのにしんじゃってごめんな。」

一年生の半ばぐらいまで殆ど学校にいってなかったやんちゃ坊主のHくんも、日本語がまだ弱いハーフのM君も、お話が苦手なMちゃんも、
「やさしくて親切で神様みたいでそのうえゆうかんな」、そして本当は「太らせてから食べよう」という動機でひよこを家に入れたきつねの気持になって手紙を書いているのでした。


ちょっとの違いが大きいのです。

2008-09-05 14:33:16 | 先生方に①スーパー授業
昨日の記事の続きになります。

「鳥のちえ」という二年生の単元で紹介されている
「ささごい」。
熊本県の水前寺公園に住んでいるささごいという鳥は、
くわえた虫を水面に落として、魚をおびき寄せてからとるのだそうです。
使うのは虫だけではなく、
木の葉のきれはし、木の実、きのこ、小えだなども
えさに見せかけると書いてあります。

この部分音読したあとで、先生からの問いかけ。
クラスの子供達に「何がすごい?」「どうやってる?」
と問いかけ、子ども達が答えていくことで、
内容理解の甘い子ども達にも、少しずつ
「そうだったんだ」が広がっていく感じです。

さて、虫を使って、魚をおびき寄せる面白さをクラス全体が感じたころ、

「使うのは虫だけ?他には何を使うの?」
という問いかけがされます。

手をあげて、
「木のは!」
と答える子。
「えっ、木のは?このぐらいの?(と、手で大きさを作ります)」
ここで、違うと気付く子達の手が一段高く上がります。
「木のはのきれはし!」
「そうだねぇ。最後までキチンと読めたねぇ。でもさ、きれはしってなんだい?きれいなはし?」
このとき、こどもたちの顔を見たんですけど、
かなりの数の子が「きれはし」ってなんだかわかっていなかったようです。
でも、教室には必ずひとりやふたりこういう言葉に強い子がいて、
その子達が手をあげて答えることで、
知らなかった子達も恥をかいたり困ったりする事なく、
新しい言葉を知る事が出来るんですね。
スーパー先生はそんな風に、クラスを構成する子供たち一人一人の力を
上手に全体に生かしていきます。

新しい言葉に触れた子ども達。
それをより印象に残すために、スーパー先生はもう一工夫されています。

この単元には、鳥たちの行動を追った写真が大きく載せてあるのですが
これを上手に利用するんです。

画像が無いので申し訳ないのですが、

ささごいの項には全部で5枚の写真が使われています。

1、池の石の上に、虫を加えて立っているささごい
2、その虫を水面に落とし、輪の広がる池の水面をじっと見つめているささごい
3、虫を落とした波紋のそばに、別の波紋が浮かんできた(そこの方にいた魚が近づいてきたんですね)水面を鋭い目でじっと見つめるささごい
4、水の飛沫の中で、きらめく魚を鋭いくちばしにくわえているささごい

これが教科書上部に順を追ってズラッと並んでいます。
スーパー先生は、1枚目のささごいがくちばしにくわえている「虫」
に丸をつけさせ、そこに「虫」と書きこみさせました。
内容をつかまえながらの授業の中で、
「虫だって?どこにいるか探してみて?」という風に流れに沿って自然にね。
そうして4枚目では、やはり授業の流れに沿いながら「魚」に丸をつけ「魚」と書きこみさせました。

廻ってみるとわかるんですけど、最初の写真が虫だと気付かず、魚だと思い込んでいる子も何人かいるんですよ。そういう子達は写真という資料の使い方、見方がまだ良くわかっていないわけですから、こうして写真(資料)を意識させる働きかけを続けていく事が有効なんですよね。

更に、他の先生が素通りしがちなもう一枚の写真にもスーパー先生はしっかり触れました。
その1枚は、
5、若葉茂る枝の中に隠れるように入っているささごい。そのくちばしにはホンのポッチリとであるけれど、周りの若葉と同じ色合いの「木のはのきれはし」がくわえられている。
というものです。

正直に言いますと、私はこの写真の「木の葉のきれはし」に最初気付いていませんでした。1から4までの写真がバックが暗い白黒のような写真なのに対し、5は緑鮮やかな写真なので、その綺麗さに目を奪われ、単にささごいという鳥の全体を見るための写真だと思ってました。

スーパー先生は、「木の葉のきれはし」がなんなのか、子ども達が言葉でわかったのを見はからって、今度はこの写真で「木の葉のきれはし」に注目させたんですね。
そうして、そこに「木の葉のきれはし」と言葉を書かせた。


