のんびり娘の謎

10円が2個で、、、12円?今日の前の日は、、、前の日?のんびり娘のお答えは、理解できない謎ばかり。さぁ、どうする?

ちいさな「つ」と、ちいさな「や」「ゆ」「よ」

2007-03-28 15:02:59 | 小学校国語
1年生のときからずっと、のんびり娘は
「きゃ、きゅ、きょ」が苦手です。
どう読むのか、どう書くのか混乱してしまう。

何度も何度もプリントで学習しても、
やっぱり今でも?になることがある。
出来ているのは、その言葉を完全に覚えている
慣れ親しんだ物だけで、
新しく習う言葉や、耳慣れない言葉の場合は、
ほぼ間違いなく、小さな「や」「ゆ」「よ」でひっかっかっている。

今、きっと皆さんの頭の中に浮かんだ、
「き や」「きや きや きや きや・・・・」
と早く言って「きゃ」。
なんていうやり方も、もちろん何度も繰り返し教えたけれど、
やっぱり、本人の頭の中で整理がつかないらしいのだ。

ちいさな「つ」も、以前は本当に良く間違えた。
「しっている」が「してっいる」になっていても、
読み返して直せなかったり、そんなことが良くあった。
それも、4年生くらいまで。

今気がつくと、小さな「っ」に関しては、どうやら一山越えたようだ。
以前教えた、
「音のないところが「っ」なんだよ。」というのが、
彼女の理解のスタイルに良く合ったらしい。

「がっこう」は、「が」のあとに「つ」の音が小さくつくんじゃなくて、
「が」と「こ」の間の「音のない一拍」をあらわす。
それがわかってからは、不安になると自分で声に出して確認し、自信を持ってかけるようになったよう。

小さな「や」「ゆ」「よ」にも、こういう特効薬が見つかれば、
彼女のストレスも減るのになぁって思う。

どなたかいい方法をご存知でしたら教えてくださいね。

新生活に向けて

2007-03-28 12:01:53 | 娘の事・謎
今日はポカポカ。
東京の桜は一気に開きました。

さて、のんびり娘と妹ちゃんは一昨日からおばあちゃん家。
散らかし屋さんがいなくなった子ども部屋で昨日から大掃除に取り組んでいる私です。
中学校から届いた教科書などをしまう場所を作るには、
これまで溜め込んでいた諸々を片付けなくてはいけません。
でっかい袋を用意して、捨てる捨てる。

溜め込み屋の子ども達のガラクタと、のんびり娘に合ったものをと
次々に買い込んだ参考書やプリントの類が、これでもかとでてきて、
2日かかって尚、床の見えない状況です。

問題集は、その時々の理解度にあわせて、色んな物を虫食いで使ったから、
捨てるのに惜しい物がいっぱい。
でも中学校から届いた副教材を見ると、
今後、小学校の復習をしている暇はなさそう。
ということで、6年生までの教材は殆どが妹ちゃんの机にスライド。
どこまでもケチな母です。

プリントタイプのものも山ほどでてきます。
のんびりちゃんに問題をコピーしてあげるために、
我が家ではいち早くマルチプリンターを買いましたから、
紙もいっぱい使ったなぁ。

これも、妹ちゃんに回そうと思うけれど、落書き帳にされるのが落ちかしら。

卒業しても、お勉強。

2007-03-25 22:12:01 | 娘の事・謎
昨日から、娘は3年生の勉強を自分からはじめています。
学習机を整理していて、やり残した問題集が目に付いたかららしいのですが、
ひとりでコツコツと取り組んでいます。

算数では、重さをはかる単元。ひと目盛りの読み取り方に、
「ママ、これがわからない」と質問してくる辺り、
やっぱりのんびりちゃんなのですが、
それでもね、昔と違って、自分で
「1づつ」「2づつ」「5づつ」「10づつ」を試しています。
「たぶんこう」と、パッと浮かぶ物もでてきて、
彼女の頭の中で、少しづつ「数字」と「量」が結びついてきているのを感じます。
そういえば、中学校から出されている漢字の宿題に取り組んでいる時にも、
意味から字を思い浮かべるという場面が、少しづつ見えてくるようになりました。
のんびり娘の脳みそは、ゆっくりではありますが、まだまだ進化はしているようです。

