のんびり娘の謎

10円が2個で、、、12円?今日の前の日は、、、前の日?のんびり娘のお答えは、理解できない謎ばかり。さぁ、どうする?

面談

2009-10-30 08:39:27 | 中学校のお勉強
昨日はのんびり娘の三者面談でした。高校入学後のコース選択。
これからの目標など、1時間以上に渡って、じっくりと話し合うことができました。

つくづく、
この学校に出会えて良かったと
そう思いました。

また、詳しく書きたいのですが、パソコンに向かう時間が殆ど取れません。
これも、携帯で、出勤途中に歩きながらうっています。

週末は、妹ちゃんの学芸会。週があけたら、首のMRIを取りにいきます。この何ヶ月か、首の痛みが取れないので、念のため調べてもらうことにしました。

英語。

2009-10-20 23:20:18 | 英語
携帯からです。

のんびり娘、今日は独りで英語のプリントに取り組んでいます。
whichとwhoを使う関係代名詞の問題プリントです。

「2文を1文につなげる」タイプの問題は完璧!

でも、一番嬉しいのは、大の苦手だった日本語訳を自分の力でやっていることです。

(3)の問題、単語の上に書き込みがありますよね。
わからなかった単語を自分で(多分電子辞書でしょう)調べて、それを意味の通る形に並べ替えています。

ごく普通の英語の勉強法だと思われるでしょうが、ここまで来るのにどれだけかかったか…。

英語がどうのこうのという以前に、日本語として意味の通る文を作る事が難しかった。
主語と述語が対応しない文を作ってしまうことも日常的にあったし、明らかに筋の通らない文章を作っているのに気がつかなかったり、気付いてもどう直していいかわからなかったり。
知っている単語を見た段階で、自分の頭の中にしまわれている過去のストックを当てはめてしまい、それ以降の単語が大幅に違っていてもお構いなしだったり…。

英文をつなげる問題も、少し前までならマニュアルに沿って機械的に行うだけで(だから間違っていても気がつかない)、その文の意味を意識して考えるのは苦手だったのに、今日は考えながらやっているのがわかるの。だから、間違ってしまったときに自分で手が止まるのね。


3枚のプリント、表裏全部はできなかったけど、すっごくいい学習が出来たと思うから、「眠い!」
と彼女が言った時点で、
「充分頑張ったから、残っていても寝て良いのじゃない?」

と、お風呂を促しました。
本人にも、充分に頑張った感があったのでしょう。いつになくスパッと切り替えてお風呂に向かいました。

つかれた~!!

2009-10-18 23:52:00 | 中学校のお勉強
新型インフルで、のんびり娘の学校は、水曜の午後から学校閉鎖中です。
子供たちがうろうろと出歩かないようにと考えられたのか、宿題がたっぷり・・・。
要領の良いお子さんなら3日もあれば仕上げるんでしょうけど、何せのんびりチャンですから。

結局、今夜も11時過ぎまでかかりました。
数学は、忘れちゃったり混乱して混ざってしまっているものが多いので、解きほぐしながら、思い出させながらの勉強になるのです。そのため、余計時間がかかるの。

この数学でのんびり娘、最近ズルをおぼえまして・・。
私が仕事に行っている間にずいぶんと進めたと思ったら、回答写してるんですよね。
「見る人が見れば、それはまる写しだってすぐわかるんだから。」
と脅して一昨日もやりなおしたのに、今日もまたやってる・・・。

このあたりも、1度では懲りないというか理解しないというか・・・。
でも、結局鬼母とやりなおしになって、少しは懲りたかしら。
鬼母建に10年も横に座ってはいないのよ。君の解き方の癖は知りつくしているわ。
今回で懲りていないとしても、あと数回がっかりさせれば学習するだろうと、
これも長いスパンで対応しますわ。