「木のはのきれはし」という言葉を子ども達に教えよう。
というのでも、
ただ言葉で「木の葉のちぎれたものだよ」というように説明するのと、
「きれはしってなんだろう?」という問いかけで、
自分はどうも良く知らない言葉らしいと感じてから、
友達の意見や先生の言葉でしっていくのと、
それだけでも、脳への残り方はだいぶ違うと思うんです。
そこへ、写真というものを使って、視覚的なイメージを入れていく。
それも、「書く」という作業を通して、より子どもの脳に残りやすくしている。

スーパー先生の授業から、私はそんな事を感じました。
だからね、このクラスの子達は学習がちっとも辛そうではないのです。






スーパー先生に学ぶ

2008-09-04 22:38:34 | 先生方に①スーパー授業
国語のTTって、いったい何をしたもんかと、
始める前は考えましたが、動き出してみると、
結局「困っているこの謎を解きほぐす」
という点で、算数とそれほど変わりないんだなって思えます。
さて、その「謎」なんですけど、算数以上に
「あぁ、そうだったのか!」
っていうのが多いです。

例えば、二年生の国語。
今は「鳥のちえ」という説明文の読み取りをしています。
手元に本が無いので、うろ覚えですみませんが1部、私の記憶で抜粋すると・・

カラスが空から道路に貝を落としています。なぜこんな事をするのでしょう?
カラスは、固い道路に貝を落として割っているのです。
一度で割れないときはもう一度。それでも割れないときは何度でも繰り返して落とします。
固い木の実は、道路に置いて車に引かせることもあります。

次の段落では、「ささごい」という鳥が、
虫を使って魚を水面におびき寄せ、つかまえる話が、
その次の段落には、「やまがら」という鳥が、
秋に1000個以上の木の実を別々の場所に隠し、
数ヶ月たってもその場所をちゃんと覚えていることなどが書いてあります。

うちの二年生は、この単元を共通のワークシートを使って勉強しました。
1枚目のワークシートには、3種類の鳥の絵が描いてあって、その下に文を書く欄が設けてあります。
最初の段階で、それぞれの鳥のどこがすごいのか。どんな知恵があるのかを短く書き出すワークシートです。

このワークシートに取り組む時、スーパー先生は、
「カラスは・・・・がすごい!ささごいは・・・がすごい!やまがらは・・・がすごい!
って、最後に『すごい!』がつくように書いてごらん。」
とおっしゃって、子ども達が自然に自分の言葉で書き出せるようにしていました。

スーパー先生は、実に上手に授業を進めていかれる方なので、
このクラスでは、「うまく文章に出来ない。」とか「字が思い出せない」とか、
そういうフォローをするだけでよかったのですが、翌日お隣のクラスで同じところを見て「あぁ・・・」って思いました。

手の止まっている何人かの子どものところを回りながら、ピンとくるものがあったので、
「ねぇ、カラスなんで貝を落としてるんだろう?」
とたずねてみると、
「・・遊んでる?」
って返って来たんですね。
「カラスって、貝の中身食べるんだって知ってた?」
「ううん。そうなの?」

この文章写真もちゃんとついているんだけど、
カラスが落として割った貝は巻貝。写真には中身は写ってないから
「カラスが食べる」という事がイメージできなかったんだろうね。
そう思って文章を読んでみると、
「カラスは食べるために貝を割る」
何ていう事は特にかかれてないの。
それは自明の理として、
食べ物を得るために、カラスがする工夫が
面白くわかりやすく書かれているの。

でも、根本の「食べるために」という事がイメージできていなければ、
「ちえがある」とか「すごい」とか感じられないわけですわ。

自分の家庭を振り返っても、貝っていえばアサリとかしじみとか
2枚貝しか食べさせてない。私の子どものころは、「海水浴=サザエのつぼ焼き」だったんですけど、最近は見ないねぇ。
うちの田舎は、全国でも珍しく落花生を茹でて食べる地域なんで、
殻を取って中身を食べるという体験は非常に豊富だったけど、
うちの子たちは、年に一回、夏休みに田舎にいったときぐらい。
小さい頃、のんびり娘のために何度も向いてあげた甘栗だって、
最近は「むいちゃいました」みたいなので済ませちゃってますもんね。
貝の中身を取り出したり、木の実を割るのに苦労したってこと
たぶん殆どのお子さんが持ってないんだろうなって思います。
だから、わからないのよね。