さて、中学校から出された課題は、入試から先日の説明会までがクイズ的な要素の濃い
面白問題。
説明会から入学までが小数や分数の計算といった基礎基本問題です。

面白問題には、理論がわからなくても、根気よく数字を書き出していったり、
実際に立体を作ってみたりすれば解ける問題がいくつも入っていましたが、
のんびり娘が、自分で展開図を写し取り、紙を切って立方体を作ろうとしているのを見たときには、何だかとても感動しました。
器用で手早い解き方ではありませんが、自分のわかる方法で「何とかする」という気持ちを、ごく当たり前に見せてくれたから。

そして、こういうセンスのある問題(難しさ加減が絶妙でした)を家庭学習として出してくる進学先の先生方に対して、これまでにもまして信頼する気持ちが私の中に生まれています。

一転して、説明会後に出されたのが基礎基本問題のプリント。
主に分数と小数の計算問題です。
受験で頑張ってきたのんびり娘には、既にそれほど難しい物ではなくなっているのですが、それでも、小数点の計算での点の位置など、入学前に見直しができてよかった事がいくつもありました。
この辺りの問題の選択も入学前の復習として実に的確。分量もいい感じです。
数学に関しては、中学ではでる幕がないかもしれないと、期待をしてしまう鬼母なのであります。

一方で、国語の宿題は説明会までが「文章内容の読み取り」で、その後が漢字。
読み取り問題は受験の物ほどややこしくは無く、物語文説明文の基礎をしっかり押さえていく内容の課題になっていました。
これも、やらせていて「いい問題だなぁ」と感じました。
国語の先生もけっこう良いかもしれません。

そして、今取り組んでいるのが漢字のお勉強。
漢検の問題集を使って6級の勉強をしていきます。
解答用紙のパターンをある程度学校で作ってくれてあるので、のんびりちゃんにも取り組みやすいです。この辺の配慮もいい感じです。

ところで、この漢検の問題集はこれまで小学校で使っていたドリルより、ずっとわかりやすいんですね。
学校のドリルは、教科書で扱う順番で漢字が並んでいますが、漢検の問題集は「音読み」のあいうえお順。必然的に「同音異義語」がくっついてでてきますので、
自然と意味の違いに目が向きます。
形は覚えても読み方や意味の違いがなかなか入らないのんびりちゃん。「音」と「意味」が強く意識されるこの教材は、とてもいいなぁと思います。

「言葉」の強い妹ちゃんには漢検9級の問題集を与えて勝手にやらせていたけれど、学校の勉強だけで手一杯になっちゃうおねーちゃんには「漢検」は無理だと最初から手を出さなかったのは私の失敗だったかもしれませんね。
少なくとも、教材を購入して研究するぐらいの事はやっておけばよかったと思います。


















卒業式

2007-03-24 11:22:33 | 娘の事・謎

割合、ダランとしたペースの子どもの多い娘の学年なのに、
昨日の卒業式は素晴らしくピシッとして、
立ったり座ったり、横向いたりも、ピタッと揃ってお見事。

でも、そのお見事さがなんだかかえって可笑しくて、
「いやいや君達、ずいぶん頑張って練習させられたんだねぇ。」
などと、ニマニマしてしまう卒業式でした。

他のお母さん達はけっこう涙してるんですけどね、
正直に言ってしまうと、私はこの手の「よくできた式」では、
感動できないのですわ。
先日行なわれた「卒業を祝う会」のほうが、それぞれの持ち味が存分に伝わってきて、
それぞれの6年間が実感できて、ずっと感動的でした。

それでも、びしっとして行動ができるところを見せてくれたのは、
素晴らしいと思います。
タランコタランコの学年だったけど、先生達に反抗して大暴れした時期もあったけど、
やるときはピシッとやる。
その力が皆についた事を、素直に嬉しいと思います。