一方で、英語は自分からよく勉強するようになりました。
といっても、やはり文法問題などはどこに注目するべきなのかがよくわからないので、鬼母との取り組みが欠かせませんが、単語調べを自分一人でやるようになってきたんですよね。
それも電子辞書ではなく、教科書の後ろにある単語リストで見つけてくるようになりました。

彼女にとっては、辞書を引くルールそのものがとても難しいものでしたの。
ですので、時間短縮のため、電子辞書を与えていたのですけど、
英単語にはいろんな意味があるでしょ。
たくさん並んでいるものの中から、今回はどれを選んだらいいのか、文章力がないと結構難しいのです。
その点、教科書の後ろの方に乗っている単語帳は、その単元で取り上げられている意味が書かれているので、こちらで調べられたらよいのにとはずっと思ってきたんですよね。
でも、本人が捜そうとするとなかなか見つけられなくて、結局電子辞書に頼っちゃう。で、ひいては見たものの、どれにしたらいいかわからないから、見当違いの意味を書いてしまうなんていうこともあったんです。
ですから、辞書ひきもずっと一緒にやってきました。

それがね、今回ほとんど一人で調べ上げたかな。
のんびり娘の学校は週に8時間も英語があるほど英語に力を入れているので単語調べも半端な量じゃないんです。それをほぼ一人で調べられたことは、本人にもすごく自信になったようです。

なんていいますか・・・「辞書が引ける」って、親としてとても嬉しいんですよ。
それだけのことなんですけどね。

そして鬼母は・・

2009-10-18 07:39:13 | 母の作戦、考え
そうして何が変わったかと言うと・・・
まぁ、大して変ってはいません。なにせ、以前から鬼母でしたから。
ただ、いろんな分野で、
「そのうちわかるはず」
と考えるのをやめました。
例えば、ぶーたれ。
自分一人が被害者のような気分になって、むっとした顔を続けること。
これなんかも、
「そのうちに気がつく」
と、
私の方では、無視したり、目に余れば叱りつけたり、という一般的な対応しかしてきませんでしたが、そこに「解説」が加わるようになりました。

これには、「解説」を理解できるレベルまで、彼女の言語力が上がってきているという背景もあります。小学校時代でしたら,「ぶーたれる」こと自体を「成長」と感じて喜んだと思うんですよ。でも、中3の今は、「自分の気持ち」ばかりにこだわる彼女の眼を、もっと開かせねばと思いますし、それを説明する私の言葉も何割かは頭に入って理解できるようになっていると思うんです。

そして、もっともっと外へ外へ。いろんなことを経験することが出来るように。そう思っています。誰だって、未経験のことには腰が引けます。のんびりチャンは臆病チャンでもあるので、一人で生きるときに臆病になりすぎないように、経験を積んでいってもらいたいと思うのです。

そうそう、昨日は歯医者の日だったのですが、自宅からとか学校からとかではなく、
遊びに行った児童館から、時間を見計らって歯医者に向かうというちょっとレベルアップした移動をさせました。
乗り換え一回の移動はそう心配はないだろうと思いましたが、遊んでいるときに、ちゃんと時間が意識できるか。間に合うように移動できるか。これが課題でした。
途中の電話連絡がなかったので心配しましたが、歯医者なら少々遅れても許してもらえますし・・・。
ちゃんと時間には間に合っていたようです。診療の後次の予約を取るのに「いつにしたりい?」電話してきましたが、そうした時にも、「自分で決める」を少しずつ彼女に体験してもらっていこうと思います。
いきなり「できる」ようになったり「わかる」ようになったりはしません。
でも、自分で何度も体験した事ならできるようにはなる子ですから、今後の彼女の人生を想定しながら、今私が出来ることを積み上げていこうと思います。

そして、将来の仕事についても、そろそろ想定を始めようかと考えています。
途中修正は効くのですから、早めに準備始めたって悪いことはないでしょう。

彼女が以前から希望していたのは動物や小さい子供のお世話。
確かに、こうした方面が気質にも合っているのかと思います。
事務仕事は能力的に難しいというのもありますが、それが努力でクリアできたとしても、やはり彼女には、成果が分かりやすい仕事の方が向いていると思うのです。