スーパー先生のクラスではこういう事に気がつかなかったのは、
先生がとても上手に子供達に文の内容を想像させていたからなんだと
思います。
この先生は、「言葉だけ」の説明にしないし、
「わかっているはず」というものの見方をしない。
やっぱりすごいなぁ・・。

廊下の掲示

2008-01-25 15:54:37 | 先生方に①スーパー授業
一昨日昨日今日と、またまたスーパー先生の素敵さを見せつけられました。
廊下の壁に張り出される子ども達の図工の作品。
今回は、「絵の具で毛糸の帽子を描く」でした。

一昨日、算数の授業のためにこのクラスに入っていくと、
珍しく先生が別の事をされています。
黒板に張った絵、机の上にはニット帽。
そして、先生はチョークで黒板に短い線をいっぱい・・・。
そう、次の図工で取り組む課題の説明をしていたんですね。

天辺にボンボンのついたニット帽の質感を、
短い線の組み合わせで表現します。
帽子のように下に行くにつれて次第に広がっていくためには
どんな線の引き方をしたらいいのか、
子ども達の口から、自然と「『ハ』だ!」と声があがります。
その声を上手に拾って、次へ繋げていく先生。
そうして、最後に、
「明日は、このふわふわな帽子を描きます。
みんなどんな色を使うか決めておいてね。
2色か3色がいいかな。
先生は今2色で描いたよね。
でも、こんな風に4色使ったこともあるんだよ。」
と、ここでもう一枚のサンプル。
実物の帽子(これは子ども達が持ってきてくれたらしいです)を手にとって、
「紫とと黄色もいいね。」
「ピンクと赤なんていうのも可愛いかなぁ。」
「茶色と緑っていうのもあるんだねぇ。」
と、お話する間に、子ども達の頭の中には
明日描く帽子がちゃんと浮かんでいるようでした。

この「予告」が、スーパー先生のスーパーたる所以だなぁって、私は思うんです。
皆さんがどうだったのかわかりませんが、私はこういう予告を先生から受けた覚えが殆どありません。
そうして、「技法」としての描きかたの指導も受けた覚えがありません。
何で自分が下手くそなのか、わからないまま
「苦手だからやらない!」を決め込んでいました。
描いているうちに嫌になるので、「まぁいいや!」って雑に塗ってました。
スーパー先生の教え方を見ていると、
「そうやって描けば、あんな感じが出せたんだ。」って、
このクラスの子ども達が羨ましくてしようがなくなります。
もう一度小学生になれるなら、どうしてもこの先生に教わりたいなぁ。


さて、教室の子ども達。
昨日、図工の時間に廊下を通りかかったので、のぞいてみると
みんな一心不乱に(本当に良く集中してます)画用紙に向かっていました。
このクラスにだって、発達障碍系のお子さんは何人かいますし、
2学期の終わりに転校してくるまで、殆ど学校には行っていなかったという
お喋り大好きな金髪坊や(染めてます)もいます。
でも、殆ど声がしないの。
廊下の窓から覗いている私に気付く子もいない。

20分休みに入った帰りに寄ってみると、黒板には完成した子ども達の絵がビッシリ張ってあって、
それがまた、それぞれの個性溢れた色合いと形になっていて、
飾っているスーパー先生も嬉しそう。
そう、「技法」が一緒でもそれぞれの個性はちゃんと出るんですね。
「この絵は集中力が無いと描けないんですよね。」と先生。
全部が短い線(点描の様でもありますが、方向性がありますので線ですね)で
描かれていますから、集中が切れるとその線が重なったり
太さがバラバラになったりしちゃいます。
完成した作品は、それがみんな最後までしっかりかけています。
これは、一人一人が自分の作品を大事に思って描かなければ出来ない事ですよね。

あっ、一人だけ最後の方で線が崩れてしまったお子さんがいました。
「Mちゃんですか?」
「そう。でも良く頑張ったよね。」
Mちゃんは、姿勢をキープしている事も苦手。
頑張れる時間は最初のうちウルトラマンクラスでした。
でも、少しずつ少しずつその時間が長くなってきて、
今はどの学習でも何とか最後ちかくまで頑張れるようになってます。
(もっとも適度の息ぬきはしている様子ですけどね)
根気の要る細かい作業は何より苦手なのに、よくここまで丁寧に書いたなぁと
頑張りの方に感心しちゃいました。

スーパー先生Mちゃんの絵をじっと眺めて、
「この辺で切って飾ってあげるといいかな。」

それぞれの子どものやったものだから、失敗だろうが何だろうがそのまま飾った方がいいという考え方もあるだろうと思います。
でも、私はスーパー先生のこういうところが大すきです。