校長先生のお話も、教育委員長のお話も、少しも面白くは無かったし、
心を揺り動かす物ではなかったけど、長いお話の間も、
じっと話し相手を見つめて、揺らがない36人の背中には、大きな成長を感じました。
公的な場で、どう振舞ったらよいのか。
それを学ぶのに、こうした行事は確かに大きな役割を果たしていると思います。
かれらはそれを学んで、そうして中学へと旅立っていきます。

さて、一方で。
6年生皆で、担任の先生への色紙を用意していたのだそうです。

字だけでは寂しいからと、
真ん中には、先日の卒業を祝う会で撮った集合写真を貼り付けたそうなのですが、
この写真。実はお母さん達が購入するための見本の1枚を、
子ども達が勝手に切り取って使っちゃったんですって。

そうとは知らない担任は、「なんで写真がないんだろう?」って子供達に聞いて、
子供達は、「○○先生が知ってます。」って他の先生の名前を出し、
その○○先生は、子ども達の作戦を知って、慌てて写真屋さんに電話して、
お母さん達が見る卒業式までに、その写真をもう一枚用意してもらうよう手配したんだそうです。

周囲の皆様に、いろいろとご迷惑はおかけしますが、
こういうエピソード、いかにもこの学年らしくて、私は好きだなぁ。















いよいよ明日は。

2007-03-22 19:55:44 | 娘の事・謎
卒業式です。
ということは、今日は修了式。
最後の通知表と、テストをもって帰ってきたのんびりちゃん。

えーー!!0点ですかぁ!!!

算数のまとめてストは1時間に3枚やったらしいです。
1枚目、とってもていねいに解いて、感想まで書いて80点。
2枚目は、面面の途中までで48点。裏は0点。
3枚目は、丸きりの手付かずで0点。

良いんですよ。私自身はがっかりしない。
だって、一生懸命取り組んだ1枚目は80点ですもん。
他の2枚も充分な時間があれば、そこそこ取れる。
そこまでの力を、受験の体験を通して彼女は付けたんだと思うから。

ただね、学校のテストのあり方として、これでいいのかなっていう疑問はもちます。

2枚目以降は、時間切れのため彼女の実力は測れないってことですよね。
それで、点数をつけ、それで終わりにして、それでいいのかなぁ??

それぞれのテストは、まとめとはいえそれなりに分野が分かれています。
分野ごとの彼女の理解度は、このテストのやり方では測れないはず。

これがね、「1枚15分」という区切りの中で、それぞれを行なうならまだわかるのですよ。
限られた時間の中での、彼女の力の測定はできるから。

でも、3枚まとめてだとこうなるわけで、では、それは次の指導の役に立つのか
というと、私は????だと思うのです。

理想をいえば、
それぞれの持つ力をはかるためには、
1枚ずつ、本人の納得するだけの時間をかけてテストをし、
その得点と共に、かかった時間を記録して、
課題を見つけるのがいいなと思うんです。

そして、理解の弱いこにはそれなりの指導を、
理解はしているけれど、時間がかかるこには、それにあった指導を。
そうしないと、テストを有効に使ったとはいえないような気がするのです。

あとね、通知表についても一言。
娘の学校の通知表は、
よくできる できる もうすこし
の3段階に分かれています。
もちろん、のんびり娘は
「もうすこし」をいくつももらってきます。

評価としては納得もいくし、良くわかるのですが、
大人としてはこう思います。
「もうすこし」だったら、それをどうするのか、プランを聞かせてよ。って。
普通の仕事はそうでしょ。
「この辺りが目標に届かないところでした。」
という反省をしたら、じゃぁどうやって目標にとどかすかという作戦を立てるわねぇ。
そうして、次の決算には、必ず少しは上積みをしていく。
それがどうしてもできないのなら、目標設定に無理があるのだから修正をする。
それが仕事っていうもんじゃないでしょうか。
なのにねぇ・・・
「もうすこし」という欄に○をつけるだけなんて、いかにも「ものぐさ」じゃぁないですか。
その辺りの意識改革を、教育現場にはのぞみたいなぁ。





