のんびり娘の謎

10円が2個で、、、12円?今日の前の日は、、、前の日?のんびり娘のお答えは、理解できない謎ばかり。さぁ、どうする?

先生に怒られた。

2006-11-30 22:21:05 | 心理的成長
明日は、学校の展覧会。
1年の妹ちゃんは、先生が展示をしてくれるけど、
6年ののんびりちゃん達は、全て自分達で用意するの。
で、今日は2時間,直前の追い込みのためにとってあったらしい。
けど、例によってのんびり娘、なかなかやる事が終わらなかったようで、

「先生に、『2時間ボーっとして』って言われた。私はボーっとなんかしてなかったのに。」

わかるけどね、先生の気持ちも。のんびり娘の動きは時々スローモーションを通り越して
ストップモーションに見えるもんね。

でもさ、先生の読みも甘いのよ。
あれもこれも、少しづつ終わってない事が溜まっているのに、
これまでフォローしてこなかったんだもの。
4年の時からずっと、『溜めさせないで。家に振って。』
と頼んでるのに、相変わらず学校で抱え込んで、
最後にはこうしてカリカリ。
早めの段階で、うちにでも振ってくれればそんなにイライラする事もなかったのにねぇ。

のんびり娘ちゃんも私も、4年生の時にはそういう先生の気分を正面から受け止めてしまって、間に合わない事を必死で間に合わせようと頑張ってました。

でも今は楽だなぁ。
娘も嫌だったようだけど、先生の批判なんぞを展開しているところをみると、自分を責める方向には行かなくなったみたいです。
それだけで、私はすごく楽。
普通のお母さんみたいに、受け止めて、流して、ちょこっと彼女の動きについてアドバイスして、それだけで終えられる。

同じことでも、成長すれば、こうして受け止め方が変ってくる。
だから「時間」はありがたいですね。





サクランボ計算 改良版

2006-11-29 23:29:43 | 1年算数
以前に書いたサクランボ計算、少々改良して教えていますので
書いておきます。

例9+4のとき
まず数の大小を比較して、小さい方の数の下にサクランボの軸を書き込むところまでは一緒です。

9+4
  ^
改良点はこの次です。
数字を書き込む前に、9と軸の左側の一方を長い丸で囲ってしまうのです。
で、そしてその丸の横にピタッとくっつけて10を書き、
「9と後いくつで10かな?」
と聞きます。
(これは10になるじゃんけんで答えを出してもらうの)
「1」という答えがでたら、
「そうだね、9とあと1で10だね。じゃあ、ここは1だ。」
といいながら、長丸に囲まれた左側の軸の下に1を書きます。

「こっちが1だから、こっち(右側の軸のしたを指差します)はいくつかな?」
と問い掛けて、わかる子はそのまま数字を書かせます。
わからない子は、ここでブロック登場。

「4は、1と(で、一個ブロックを左に寄せます)、あといくつ?」

こういう動作の時、私は意識して数字の近くでブロックを操作します。
ブロックで数えている4や3や1と、数字で書いている4や3や1が同じだという事を刷り込みたいからです。

不安そうな子には、動作をオーバーにして「3」としか答えられない雰囲気を作ってあげます。
「3」と言えたら、大げさに褒めながら、
「そうだね、1と3だね(この時は軸の下に書いた1と、これから3を書くところを指差します)。じゃぁ、ここは3だね。」
と,3を書かせます。

つまりね、軸を書いてはみたものの、その下に何を書いていいかわからない子のガイドになるように工夫してみたんです。
長丸の中は必ず10。
10にするためにあといくついるのかは、10になるじゃんけんを利用する事で、迷う部分を減らしてみたのです。

ここまでやってもね、最後のところでちゃんと躓く子はいるんですよ。
「10と3で?」と聞いても「13」がなかなか出てこない子。
そういう子達には、「とをぬく」と教えちゃってます。
いえ、もちろんねブロックなどで数字のからくりは何度も教えますけど、
そこで躓く子はおそらく「言葉」で混乱していると思うんですね。
「言葉」で躓いているのなら、外国語を覚えるのと同じように、
ただ「そういうからそういうの」でいいかなと思って・・。

「10と3で?と聞かれたら、とを抜いて言ってご覧?ほら13でしょ。それが正解。」
っていう感じで繰り返しやるうちに、「そういうもんか」と、
スルスル答え始めるようになります。


ちっとも捨ててない!