今日、廊下に張られた作品は、みんな胸をはっているようでした。
Mちゃんのもちょうどいいところでカットされて、素敵な台紙に張られていました。
台紙があるので、他のお子さんたちの画用紙と少しサイズが違う事は誰にもわかりません。
私が眺めていると、何人もの子ども達がやってきて、
自分の帽子を自慢してくれました。


先生が子供達に教えているのは、
「こういう描きかたもあるんだよ」
「こういう風に描くとこんな事も出きるんだよ。」
ということと、自分で作り出す事の楽しさです。

通常「作る楽しさ」っていうとね、
作業をしているときだけの事に目が行きますけど、
本当は、
「作る前に計画を練る楽しさ」
「実際に作っているときの楽しさ」
そして、
「出来上がったものを満足して眺める楽しさ」
の複数の楽しさがあると思うんです。

失敗した部分を残されて、
「こうしたら失敗しなかったのに」と
教訓めいた話しをされるより、
自分の作品が、素敵に飾られているのを見るほうが
先生の教えたい事がより伝わっていくと思うのね。








スーパー先生は算数も・・・国語も・・・朝の会もなんです。

2007-11-03 22:26:11 | 先生方に①スーパー授業
昨日の記事にはたくさんコメントをいただきましたスーパー先生。
他の教科もすごいんです。

いえ教科だけではないですね。朝の会もちょっと違う。
と言っても、何か特別な事をするわけでもないんですよ。
色んなクラスで取り組んでいる『1分間スピーチ(と言っても1分も喋る子はまずいないですが・・)』。これも実に計画的に子ども達の身につけるスキルを増やしていきます。

入学してしばらくしてこのスピーチは始まります。
スーパー先生は1日1班(4人位です)で進めていきます。
もちろん、しっかり予告もしますし、
最初のうちはお話のパターンをしっかり身に付けさせる働きかけをしていきます。
「きのう、こうえんで、だれだれちゃんとすべりだいをしました。たのしかったです。」
みたいなものから始まりますが、
発表しておしまいではなくて、その後に質問タイムももうけます。
手をあげて、班長さんにさしてもらって、
「だれだれ君にしつもんします。すべりだいは何回すべりましたか?」
みたいなことを大真面目な顔をして(記者会見のような雰囲気が漂っていますよ)、
質問すると、
「さんかいです。わかりましたか。」
とお答えがあり、
「はいわかりました。」
となるわけです。

相手にわかってもらうために最低限必要な会話のパターンや態度を、
まずはこうして繰り返しで身につけさせていくんですね。

そうしていくうちに少しずつ子ども達が語る要素が増えていきます。
質問の内容もすこしづつバリエーションが増えてきます。
先生が無理に「こんな事を聞いてみな。」とか「毎日そればっかりね。」
などといわなくても、こういう風に言えばいいんだとわかった子ども達は自然に
自分の言いたい事を膨らませていくようになるんですね。

子ども達がこのやり方に慣れてきたと思われる頃、先生は次の段階に移ります。
「テーマを決めて話す」
「好きな食べ物」とか「好きな動物」とか、6つのテーマを決めて紙に書き
黒板に張っておきます。
そして大きなサイコロを用意。1から6までの番号が書いてあります。

テレビの「ごきげんよう」のようなスタイルですけど、
ちょっと違うのは、1日前にテーマが決まるという事です。

朝の会の終わりに日直さんがサイコロをふり、でた番号で次の日のテーマが決まります。
「明日は、○○です。□はんさん、じゅんびしてきてください。」
「はい。」
と、予告があって次の日のスピーチになるんですね。

「好きな食べもの」というテーマだとこんな感じ。
「私は、ケーキが好きです。なぜかというとあまくておいしいからです。」
質問は、
「○さんにしつもんします。けーきはいつたべましたか?」
「おたんじょうびです。わかりましたか。」
「わかりました。」
てな具合です。

わかりますかね、「理由を述べる」という作業が入ってくるわけです。
何かが好きだという自分の気持ちを伝え、そしてその理由を伝える。
そうした時の話しかたの基本形を毎日の朝の会で身につけていけるんですね。

これも基本の形を繰り返していくうちに、子ども達が自然と話す事を増やしていきます。
先日は、わざわざ家でメモを作って発表をした子がいました。

班の全員が発表し終わった後で、先生がその子のメモの事を褒めました。
でもね、この先生の素敵なところは、やらなかった子がコンプレックスをもつような言い方は決してされないところなの。と同時に、褒められた子がプレッシャーに感じすぎないようにも考えているのではないかと、私には思えるんですよ」。