ルールを守る事の続きです。

2007-03-19 07:47:40 | 先生方に②参考になれば
ルールという言葉には、「堅苦しい」「面倒臭い」というイメージがあるかもしれません。
自分の行動を押さえつけられるという感じがしてルールの存在自体を嫌う人もいるかもしれません。

ですが、どんな社会であっても、社会である以上そこにルールはあるわけで、
ルールに背を向ける前に、ルールが何故あるのかを考えてみるのも悪くないんじゃないかと思います。

先日は「正しい言葉を使う」ルールが守られているクラスの話を書きしましたが、そのお隣のクラスでは、今も「したい放題」を続けている子ども達がかなりいます。
授業中に、漫画本の表紙をトレーシングペーパーに写し取る(紙は授業で使うために先生が配った物です)。
机にコンパスを突き刺して穴をあける。
配られたプリントをくしゃくしゃに丸めて放り投げる。
友達が発表している最中、或いは先生が授業をしている最中でも
教室の端と端同士で大きな声で昨日のテレビの話をする。
なんの断りも無く立ち上がり、教室の前にある鉛筆削りで鉛筆を削りだす。
「言葉」にしても、
なにかというと、
「うざい」「きもい」「ちょーきもい」
「やりたくねー」
「ばーか」「しね!」「ころすぞてめぇ!」
って、これが授業中休み時間関係なく飛び交うわけです。

私は、かなり許容範囲の広い人間だと思います。
私もまた、「変わり者」の部類に入る子どもだったし、
娘もまた、「普通」のペースとは少しずれているのですから、
他の子ども達にだって、或いは大人にだって、
「常識」だの「普通」だのを押し付ける気は毛頭ないし、
そこからかなり逸脱している様子を見せられても、
それは成長の過程で見せる一面だと考えるし、
その子の本質の全てだとも思いません。
子ども時代を過ごして来た人間なら心当たりはあるはず、
大人に反発したり、悪ぶったり、そういう時期は
誰でも通るのだと思います。

ただ、このクラスでは、その数が多すぎることで、
逸脱がクラス全体にまで広がってしまったこと。
そしてそのことで、集団の中で自然に働く修正機能が
うまく働かなくなってしまっていることが問題なのだと思うのです。


毎日のやりたい放題の中で、
ルールを守る事は面倒な事、押し付けられる事
とばかりに反発する子ども達。
先生に注意されれば、「なんでそんなことやら無きゃいけないの?」
と問い返してきます。
「学校のルールだよ。」といえば、
「そんなルール俺が決めたんじゃないからしらね―よ。」とも。

そして、他人を傷つける事にも、自分の行動の結果が何を招くのかにも
すっかり鈍感になっていき、
投げたい所にボールを投げた結果、友人の目を傷つけ、
言いたいときに「ばっかじゃないの」と隣の子どもに言葉を投げつけて
喧嘩になり・・・

あまりにも先を見通すことのできない行動に、暗澹たる気持ちになります。

私は時々、こうしたいたずらボンズたちに警告した上で、
抱えあげて、廊下に連れ出す事があります。
男の子とはいっても、まだ4年生。大人が本気になったら
力で押さえつける事は可能なんだという事を少しはわかって欲しいから。

「俺が決めたルールじゃないからしらね―よ。」
と口にする子どもは、もし私がそう言って、気に食わない彼の事をきづ付けたらどうするのでしょう。

「教育委員会に言いつける」というんだなぁ。

権威が生きるのは「ルールを守らなければいけないという前提があってのこと。

大人が本気になったら、子どもの一人や蓋るい潰すのは簡単何個と。それ側Karanai、早々できない。
ルールとは、弱者を守るための物なのよ。そう、それぞれがしたいようにしたら、力のある人間にはかなわないのです。
私の弁舌も、能力も何の力も発揮できずに終わるのです。