2006-11-28 23:38:33 | 娘の事・謎
昨日、受験勉強以外は捨てたと書いておきながら、
今日は、学校の勉強だけで11時近くまでお勉強。
我が家は、基本的に子どもを9時にはベッドインさせる家なので、
こういう日は滅多にないのですが、持ち帰った課題の組み合わせが悪かった。

まずは、社会のテスト。
どうやら先週末には予告があったらしいのですが、例によってのんびり娘、
聞き逃してしまったようで、今日になって、
「明日、テストがあるみたい・・」
「みたいってなによ。」
と、呆れる私。何度もこれでバトルをしてるのに、
未だに、「どの教科のどこのテストか」を掴み損ねて帰ってくるの。
しばしの厳しいお説教の後、お友達のママさんに電話すると、
すぐさま、科目と範囲を伝えてくれました。
が、「明治かよぉ!!!」
江戸はね、かなり色々やっておきましたので、ある程度放っておけたのですが、
政治に関する用語がボロボロ出てくる明治は、やっぱり1度はおさらいしておかないと
かなり危険でしょう。

教科書にすると15ページ分を慌てておさらい。
と言っても、一度読んだり見たりしたくらいでは頭に残らないという事もわかってますので、問題集を利用しながら、彼女の脳にキーワードが残るように引っかかるようにやっていきますので、私も横から離れられません。
結局、社会だけで2時間近く使っちゃった。

次は算数。おそらく他の子達は10分で終えるだろうと思うドリルを、
これも30分以上掛けて一緒にやります。
立方体や直方体の展開図を書くのは、まだまだ娘には難しいです。
こちらで指示して書かせるだけでは、教室でまた動きが止まりますので、
ある程度のやり方は入れてあげなきゃいけません。
のんびり娘が書いてみる展開図と同じ形を素早く切り抜いて、
実際に組み立てさせて、足りない部分に気付かせたりもしますので、
こちらも横から離れられません。

そして国語。
ワークシートを丸々残してるよ、はーーっ。
宮沢賢治の一生を年表にまとめていくんだけど、
やり方がわからなかったんだろうね。
時間が時間なので、これも横について、こちら主導で進めましたが、
字を書くだけだって、大変なのだ。

バラバラでやってきたら、受験勉強のいいアクセントで済んじゃったんだけどね、
付きっ切りでなきゃ出来ない課題が3本、しかもどれも時間がかかるものだなんて、
久々に追い込まれました。

のんびり娘は、その後ゆーっくりお風呂に入っていて(3回も声かけたんですけどね)、
ようやく今ベッドに入りました。11時半だよ。

私はこれから家の片付け。
のんびりちゃんにかかりっきりだった間、放し飼いにしてしまった妹ちゃんは、
切り絵少女になっていて、部屋のあちこちに切り抜いた折り紙の山が・・・。
僅かの間に随分散らかしたと思ったら、重ね切りしてるんだもん(大量生産かい!!)。
ゴミ袋渡して、何度か「ゴミは拾って捨てておきなよ」って言ったんだけど、
こちらも、ちっとも捨ててないわ。

受験の効用

2006-11-28 00:00:31 | 中学受験
私立受験を決め、塾にも突っ込み、
模試も受けさせ、のんびり娘も私も大変な毎日を過ごしてはいるのですが、
ちょっとだけいいこと。
それはね、学校の勉強を「全部」頑張らなくて良くなった事です。

入試の科目は、算数と国語。
たった4ヶ月で合格圏まで持っていくのですから、あれもこれもと欲張っても仕方がない。それ以外は全て捨てると入試を選択した時点できめました。
しかも、得点は最低限でいいので(と言ってもそれがなかなか大変なのがのんびり娘ですけどね)、算数ならとにかく計算をと、勉強の目的をかなり絞り込んでいるのです。

するとね、毎日の宿題である日記が、少々短いと思っても、
「まぁまぁ、気にしないでいいよ。」と言ってあげる事が出来、
算数の図形(立方体や直方体の展開図を勉強中)に混乱していても、
「テストには計算のところが多く出るんだから、そこは後回しでもいいわ。」
と、かなり融通の効く母になりました。
やらなきゃ全然わからないので、一応学校の課題は一緒にこなすんですけどね、
でも、「何とか出来るようにしてしまおう」という気迫の指導はなくなりました。