「○君、そのメモ見せてくれる?あぁ家で考えて書いてきたんだねぇ。この間も書いてきてたよね(1回目ではあえて触れてないっていうことです)。
ねぇみんな、こんな風にメモを書くと、たくさん話したいときでも忘れなくて良いねぇ。みんなもね、いっぱい喋りたいなぁ。忘れたくないなぁ。っていうときにはメモを書いてもいいんだよ。ね、○くんありがとう。」

と、こんな風に取り上げるんですね。


大概の場合、小学校では1,2年と担任は持ち上がりますね。
その2年間、スーパー先生はこういう風にして子ども達のスキルを少しずつ持ち上げていくんです。


ついでに色々書いちゃいますが、
子ども達には「時間を守れ」と言っておいて、自分の都合で授業は伸ばす先生っていますよね。あれは「見通しを立てたい」子ども達には大反則だと思うんですけど、スーパー先生はそんなことしません。
授業は時間どおり(まれには少し早く)終わります。
そのかわり、先生のクラスの子供達は休み時間に入る前に次の授業の準備をするようしつけられていきます。
先生が時間をキチンと守るから、
子ども達も「針がどこにくれば終わり」とか「針がここにきたら教室に戻ってこなきゃ」とか考えるようになるのだと思います。

怒鳴ったり追いまくったりするわけではないのに(いえ、必要なときには厳しく言いますけど、しつこくはないです。最後はいつも笑顔)、3時間目の開始時間も遅れが殆どない野がこのクラスなのです。魔法です。







スーパー先生の図工

2007-11-02 23:18:43 | 先生方に①スーパー授業
展覧会を控え、算数のはずの授業が図工に替わる事が増えています。

スーパー先生の図工の授業を拝見する度に、かなり本気で、
「うちの子を留学させたい!!!」と思ってしまうわたくしです。
ホント、魔法のようなの。

ちなみに、私子どもの頃から「絵」は苦手で、図工に関してはずっと嫌いでした。
下手くそなのに批評眼だけはありますからね、自分で描いている絵が、決して美しく仕上がることが無いとなったときに、丁寧さをキープする事が出来ないのです。
簡単に言えば、「いやになっちゃう」のです。
だってさぁ、どうしたら上手に絵が描けるのか誰も教えてくれなかったんだもの。
(と、この分野に関しては子どもみたいな駄々がでてしまうのです。そのくらい苦手)

私の苦い思いではともかく、スーパー先生の授業です。
きっと、ものすごく長くなります。ごめんなさい。

今回1年生が出品する作品は、「紙版画で、動物と遊ぶ絵を書こう」というものと、
「紙やいろんなものを使って、自分の帽子を作ろう」というものでした。
そのうちの「紙版画」のほうの背景書きの部分の授業を2回程拝見したんですけど、
こんな具合です。

子ども達の手元には、自分と好きな動物をかたどった紙版画をすった和紙があります。
これからここに背景を描いていくのですが、いきなりクレヨンを持たせたりはしません。

見本になる絵(割とシンプルな形で先生が予め描いて用意してます)を黒板に貼り付け、
仕上がりのイメージを子ども達に持たせます。

「みんなはどこでその動物と遊んでいるのかな?海かな?山かな?動物園かな?(と言いながらキーワードを板書)。
どういうところで遊んでいるか考え、最初は鉛筆で薄く書くんだよ。」

子ども達がある程度描いたら、班毎に呼んで、一人ずつチェックです。
「これは何?木?気なら根っこまで描こうか?こんな風にすると木がはっきりするよね。」
「これは海か。海には島がある?あるんだ。どの辺にある?うんそっかぁ。じゃァこの辺に大きな島を書いてごらん。あとこの辺りが寂しいなぁ。何がいる?それもいいねぇ。じゃァ描いてみて。」

子ども達の中には、自分のイメージをうまく絵に出来ない子もいます。
「木が描きたいの。そう。どんな木?大きいの。この位?枝は、どの辺に出てる?」
と聞きながら、先生がガイドを書いてあげることもあります。

そうして、もういいとなったら「うん、いいよ。クレヨンで塗ってごらん。」
となるわけですが、そのときもね、こんな指示を出されるんです。

「今日全部仕上げなくていいんだよ。今日はねこの柵のなかだけ塗ってごらん」
とか、
「じゃぁ、君は今日木だけしっかり塗っちゃおう。木だけでいいよ。木がぬれたら止めるんだよ。」