女子どもといいますが、そう、弱いものほどルールが必要なのに、
小学校の段階でルールを拒否する事を当たり前と思い出すというのはどういう事か。
自分で自分を追い詰めているような物なんです。

お互いに傷つけあわない
という最低限のルール。
いじめはそのルールを逸脱する物です。
相手を傷つける言葉を正面気って投げつけるのもそのルールを逸脱する物でうS。
良く「いじめられる人間に9も・・・」という人がいるけれど、
それがおかしいのはなぜかわかります。
その論法を続けていくと、弱いものを守る必要はなくなって
この社会は文字通り「弱肉強食」になるからです。

「お互いに無闇に傷つけあわない。」
というルールがあってはじめて人間は色んな才能を開花させることができるのです。
学校で学ぶべきなのは、まずそのことだとおもうのですね。


自分で決めるという事。

2007-03-17 07:30:29 | 日本って・・。
プロ野球界の裏金問題が、テレビのワイドショーを賑わせています。
ふたりの青年が、カメラの前で自分の行動を謝罪していましたが、
その会見を見ていて、考えさせられたことがあります。

最初に、謝罪会見を開いた東京ガス(社会人)の選手は、やさしい顔をした青年でした。
ですが、彼の言葉には「自分のしたことの責任は全て自分で受け止める」という覚悟が見えました。
「お金を受け取った時、悪い事だという認識はあった。
ばれたらアウトだという事もわかっていた。
それでも、家庭が大変だったから、母が喜ぶから、親への気持ちを取りました。」
と語る彼は、その決断の当時まだ高校を卒業するかしないかという若さだったろうに、
自分の人生の全てを、或いは家族のことも、自分で引き受けていく覚悟をしていたのだろう。
こちらの選手に対する裏金が断たれたのは、所属する東京ガスからの申し入れがあってのことだったという。
今回、こうしてばれてしまう前に、彼は自分の所属する会社にことの事情を打ち明けて、「間違っている状況」を正そうと努力をはじめていたことが伺える。
それはやはり、「自分でしたこと」という意識をちゃんともっていたからできたことではないだろうか。

一方で早稲田の選手。
「もう一人の方が謝罪しているのを見て、自分も正直に話して謝罪したかった。」という。
でもね、ごめん。君の謝罪には「そう言われたから、しちゃったんです。自分がしたかったんじゃないんです・・・。」という気配がいっぱい見えたよ。
こちらの裏金が止まったのは、西武の方からで、「トップが変って指名できなくなったから違約金として残りの500万を払う」ということだったらしい。
このお金も含めて総額1000万。
当初の約束では、入団時の契約金で支払うという事だったそうだが、これだけの負債。
自分が怪我をしたり病気になって野球が続けられなくなったりしたときにどうするのか、そういう事は少しも考えなかったのだろうか。
彼の会見からは、そういった「考え悩んで、自分で決めた」という形跡が少しも感じられなかったのだ。

確かにね、周りに群がる大人達は良いように色んな事を話したかもしれない。
でも、それを受け入れたのは自分なのだ。
全ては「自分で決めたこと」。
その意識をもたなかったから、悩まずにすごすことができたのだろうけれど、
その意識をもたなかったから、全てが後手に回ってしまったのだよ。


さて、昨日のこと。
のんびり娘が久々に泣きべそモード。
給食の時間に、班の女の子が意地悪ボンズに
「あなたの悪口を低学年に言ってる子がいるよ。」
言いつけたそうだ。
心当たりのあるのんびり娘は、意地悪ボンズの怒りに固まって
謝ることも弁解することも何もできずに帰ってきたらしい。

で、のんびり娘、自分が悪口をいった事がいけない事はわかっているのに、
そのことよりも、言いつけた女の子や、自分に悪口を言わざるを得なくさせた
意地悪ボンズの事をまず批難する。