これ、親子とも、とても楽ですわ。

あと、志望校の先生から、「分数の計算はクリアさせてください」と言われていたので、
ずっと、そこに重点を置いてやってきたのですが、何故分数だったのか、のんびり娘がほぼクリアした今になってわかる事があります。

分数の計算には、通分とか約分とか色々な要素が入ってきて
大変は大変なんですけど、これを身につけてしまうと、
色んな計算問題に対応できるんです。

すだれ算、と言ってお分かりになりますか?
最大公約数や最小公倍数などを求める時に使う、下向きの割り算みたいなの。
あれ、小学校では教えてくれないのですが、塾や受験用の問題集には載っています。
大きな数の通分は、これが使えないとかなりきついので、
教えて何度も何度も練習しました。

使えるようになったら、とっても役に立つ代物で、
一気にいろんな問題が解けるようになりました。
「通分」や「約分」にも使いますし、「比」の問題でも使えます。
もっと早くに教えてあげればよかったと、そう思うくらいです。

すだれ算を利用した「通分」では、小さな数をいくつも掛ける作業をします。
例えば、2×2×2×3×5。
以前なら頭から順番にしか計算していけなかったのんびり娘が、
2×5は10でしょ。だから、ににんが4×3は12。12×10は・・120.
っていう風な「計算の工夫」をしているのを見た時には、ワクワクしちゃいました。
彼女の課題だった、計算の勘のようなものが少しづつ育っています。

あれもこれもにしないで、ひとつをとことん極めていく事。
これは、学校の勉強に追いまくられていたら出来なかった事だと思います。











忙しい日

2006-11-26 20:55:55 | 母の作戦、考え
昨日から今日、特に今日は忙しい日でした。
午前中は私立校が無料でやってくれる模擬試験に参加。
僅かな時間に移動して、昼からはピアノの発表会。
パパが用事でいないので、妹ちゃんも連れて、
あっちへこっちへと大騒ぎです。

11時40分。試験を済ませたのんびり娘をせかして車に乗せ、
発表会の会場に急ぎます。
予め買っておいたパンとスープを車の中で食べさせながらの移動です。

幸い、車で15分程のところなので、昼の集合には余裕と思っていたら、
駐車場が見つからず10ほどロス。
会場に飛び込んで、リハーサルの前にとにかく着替えをさせなきゃと、
受付で聞いたのですが、着替える場所がないんですね。
仕方ないので、比較的広いトイレに親子でこもってドレスに着替えさせました。

と、ほぼ同時にリハ―サルの案内があり、髪形はそのままに集合。
リハが終わると、すぐに会場、開演でしたが、出番までの隙間を縫って
またしてもトイレにこもり、髪をセットします。
もちろん、妹ちゃんは放って置きっぱなし。

出番までかなり残してセットを終え、ホッとしたのもつかの間、ビデオがない!
駐車場の車の中に置いてきてしまった事に気付いて、慌てて取りにいきます。
入れたのがタワー式の駐車場なので、出てくるのに時間がかかって大焦りです。

何とか、娘の順番に間に合ってほっと一息。
演奏は、まずまずでした。
家では一切練習できなかったのに、良く落ち着いて演奏できるなと、
なんか感心しちゃいました。

ここで落ち着きたいところですが、あら、花束を買っていなかったわ。
これも終了後の写真撮影に間に合わせなきゃと、会場を抜け出して買いに行くことにします。
そろそろ妹ちゃんは限界なので、ロビーに出して遊ばせておく事にすると、
のんびりねーちゃんも出てきちゃったので、そこで待っているように言い置いて
ダッシュで馴染みのない商店街を走ります。

なんだか、忙しい一日でした。

全部、私の準備不足のせい。気持ちがずっと受験に向いているので
仕方ないですけど、無事に終わって本当によかったわ。


私立校

2006-11-26 02:05:35 | 中学受験
受験生が増えたら不利なので、志望している私立校については多くを書いては来なかったのですが、私は忘れんぼだから、忘れないうちに今の気持ちを少しだけ記録しておきます。