見通し無くどんどん塗ってしまって取り返しがつかなくなってしまった過去をもつ私にはものすごく素晴らしく思える指導なのです。


そうして、スーパー先生は、子ども達の中からいつも上手にお手本を見つけ出すのです。

「ごめんね。みんなちょっと手を止めてこっちを見て。Mくんのかにさんの、きれいだねぇ。海の塗り方、どうだい?水色と濃い青とをうすく混ぜているよね。こうやって色を混ぜると本当の海の色のようになるねぇ。皆も工夫してごらん。
後ねぇ、Mくん。こんな風に波の線を入れると(と、先生が1本入れて見せます)海に動きが出るよね。」

絵を戻されたM君は、もちろんそのあとは自分で工夫して波の動きを描き込んでいました。

「クレヨンはね、真ん中でポキッと折って使うんだよ。
幅をね、広くして薄く塗るの。そうすると綺麗だからね。(もちろん実演、比較つき)」
「黄色を混ぜてごらん。黄色を入れると明るくなるよ。(これも実演つき。一年生のかなり最初から混色については指導されているので、先生が言わなくても自分で工夫して色を混ぜる子多数のクラスなのです。で、その効果は抜群です)」

こうした作業途中の指導は、いつも短くて端的です。それは算数でも一緒です。
だからこそ、子ども達は先生の呼びかけにすんなり手を止めて注目するのだと思います。
手を止められない子がいると、やはり端的にピシッと名前を呼びます。
普段はチャンずけ君付けですが、こういう時は呼び捨て。声のトーンも違うから、
「叱られている」事がはっきり伝わり、くどくど言わなくても手が止まります。
そこでスーパー先生はニッコリ。次の説明に移るんです。
説明する時には全員が集中している状態を作るから、後の混乱が最小限ですみ
弱い子の個別フォローにキチンと時間が避けるんですね。

話が図工からずれちゃいました。
子ども達の様子です。
自分の作品がきれいにきれいに仕上がっていくから、子ども達だって大事に大事に塗るようになります。
このクラス一番の飽きっぽくんも時々休み休みではありますが(先生からの短い激の声が飛びます)彼にしては信じられないくらい丁寧に色塗りを続けています。
このクラス一番のご勝手ちゃんも、先生のおっしゃるとおり、ペンギンの水槽の周りの石を塗ったところで手を止めて待っています。

すぐにいけない時には、
「ごめんね、ちょっと待っててね。」と声をかけるスーパー先生。
でも待てずに騒ぎ出したりしたら、ビシッと一声怒ります。
「待つこと」を覚える事は大切。だけど子供の今の力を大幅に上回る時間ただ待たせるということはしません。常に子ども達のやること(それが自由帳に絵を書くことであっても、絵本を読むことであっても)は複数用意しておく先生なのです。


個別の作業なのですから、当然進度には差がでます。
でも先生は繰り返し、
「今日中に仕上げようとしなくていいんだよ。大事な作品だから丁寧に丁寧に仕上げようね。」と声をかけ続けていきます。

仕上がりかけてきた子ども達の作品をいくつか例にとって、
「こういうところがいいねぇ。」とか「こんな工夫がしてあるねぇ。」
「これはすごくいいけど、こういう風にしてもいいかもね(作品本体のことではなく手法のことですね)」とか・・
それが、後に続く子ども達それぞれの工夫に役立つんですね。

そろそろ仕上がるという子が出そうになったころ、先生はまたみんなの手を止めさせました。
そうして、こんな説明をします。

この版画は、大体○日頃まで出仕上げます。まだ時間はたっぷりあるから丁寧に仕上げるんだよ。それで、出来上がったらどうなるか。この大きな紙にはって飾るんだよ(これも実物使って見せます)。下のところが余ってるけど、ここには絵の題名を書きます。
だからみんな題名を考えておくんだよ。どんなのがいいかなぁ。あんまり長いのは困るねぇ。せみを取ったよ。とかね、いるかに乗ったよ。とかそういうのでもいいかもしれないよね。いい題名をみんな考えてね。」
「それから、図工は今度『素敵な帽子』を作ります。(キットを見せます。)」
元の形はこういうのだけど(キット組み立てたものを見せます)、上のほうをクリスマスのとんがり帽子みたいにしてもいいしね、羽をつけて豪華にしてもいいかもしれないね。ビーズとか、キラキラしたモールとか、5月に作ったマイバック覚えてる?あの時いろんなものつけたでしょ。ああいうものをつけて自分だけの帽子を作るから、材料考えて用意しておいて。」

