期末テストが返却されてきています。
音楽と、家庭科と、理科の第二分野(天体他50点満点)と。
ぎりぎり0点は免れていますが、20点を超えたものも一つもないです。
テストができないと、その分テスト直しレポートで頑張るしかありません。
先生方が前期の成績をつけ切る前に、
「頑張ってはいるんだな。」
と感じてもらえる形での提出が目標となります。
ほとんどが「直し」となる教科が積みあがると、それはそれでまた
試験勉強以上にきついものもありまして・・・。
この悪循環を何とか断ち切りたく、鬼母は奮闘するのですが、
どうもね「孤軍・・」になっているようだったんですよね。
今回は、彼女の「甘え」「だらけ」を指摘して臨んだ試験でしたので、
これをいい機会ととらえて「総括」いたしました。
なぜ、こんなに追い込まれるのか。
頑張っているつもりなのに、なぜ点数に結び付かないか。
なぜ、親子のバトルになってしまうのか。
「言語」に弱みを抱える彼女には、予習は必須です。
わからないところをためないこと。
それが鬼母の主義なのですが、
「自分で!」「自分が!」
が強くなってきたのんびり娘。
「できるだけ、勉強したくない」
という気持ちもおそらく手伝って、
「これは、まだやらなくていい!」
「学校で先生とやるからいい!!」
はては、
「やったらいけない!!!」(どこの世界に予習を禁じる教師がいるでしょう)
と、鬼母が探し出してくるプリント類(先生方手づくりのプリントで授業が進むことが多いです)を見直すことをなかなかさせてくれなくなっていました。
その結果、あらゆる教科で、
「やっていることが分からない」状態のまま授業を受け、
先生の板書をきちんと写し取ることだけを
「しっかり勉強した」と勘違いし、
脳みそに刷りこめないまま何十時間もの学校での学習時間を無駄にして、
結局、長期休みやテスト前に、家で1から勉強することになるわけです。
この大きな無駄を本人が自覚してくれないことにはどうにも話が進まなかったのですが、「悲惨な結果」と、それによる「大量のレポート」で少しは鬼母の話すことを受け入れる素地はできたようです。
「時間をうまく使う」ためには、「時間の制約」を意識できることが第一歩のように思います。
その第一歩をきちんと意識させられるかどうか。そこがまた難しいです。
音楽と、家庭科と、理科の第二分野(天体他50点満点)と。
ぎりぎり0点は免れていますが、20点を超えたものも一つもないです。
テストができないと、その分テスト直しレポートで頑張るしかありません。
先生方が前期の成績をつけ切る前に、
「頑張ってはいるんだな。」
と感じてもらえる形での提出が目標となります。
ほとんどが「直し」となる教科が積みあがると、それはそれでまた
試験勉強以上にきついものもありまして・・・。
この悪循環を何とか断ち切りたく、鬼母は奮闘するのですが、
どうもね「孤軍・・」になっているようだったんですよね。
今回は、彼女の「甘え」「だらけ」を指摘して臨んだ試験でしたので、
これをいい機会ととらえて「総括」いたしました。
なぜ、こんなに追い込まれるのか。
頑張っているつもりなのに、なぜ点数に結び付かないか。
なぜ、親子のバトルになってしまうのか。
「言語」に弱みを抱える彼女には、予習は必須です。
わからないところをためないこと。
それが鬼母の主義なのですが、
「自分で!」「自分が!」
が強くなってきたのんびり娘。
「できるだけ、勉強したくない」
という気持ちもおそらく手伝って、
「これは、まだやらなくていい!」
「学校で先生とやるからいい!!」
はては、
「やったらいけない!!!」(どこの世界に予習を禁じる教師がいるでしょう)
と、鬼母が探し出してくるプリント類(先生方手づくりのプリントで授業が進むことが多いです)を見直すことをなかなかさせてくれなくなっていました。
その結果、あらゆる教科で、
「やっていることが分からない」状態のまま授業を受け、
先生の板書をきちんと写し取ることだけを
「しっかり勉強した」と勘違いし、
脳みそに刷りこめないまま何十時間もの学校での学習時間を無駄にして、
結局、長期休みやテスト前に、家で1から勉強することになるわけです。
この大きな無駄を本人が自覚してくれないことにはどうにも話が進まなかったのですが、「悲惨な結果」と、それによる「大量のレポート」で少しは鬼母の話すことを受け入れる素地はできたようです。
「時間をうまく使う」ためには、「時間の制約」を意識できることが第一歩のように思います。
その第一歩をきちんと意識させられるかどうか。そこがまた難しいです。