区立中への進学を断られて、それを娘にどう話したものかと思っていたとき、
私立中から毎日届く緑の封筒に助けられました。
緑の封筒の中身は、娘が毎日解いてファックスで送る算数の問題の添削。
毎日毎日、ちょこっとずつしか送れない娘の回答に、
殆ど即日で丸をつけ、イラストや励ましの一言を載せて送り返してくれる私立校。

私も学校にいますから、それが結構大変な事は良くわかります。
1週間分なりをためて、まとめて送る方がずっと楽です。
でも、この学校の先生はそうしません。
たった一枚のために80円の切手を貼って、
毎日毎日チマチマと送り返してくれるんです。

なぜ、そんな効率の悪いことをするのか。
ここから先は想像です。でもきっと当たっていると思います。
それはね、子どもの気持ちを考えるから。
子どもを伸ばすためにどうしたらいいかを考えるから。

のんびり娘のこれまで積み上げてきた努力のことも、
とことん頑張る性質も、何一つ見ようとはしないで
切り捨ててしまう大人たちのことを、
娘にどう伝えたら良いのか悩んでいる時、
毎日届く緑の封筒は私の気持ちも支えてくれました。

君の事を見もしない人たちが君を切り捨てても、
ほら、君の努力を毎日見続けていてくれる人がいる。
ファックスの向こうで、「こっちへおいで」
「頑張って越えておいで」って言ってくれてる人がいる。
そう娘に伝える事も出来ました。

そういう学校だから、説明会で入試担当の先生が
「子どもは原石なんです。今まだ力が弱くても6年間で間違いなく伸びるんです。」
と仰る言葉に、思わず涙が浮かんじゃうのです。
きっと、この先生は心からそう思っているんだという事が伝わってくるから。
ただのお題目ではなく、実際に力の弱い子を育ててきた経験に裏打ちされている言葉だという事がわかるから。

この社会を構成する大人の一人として、
娘の学校のある地区のような教育委員会を存在させている事を
私は恥ずかしく思っていました。
それを是正する力のないことを申し訳なく思っていました。

でも、世の中にはやっぱりちゃんとしたプロがいる。
子供を伸ばすことを、仕事とし、そのことを楽しんでくれる大人がいる。
その事が今は無性にありがたいのです。
もしも、力足りずにこの学校に入れなかったとしても、
こういう人たちの存在を感じてもらう事が出来れば、
娘を世の中を斜めに見るような人間には育てないで済むような気がします。



義母

2006-11-25 08:00:11 | 中学受験
のんびり娘が、区立の中学校への進学を断られたということを
先日、一部のママ達にお話しました。

その日のうちに、現PTA会長の奥さん(6年のママです)から電話があって、
「パパと話したけど、それひどいよ。パパに教育委員会に行ってもらおうかと思うけど、どうかなぁ。」って。

そして、昨日の夜は、普段殆ど話したことのない男の子のママから電話があって、
「聞いたよ。あのね、そういうのは○○党の議員さんに頼みなさい。絶対入れてくれるから。」
と、事細かな作戦も授けてくれました。
昨日のママは歯に衣着せない人なので、
「だって、のんびりちゃんが初めての友達とうまくやってけるの?難しいよ。
皆と一緒ならかばってくれる人もいるんだから、絶対入れてあげなきゃ。」
そこまで言ってくれました。

皆、のんびり娘の事を心配してくれる。
そう言われると、私が動かないのが怠慢のような気がして・・。
いえ、代議士を動かすとか、そういう事を考えなかったわけではないの。
初期段階で、「なんとしても入れてやる」と思っていたときに、
その方法も考えた。どこに手を回すか、細かなことも調べたよ。
でもね、正攻法では無い形にどこか引っかかるものを感じていたんだろうね。
自分の心は静まら無かった。
DMがきっかけで、私立受験を視野に入れたとき、とても心が楽になった。
それは前向きの努力だからだとおもう。
子どもにキチンと説明の出来ることだからだと思う。

別にね、聖人君子みたいな生き方をしてるわけじゃないのよ。
「要領良く生きろ。」「損をするな。」が口癖だもの。
だけどね、私の中には基準があって、それに合わないことをしようとすると、どこかで歯止めがかかってしまう。心がすっきりしないのよ。

それでもね、他に方法がないときにはやるだろうと思う。
娘がそこでしか生きられないと思ったら、それこそ何でもやるわ。
自分の心なんて、つぶれようが汚れようがどうでもいいもの。