ただ、どんな仕事であれ、就職試験に際して自分のことを上手にアピールできる言語力は十分ではないですから、それを補う資格の類は必需だろうと思います。
そして、「外」でのスキルを積み上げるためには、温かく守られている今の女子高で過ごすだけではやはり足りないのではないかとも思っています。
今の温かい状況で自分に自信をつけ、周囲の子供たちの言動を見ながら、友達と過ごす時の距離感や言葉をつかみ、そしてそれを次の環境につなげる。
それが、今私の考えているシナリオです。
次の環境というのが、大学(短大)なのか、専門学校なのか、それはこれから1,2年で詰めることになりますけど、進学とその後の資格取得を目指して、さらに数年、彼女との二人三脚をするのだと腹をくくりなおした鬼母なのであります。



義弟が残してくれたもの。

2009-10-17 11:14:09 | 母の作戦、考え
Ri-mamaさん、コメントありがとうございます。お返事後回しになってしまっていて済みませんが、もう少し書かせてください。


 義弟の実家では、以前から、奥さんのお母さんの行動を
「やってあげすぎじゃないの。自分でやらせてあげないと・・」
という話がよく出ていました。
(義弟は、決してそういう話をしません。奥さんのことについての愚痴も言ったことがありません。ですので、義弟実家の話と言っても、これは義弟一家を抜いた話と思ってください。)

そういう時、私は少し複雑な気分で話に加わっていました。
のんびりチャンに「自分でやらせる」ようにするための根気は、結構大変なものだということを他の誰より感じていましたから。
そして、奥さんの家には、奥さんより緊急を要することの多かったであろう、手をかける必要が高かったであろうお姉さんがいる。
母親としては、まずお姉さんを少しでも自立に向かわせる療育をと頑張ってきただろうということは想像できました。おそらく中度の知的障害だろうと思われるお姉さんの作業所への送り迎えなどもお母さんが請け負っています。
そうした中、なんの問題も起こさない奥さんにどれだけの手をかけられたか・・・
お母さん一人を責めてよしとする気持ちにはなれませんでした。

人間、誰でも持っているものは違います。
奥さんがその家のたった一人の子供であれば、お母さんももっと違った育て方をしたかもしれません。
また、奥さんの家庭がもう少し余裕のないうちであったなら(別荘を持っていたりして、結構お金はあるようです)、
奥さんを家で箱入りさせず、パートでも何でも出来そうな所にお勤めさせていただろうと思います。
或いは、お母さんが働きに出て、奥さんに家事を任せたかもしれません。

現在の結果は、それぞれの能力や考え方だけではなく、その人を取り巻くいろんなものから導き出されているのだと、私は思います。
それならば、私がむやみに奥さんとのんびり娘をつなげても仕方がない。
我が家には、のんびり娘を一生養っていくだけの余裕は生み出せそうもないし、
出産の遅かった私は、彼女が私の手を必要とするだけの間ずっと元気で生きていられるとは限らない。

そうであれば、そうであるなりの、我が家の人間育てをやっていく他ないんですよね。
当たり前と言えば当たり前のことなんですけど、揺れに揺れて、そうしてやっぱりそこにたどり着きました。

そうなってみれば、今回の一連の出来事も、のんびり娘成長の糧とすることが出来ると考えられるようになってきます。
我が家でも、「もしママが倒れたら・・・」のシュミレーションをやってみましたし、
どんな言動が人を温かい気持ちにさせ、どんな言動がそういう気がなくても人を傷つけるのか、義弟をめぐる動きの中で例をあげて感じてもらうこともできました。

一人の人間が死を迎える、しかも周囲が想定していなかった若さで・・・
そういう出来事は、人間の中のいろんな部分を浮き上がらせてくれます。
ここで深く触れるつもりはありませんが、きれい事では済まない、どろどろとしたものも出てきますし、ささくれ立った心と心が無用のいさかいを産むこともあります。