違うよ。
今あなたが困っているのは、悪口を言ってしまったという事実があるから。
なければ、「私じゃない」って堂々としてられるのに、
言っちゃったから、心が重いのだよ。
それをまずしっかりと認めないと、次には進んでいけないのだよ。

人の気持ちを重くさせるためだけのそんな言動をする女の子はもちろん良くない。
そして、意地悪ボンズの言動ももちろん悪い。
でもね、その子達の事をあなたは変えられる?
変えられるのは自分だけ。
まずは自分がどうしたらよかったのか、それが大事でしょ。

小学校は練習の場所だ。
お友達を作る練習をしているんだよ。
だから失敗していいの。失敗してよかったの。
まさか、そうして話がめぐり巡っていくとは思わないから、
つい悪口を言っちゃったんだろうけど、
そういう話はね、必ずまわってるんだよ。
そしてね、人の悪口を言ってあるく人間を、心ある人は信用しないのだよ。

小学校の最後に、こういう事があってよかったじゃない。
失敗を成功の元にして、新しい友達との関係に生かしていける。
でもそれは、「自分でしたこと」という認識を持った時だけに出来ることだよ。
「意地悪ボンズが色々するから我慢できなくて言っちゃった。」とか、
「その女の子はいつも他の二人の子と私の悪口を言っているのに、
私のことを言いつけるなんてひどい」って文句を言っているうちは、
失敗が成功の元にならんのだよ。








ルールを守る事。

2007-03-16 19:42:19 | 先生方に②参考になれば
4年生に一人、とても気になっていた女の子がいます。
知的な遅れも少しあるのでしょうが、動き方もマイペース、
そして何より、家庭でのケアの薄さが気になる子でした。
とても汚れた服を着ていたり、手や首筋が垢で黒かったり、
そのせいでしょうね、
「きもい」とか「うざい」とか、
言葉いじめのターゲットになりやすいお子さんでした。

3年4年と、クラスに入る事はなく、少人数の教室であった時だけのフォローでしたが、
他のクラスの意地悪ボンズが、「あいつのところに行っちまえ。」とか「お前、あいつが好きなんだろ。」とか、彼女を使って他の子をからかうような事も良くあり、彼女の学校生活が辛い物になっていないかどうか、とても気になっていたのです。
(といっても、家庭でのフォローが望めない彼女には、他の子よりも優しく気を配ってくれる先生もいて、私だけがヤキモキしていたのではないんですけどね)

学校での授業がまとめ段階に入って、4年生の算数も少人数ではなく、各クラスでの授業となりました。どこのクラスに応援に入ってもいいというので、彼女のいる教室に行く事にしたのですが、行ってみてホッとしました。
このクラスでは、友達を傷つける乱暴な言葉を聞くことがなかったからです。

なにしろ、名うての学年ですから、勝手な事をする子はいます。
授業中一切の課題に取り組まず、堂々と、本を読む。
隙を見て立ち上がっては、教室の隅で男の子ふたりで喋りだす。
そういう子もいるんです。
でも、先生は怒鳴りません。
「みんな、後の二人に教えてあげてくれるかな。」
とクラスに呼びかけ、子ども達が、
「席に戻ってください。」
と呼びかける。
すると、このふたりも素直に席に戻るんですね。

得てして、人を注意する時の「言葉」は、キツクなったりするものですが、
このクラスの先生のことばかけは非常に落ち着いたものですし、
それにこたえて子ども達が二人にかけた言葉も
責める色合いのないものでした。

黒板の上に大書されたルール。
「教室では正しい言葉を使いましょう。」
が、教師児童共にキッチリと守られているクラスでした。

もちろんね、教室を離れたところでは、きっと色んな言葉が飛び交うでしょう。
このクラスの子ども達だって、別に天使じゃないんだから、
名うての4年生、逸話の多い子ども達がやっぱりこのクラスにもぞろぞろいるのだもの、
他のクラスの子と一緒になって、彼女をバカにしたりもするでしょう。

でも、それでもクラスの中で言葉で攻撃されないということは
彼女の毎日をどれだけ安定した物にしてきたことか。
そう思うと、なんだかありがたくてありがたくて・・。
この先生に当たってよかったなぁって思って。