でも、そこまでのものなのか。
トップが、「出来ない子はくるな」という方針を明確に打ち出している区の学校に
頭を下げて無理やり入れてもらったら、3年間ひたすら『学校に迷惑を掛けないようにしなきゃ』って、そんなことばかり考えそうな気がするのよ。
のんびり娘に仲良しの友達がいるのなら、一緒にいくことに拘るかもしれない。
でも、今の彼女は学校では基本的に一人。
ゆるいグループに入れてもらって動いてはいるけど、他の女の子達のように
密な関係はないの。

そんな風に考えていくと、その区立にそうまでして入りたい理由は、既に無いような気がするの。
地域とのつながりならば、妹ちゃんを通して保っていけるだろうし、これまで参加していた地域のイベントにも「くるな!」とは言われないと思うんだ。
だって、娘をはじいたのは『教育委員会』であって、地元の人たちでは無いんだもの。

でも、私立に入れるかどうかはわからない。
落ちたらどうなるのかというと、地元の学校。
お友達のママが言う通り、
「のんびりちゃんが転校生みたいな感じで入っていって、溶け込めるの?」
という不安はもちろんある。
地元の学校も抽選で、どこに入れるかわからないし、
一番近くの学校は、荒っぽい子が多いので有名なの。

そういう事を考えると、お友達のママのアドバイスに従わない私が怠慢のようにも思えてきて、心がどうも落ち着かないのです。

そこで、義母に電話しました。
義母は、いろいろと大変なところもありますけれど、人として『真っ当』な考えをする方です。だから、話しているうちに、私も『真っ当』という基本に返っていく事が出来るので、娘の事で迷った時は、いつも色々話をさせていただくの。

電話をはじめて程なく、揺れは収まりました。
代議士まで動かしたら、区立の中学校に入るしかなくなる。
そうすると、毎日娘のファックスに付き合って、○つけをしコメントで励ましてくれる
私立の先生に失礼でしょ。
落ちたって、行くところがなくなるわけじゃないし、
地元の学校で適応できないようなら、それから転入を考えてもいいじゃない。
今のままでいいんじゃない。

それが『真っ当』。私もそう思う。

努力はしなきゃいけないけれど、努力したら必ず見ていてくれる人がいる。
彼女の努力をしっかり見ていてくれる人の所にかけてみようよ。
あの子の運にかけてみようよ。
私の心の声も、そう言ってる。

それにしても、身近にこういう人がいる私は恵まれているんだと思う。
夫と結婚して一番良かったのは、この義母がついてきてくれたことだわ、きっと。

復讐

2006-11-23 21:30:30 | いじめ
クラスの皆から『ばい菌』扱いされていた時期があり(どうしてこの美しい天才少女をそんな風に扱えたのでしょうねぇ???)、
更にその上、担任の先生までもが加担して、腐った牛乳を飲まされるという目にもあい、
表面はともかく、内心はボロボロになっていた時期がありました。
こういう時期というのは天才であれ盆栽であれ、考える事というのはそう違わないようで、
 遺書を書いて自殺する。もちろん、遺書には仔細を記入。
などという事を、やはり考えたりしたわけです。
ナルシストで、推理お宅だった私は、「美しい死に方」に拘ったために、チャンスを逸し、幸い生き残ったわけですが、今考えても「死んで復讐」というのは結構魅力的な考え方だったと思います。

でもね、それはあくまでも子どもの時点でのお話。
生き残って、大人になってしまった今。いじめた側の人間達もしっかり大人になってしまった今、考えると、「復讐」というのは実に現実的では無い事がわかります。

いじめられた側の心には、その出来事は大きな傷になっていつまでも尾を引くけれど、
いじめた方は、自分が何をしたのかをさっさと忘れちゃうのですよ。
それは例え、相手が自殺したって同じ。

大概の場合、いじめって一人ではやらないから、「殺人」と違って当事者意識が薄いのです。そして心のどこかに「あいつもやってたから」っていういいわけがもてる。

自殺された当初こそ、肩身の狭い思いや少々の後悔をしたとしても、中学校、高校、社会人と進むにつれて、過去とは関係の無い世界で生きていく事ができるようになるのです。
結婚して、子どもが生まれる頃になればもう、自分のいじめで自殺した人間がいたことなんてすっきり忘れちゃうでしょう。
そんなもんです。