どんな物事でも、キチンと子ども達が見通しをもてる説明をして、早め早めに準備ができるように予告をしておくから、当日あれが無いこれが無いと焦って子ども達を怒鳴りつけたりしなくて済むんですよね。もちろん、素材の足りない子用に先生もある程度のものは準備しておいてくれています。

また話が逸れてしまいました。

子ども達です。
仕上がったこの作品は1枚ずつ黒板に飾られていきます。なんだか誇らしい気分になった子ども達に、「じゃぁ、終わった人は自由帳に帽子の絵を書いてね。どんな帽子にするのかどんなものをどういう風に飾るのか考えて描くんだよ。」


こうして、先に終わった子達は気持ち良く集中して次のお絵描きに取り組むのでした。
そうしてスーパー先生は遅れているこのフォローにたっぷりと時間を割くのでした。


ね、留学させたくなる気持ちわかるでしょ。


書いちゃいけないと思いつつ・・・

2007-09-06 23:17:58 | 先生方に①スーパー授業
今日小耳に挟んで、どうしてもメモ書きしたいと思った事がありまして・・・。

先日、勤務先の小学校に「専門家」の先生がいらしたそうで、
全てのクラスを少しづつ回って、発達に特徴のありそうな子について具体的なレクチャーをされたそうです。一年生の担任の先生のお一人から聞きました。
座席表に、短いコメントで書き込まれていたものを見せていただきましたが、
まぁ、ピックアップされている子は常に私が見ている子で、それは違和感がなかったのですが、書いてあるコメントや先生方へのアドバイスには?もちらほら。
10分程度の滞在だったら無理ないのでしょうけど、それでかなり具体的なアドバイスをされていったという事に、私なぞは不思議を感じてしまいました。

さて、私に話しをしてくれた先生は「苦虫さん」でしたが、このクラスには30パーセント特別支援系のお子さんがいるといわれたそうです。で、お隣の「好き勝手」クラスには35パーセント。一方、我尊敬するスーパー先生のクラスにはたった3人だったと・・。

同じ学校でもそんなに偏りがあるのかと思われたでしょうけど、私は違う見方をしています。

クラス全体が、未だに「好き勝手」モードの3組では、本来自制が効くタイプの子ども達も自制の仕方を学びきれていない。

「言葉」で説明してわかるはずだと思っている「苦虫」先生のクラスでは、「集中力」や「言葉の理解」に問題を持つ子ども達が浮き上がる。

でも、スーパー先生は、クラス全体にしっかりとしたけじめを作り出し、どの子も集中しやすい授業を展開する。「音読」ひとつとってもひきつけ方が違うのだ。同じ教具を使っても、使わせ方が違うのだ。
この先生が「出来ない」事を怒ったのを見たことが無い。出来なければできるように工夫しつつ、何度でもまた繰り返し教えていく。
聞いていないということを怒る事もない。全員を聞く状態に持っていってから、短く解りやすく話すのだもの。


「専門家」には子ども達を見ることよりも、先生の指導の仕方をしっかり見てもらえたらなぁ・・と思う出来事なのでした。


スーパー先生。

2007-06-07 00:50:00 | 先生方に①スーパー授業
悪い例をあげて、良い例をあげなければ
情報として役には立たないと、少々反省しました。

書きたいことがたくさんありすぎて、書きにくかった
スーパー先生の事をちょっとだけ。

スーパー先生は、発達障害があってもなくても、
のんびりちゃんだろうとやんちゃでスネオだろうと、
特別ルールというのは適用しません。
ルールを変えてしまうのではなく、
必要ならば必要なだけ働きかける、或いは必要なサポートに入る
というスタイルです。

例えば、プリントなどの課題に取り組ませる時、
先生は必ず3枚以上のプリントを用意しておきます。
そして、子ども達にプリントを配る前に、
今日は、どういう手順で進めるかを
しっかりと説明します。(場合によっては板書します)

(手元に新しい物が届くと触ったり見とれたりせずにはいられない
子ども達がいる事をよぉく知っているからです。
これは、ブロックなどの道具も同じ。出させてしまってから説明すると
まぁ半数は説明が聞き取れなくなりますね。)

説明の基本形はこんな感じです。
1枚目は全員やって、終わったら先生の所に見せに来る。
丸をもらったら2枚目を受け取ってやる。
2枚目が終わったら、見せに来ないで自分の机で色塗りをする。
(といっても、一人か二人は必ず持ってきちゃうんですけどね)