彼女、良く勉強します。授業中はね。
わからなければ「わからない」って聞いてくる。
彼女だけじゃない。
かつて金髪少年だったツッパリ君も、
できないところは、
「忘れた。教えてよ。」って聞いてくる。
それはね、聞いても馬鹿にされない。からかわれない。
という安心感があるから出来ることだと思う。
「したい放題」が当たり前になってしまっている隣のクラスとは、
そこが大きく違うのです。

子ども達の心の中身を規制する事なんて誰にもできはしないけれど、
学校生活、集団生活でのルールをキチンと身につけさせる事は
やっぱり大事なんだと改めて思う。

ルールは何のためにあるのか。
それは、考え方の違う人間達が、それでも何とかうまくやっていくための知恵なのだ。
剥き出しの感情、考え無しの悪意をぶつけ合うことが「自由」なんかじゃないのだよ。
そんなことが「子どもの個性」を育てたりはしないのだよ。

そういう事を思ってしまうのです。




ママ達のこと

2007-03-16 12:53:11 | 日本って・・。
のんびり娘の行っている学校は、建物が近代的でとぉーっても立派だし、
ブレザーなんかもあったりするから、「名門校」と勘違いする人がたくさんいる。
でも、商売人の多い土地柄から、「働く母さん」の比率が高く、
親が学校に求めているものも、近くの「名門校」とは大きく違っているのだ。

例えば、のんびり娘がその区の中学校にはいけなくなったという事を聞いて、
「なぁにそれ、だってさぁ、6年間自分のところで育ててるんでしょ。
で、成績が悪いって、そりゃぁ自分とこの教え方が悪いってことじゃない。
だいたい、まだ12歳だよ。
これからどう伸びるかなんてさ、今わかるわけないじゃない。」
という言葉が、ポンっと帰ってくる。

勉強は学校でやるもんでしょ。
という感覚がベースにはある。
子供達は、元気に学校に行って、しっかり給食を食べて、
家ではちょこっと勉強して、しっかり手伝ってくれればいい。

商売人として、色んな人たちを使い、
色んな人たちの中で仕事をしているから、
小学校の成績の少々の違いが、大人になってからの仕事に
直接関係するわけでもないことも良く知っている。
これは、知識ではなく体験で積まれているものだから、
先生が「他の学校のお子さんは1日3時間も勉強してますよ。このクラスの子はそれにくらべると全然で・・」と脅しても、
大して動じはしないのだ。

でもね、放任ではないのよ。
学校に任せっきりというのとも違うの。

子どもが学校に行ってくれなきゃ困るんだから、
皆が学校に楽しく通える状況を大事にする。
そのために出来ることは、できる範囲で何でも手伝う。
そういうお母さん達の多い学年だったの。

この間、そんなお母さんの一人と立ち話。

「私だって、「嫁に行け、嫁にいけ」って居心地悪くさせられたから、
しょうがなく嫁に行ったんで、でなきゃ実家にい続けるほうが良いに決まってるわよ。
子供だって一緒でしょ。家があんまり居心地良かったら、安い給料で働きたくなんかならないわよ。」
私も、そう思うんだな。
昔と違って、今の家庭生活は非常に快適。
個室という自分の自由になる空間があって、PCやゲームテレビといった暇つぶしの道具があって、食べる物着るものに困らないなら、ストレスのかかる仕事になんかいくもんですか。
と、本性ずぼらな私はそう思う。
自分がそうなんだから、子供だってそうに違いないと思ってしまうので、
我が家には個室もないし、子どもが勝手にしていい電気製品もないのです。
テレビはママが買ってパパが電気代を払っている物。
だから親の許可した時間しちゃ見ちゃいけないのだ。

今時にしてはとっても窮屈でしょ。
嫌なら自分で稼いで自分で自由な空間を手に入れること。
それまでが窮屈だった分、働くことがどんなに自由で面白い事かがきっとわかるよ。