片方で、一生苦しみ続ける人がいます。
それは、子どもに自殺されてしまった親や兄弟。
その子のことを救えなかった事を一生後悔して、毎日を傷つきながら過ごすのです。
いじめた側の子ども達が、順調に成長し、社会人となり、結婚をし、子どもをもうけるのを見ては、失った子どもを想い苦しむのです。
おそらく、その苦しみは一生いえることは無いでしょう。
目の前に、失った子どもの「きっとこうであったろう」という姿を、常に突きつけられるのですから。

だとすると、死んで行く子ども達は誰に復讐したといえるのでしょう。
自分の事を一生忘れず、大切に思ってくれる人たちに復讐する事になってしまうのですよ。
だから、自分の命を捨てる事に意味は無いです。
復讐するなら生き続ける事。どんな状況をも生き延びる事。
それが最善です。

それから、死ぬということはかなり汚いです。
首をつれば、鼻水、涎、おしっこ、ウンチまでもが垂れ流されると言います。
飛び降りや、飛込み死体がどういう状況になるかはちょっと想像すればわかるでしょう。
私は少女時代、ガスや凍死も考えましたが、これもかなり醜くなってしまうようです。
第一、変死では死んだ後解剖だの何だので、他人にいいように体を触られます。
考えただけで気色悪いので、死ぬのをやめた覚えがあります。

「死ぬんだから、そんなことどうでもいいだろ!」って思いますよね。
でもね、おかしいかもしれませんが、子どもの頃って、こんな事で「やぁめた!」って思える部分もあるんです。
「死」とか「自殺」とか「復讐」とかを、観念的に考えて憧れちゃったりしている子供には、具体的にどんな事がおこるのかを想像させるのも抑止に繋がるかもしれないと思うのですが、いかがでしょうか。



帰り道

2006-11-22 15:09:27 | 娘の事・謎
今日は娘たちの学校に用事があり、子ども達と一緒に帰ってきました。
夕方5時、学童を出るほかのお子さんたちと一緒に駅に向かいます。
妹ちゃんは、私にまとわりつき、のんびりね―さんは一年生の男のたちの監督。
様子をうかがっていて、最近のんびり娘の口調が荒っぽくなった理由がわかりました。

小さくて可愛い坊主たち、なかなかいう事を聞かないのね。
やったらいけないことばかりをやらかしてくれる。
そこで、穏やかで大声を好まないはずの娘の口から、
「いいかげんにせいや!!」とか、「しずかにしろ!」とか、
きついひと言が飛び出すんですね。

さて、1団が電車に乗り込むとすぐ、のんびり娘がなにやら取り出しました。
隠し持っていた飴を、1年坊主達に配るのと引き換えに、静かにさせているんですね。

実は、今年の1年生。やんちゃで元気な子が揃っていて、静かにさせておくのは至難の業。先日も「自分の子どもを黙らせるだけで手一杯で、他の子達はとても止められなかった」というママの話を聞いた位、厄介なメンバーが揃っちゃったようなんです。

そういえば、何ヶ月か前には、
「知らないおじさんに怒られた。」としょげて帰ってきたこともあるのんびり娘。
試行錯誤の末、「食べ物で釣る」という方法を編み出したらしいです。
お菓子は、もちろん学校に持っていいものではありませんけれど、
こういう利用法なら大目に見といてあげようかなと思う母なのでした。


さて、このように成長を見せるのんびり娘ですが、会話という点ではまだまだで・・。
妹ちゃんと、その同級生の男の子と、そして6年ののんびり娘と3Sで座って、
他の二人の会話に入ろうとするのだけれど、いったい誰に向かって、何の話をしたいのかがよくわからない話し方なの。相手は1年生だから、緊張したり気が引けたりという事では無いんだけど、「伝えたい事を伝わるように話し掛ける」という事と、「話し出すタイミング」を掴む事がまだ難しいようです。
聞き役に徹するなら、違和感はないと思うんですけど、話したいんだよね。
誰か仕切ってくれる人がいたら、彼女も会話に溶け込んでいけると思うのだけど、
自分が離すのに夢中な妹ちゃんにそれを期待するのも難しいし、どうしようかしらね。