全員がわかったかどうかもう一度この手順をおさらいしてからプリントを配ります。
全員が名前を書き終わるまで、問題には取り組んではいけないルールです。
名前を書き終わったら、鉛筆を置いて姿勢を正す。
それが先生に「終わったよ」と知らせる合図。
「待つ」習慣をつけていくのです。

全員が名前を書いたら、いよいよ中身です。
プリントの内容を取りにくい子ども達が複数いると思われる場合、
「1問目は皆でやるよ」
と、先生が黒板を使ってしっかり説明します。
そうしてから、スタートさせると、殆どの子は
質問などの声をあげることなく、すんなり始められます。
(無駄な質問をさせない伝え方も、教室の落ち着きに影響するのです)

最初の子供がプリントを持ってくるまでに、理解の弱い子のフォローに回ります。
他の子が集中しているので、じっくり見てあげられます。
その子のところにいるときも、周囲を見渡していますから、
全体が間違いやすいところもすぐに見つけられます。

間違いが多い問題を発見すると、一端子ども達の作業を止め
(この辺りで全員が手を止められるかどうか、日頃の生活指導が生きるんですよ)、
全員に黒板を注目させてから、説明に入ります。
こうした説明はダラダラ長くしません。
子ども達の顔を良く見ながら、ポイントを押さえて端的に伝えます。
そして、すぐに
「ではつづけて。」

これで??チャンがグッと減ったわけです。
教室のかなりの子ども達が自力で取り組める状態にしたわけですから、
まだ?の顔をしている子のところに行ってフォローしてあげればそれで済みますね。
先生の力を、この時間、特に理解の弱い子に注げるわけです。

さて、そうこうする内に1人目の子が先生の机のところに並びます。
丸付けしながら、間違いがあればチェックし、すぐに直させます。
出来た子には2枚目を渡すし、それが終わったら色塗りというやることがあるので、
「終わっちゃったぁ。」のザワザワが無く、
ゆっくり進む子ども達も、焦らされる事無くじっくり1枚目に取り組めるのです。

並んでいる子ども達が少しでも途切れると、
心配な子ども達の様子を見に行きます。

2枚目が終わった子供達は、色塗りをして自分の机にいますから、
その間、個別指導に当てられるわけです。
そうして、全員が1枚目は時間内に必ずクリアします。
宿題には、その日取り組んだ物と同じようなプリントが出されます。
1度やっているから、家でご家族フォローが受けられない子でも、
のんびりちゃんでも「これ、ひとりでできるよ。」って、
楽しく取り組んでくることが出来ます。

プリントの選び方自体、
今日、或いはこれまでに学んできたことが
理解できているかどうかを見るためですので、
この1枚目だけで、子ども達の誰がどんな形で躓いているか
しっかり情報をえてもいるわけです。

子ども達の進度が速くて、時間があまりすぎる時は
3枚目以降も投入します。
しない可能性のほうが高いこの時期でも、必ず用意はされています。

そして、終わりの時間の少し前には子ども達の手を止めさせ、
プリントを回収。或いは全員で丸付けをして、
さらに、連絡袋にしまうところまで、
手順ひとつづつわかりやすく説明して全員にさせてしまいます。
そして、時間キッチリに終わりの挨拶です。
この辺りの「時間読み」も、まさにスーパー。
焦ったバタバタすることがありませんから、
全員の姿勢が揃うのを待つ余裕も生まれるんです。

この先生は、冗談交じりに
「修行」
とおっしゃいますが、
子ども達が1年間にこなすプリントの量は半端ではありません。
プリントなど、習熟のための課題は
ともすると「やらせるだけ」になりやすいものでもありますが、
この先生は、子ども達の躓きをその場で拾って埋めていくので、
どの子も気持ち良く次のプリントに進んでいくようです。

「早くできた事を喜ぶ子」には共感してあげますが、
「遅くなる子を馬鹿にするような言動」には容赦のない先生でもあります。

クラスの中でそうした言葉が使われたときには、決して聞き逃す事はありません。
「先生、気分が悪い。」
と、キッパリはっきり短く伝えます。
泣いても容赦はありません。

でも、伝わったらそれでおしまいです。
また笑顔で授業に戻り、その子が何かで頑張ったらすかさずほめてくれます。
(その子に限らず、この先生は、わかりやすい具体的なほめ方を良くします。)

 その子のした事は悪いけど、その子自体が悪い子というわけではない

先生の姿勢から、子ども達もそんな事を学んでいっているように思います。