電車を降りて家まで歩く道で、
「猫のウンチを踏んじゃったかも」という娘。
「ママは洗わないからね。自分でどうぞ。」
といってみると、思いがけず、
「うん。そうする。」の返事。
潔癖症の娘が、どうしたのかしらと思ったら、
「私、大きくなったらペットショップの人になりたいの。
だから猫のウンチがついても洗えなきゃね。」って、
帰ってから、ちゃんと自分で洗ってました。

夢があるっていいね。
その夢に向かえるように、頑張るか。ね。

バトルの末

2006-11-21 23:48:34 | 小学校国語
国語の勉強を巡る、親子の対立は、
先日一応の解決を見ました。

これ、かなり長いこと確執の元になっていまして、
たまたま休みの日に始まったりすると、
その騒がしさに夫が切れて、余計大騒ぎになるという
状況まで生んでいました。

あんまり、記録したくもないのですが、どんな状況か
少々手加減して書いておきますと、

娘が問題を音読する。
間違った部分を、私が短く指摘する。
また、同じところで読み飛ばす。
もう一度読んでご覧と指示する。

この辺りまで、私は実に冷静に指示を出しています。
しかし、娘の方はカリカリし始めるのです。
そして、次に私が何か言うと、
「耳の前で、大きな声でいわないで。」
とか、
「手を動かさないで。」
とか、
大人から見ると、「いちゃもん」としか思えないクレームをつけてくるのです。
で、「御機嫌取り」なんぞする気のない母は、容赦なくこれを注意。
そこから、「言った。」「言わない。」
のバトルが始まるのです。
それはもう、窓を開けてはいられないほどの大声の応酬、
時にはものまで飛び交う騒ぎでございます。

私は大概の場合、大局に立った話をするのですが、
娘は、その中の1部にこだわるという性質があるため、
いつまで怒鳴りあっても話はまとまらず、
妹ちゃんは避難。夫は
「こんなうち帰ってくるんじゃなかった。」
と言い出す始末。

それでもね、やらなきゃいかん事はやらなきゃいかんから、
毎日、毎日、同じことを繰り返していたわけです。
こらえ性の無いパパは、すぐに、
「もう勉強なんてやめちまえ!」
っていうんですけどね、私は始めた事を中途半端にやめる気は無いのです。
のんびり娘も、受験を諦める気は無い。
だから、怒鳴りあいながらも、勉強は続きました。

でね、先日ようやく手打ちが出来ました。
「言った、言わない」を防ぐために、テープレコーダーで録音までするという
ような事までしたうえで、
なぜそんなにカリカリするのか、彼女にわかるように分析し、
どうしたらいいかについて、いろいろと提案しました。

カリカリすると、普通ならすぐに気がつくことに気がつかなくなり、
同じ間違いを繰り返すこと。
そのことにようやく気付いてくれた彼女は、その部分では納得しました。
でも、私の声が大きいということは、どうしても譲る気になれなかったようです。
これはね、主観的なものですから、テレコで聞いた結果がどうであれ、
彼女がそう感じるのなら、それはそれで真実ですから、私のほうで譲歩する事にします。
「じゃぁさ、気がつかなくなってる時には、字に書いて出そうか?」
「それがいい。」
「『気がついて』でいいかな?」
「うーん。いいかな。」

という事で、手打ちとなりました。

別に、彼女がニコニコと了解したわけでは無いんです。
私と同じように、彼女だって、毎日繰り返される状況にうんざりはしていたはずで、
そろそろ出口が欲しかったから、譲歩したんだと思うんです。

避難させたり、うんざりさせたりした他の家族には申し訳ないんですが、
こういう体験って、やっぱりあってよかったと思います。

のんびり娘は、友達同士で喧嘩して、譲歩してを繰り返す幼児から小学校低学年の時期に、ほとんどトラブルを経験していません。
友達同士で口げんかをする程、お喋りが達者ではなかったし、何か困った事があるとすぐに泣いてしまうので、大人の助けが得られたんです。
ですから、自分の力で相手の譲歩を勝ち取るという経験もないし、また喧嘩を続けるのが嫌だから何とか譲歩を考えるという経験も少ないです。

家庭の中で、母親との間であっても、こうしてバトルの末に互いの譲歩で手を打つという経験は、今後の彼女の役に立つような気がするんですね。