そうしたこと全てを、子供たちに見せて聞かせて、彼女たちが感想を持ったところで、
互いの立場と思いを解説し、そうしてなぜそうなるのか考えさせて・・
義弟を見舞う病院の行き帰り、義弟実家や告別式会場への行き帰りの車の中で、
子供たちといろんなことを話しました。
「自分」側のものの見方と、「相手」側のものの見方と、それから「傍観者」としてのものの見方と、そういう複眼的なものを少しは感じてもらえたのではないか。
それがこの後どうつながってくるかは、これも私の腹の括り方一つだろうと思っています。
途中であきらめるか、わかるまでしつこくしつこく、手を変え品を変え働きかけるか。
私は後者をとることにしました。


ありがたいことに、義弟の生き方は人間の温かい面をたくさん子供たちに見せる結果も残してくれています。

雨の中、心から義弟を悼み各地から集まってくれた大学時代の仲間たち。病院にも毎日誰かが顔を出して、義弟のために人目憚らずに泣いてくれました。
これまで何度も支店を変わっているのに、20年も前の支店で一緒だったと、わざわざいらしてくださって、私たちに一言残してくださった方。
生まれてまだ2カ月にもならないであろうお子さんを抱えて、「どうしても先輩に見ていただきたかったから」と言ってくださる前の職場の女性。
まだ、配属されて2カ月にしかならなかったのに、月末で大変忙しいというのに、
今の職場の方々も皆さん駆け付けてくれて、受付など快く引き受けてくださいました。
支店長さんは、通夜の日の夜遅くまで外の受付の前で頭を下げ続けていてくださいました。

「頑張っていれば、それを必ず見ている人はいるよ。」
「人にやさしくしていれば、それは必ず帰ってくるよ。」
私が繰り返しのんびり娘に伝えていることを、義弟は「そうなんだよ」と教えてくれているようでした。

勉強中です。

2009-10-16 23:18:28 | 中学校のお勉強
のんびり娘、只今数字の問題集と格闘中です。

ルートの問題なんですけどね。

「ママがいると思い出すからそこにいて。でも何も言わないで!」が、彼女の希望です。(迷路にはまり込みそうな時、一言かけてもらうにはいけど、注意や指導はされたくないってことですわね。自分がわからない時には即座に答えてほしいということでもあります。)
ということで、これは携帯から。

インフルエンザのために学校は休校(自宅学習)になって、彼女は今日、昼寝してるけど私は寝てないのよ。
なのに、
「明日、児童館に遊びに行きたいから、今夜もっと頑張ってやる!」
だって。

あと1時間位はお付きあいかな。そのあと洗濯物や台所を片付けて…また今夜も寝不足ですわ。眠い!

箱入りの人生よりも・・。

2009-10-15 20:16:15 | 母の作戦、考え
希望さん、コメントありがとうございます。
これは、ごくごく身内の話です。こんなに長く書いてどうするというような話です。
でも、「のんびりチャンの母親」として私の心を揺らした出来事だったので、
一気に書いています。

義弟が倒れたその日から、奥さんと息子は奥さんの実家で暮らし始め、結局そのままアパートは引き払うことになりました。
義弟は生命保険にも入っていましたし、遺族年金ももらえます。
実家で暮らす奥さんには生活の心配も少ないし、奥さんにとっては一見願ってもない結末のようにも思えます。
でも、たぶん、しばらくすると彼女は気がつくのではないかと思うのです。
彼女が失ってしまったものに。

奥さんはお出かけの好きな人です。でも、自分では動けない(やろうと思えばできるくらいの能力は楽にあります)。
実家のお母さんは、まず第一に障害のあるお姉さんの面倒を見ます。そしてその次に5歳の孫を。
奥さんを遊びに連れていく暇はないのです。

おそらく、彼女はずっとそうだったのではないか。
そんなことを想像します。
おとなしくて、じっと座ってテレビを見てくれている子供。それが奥さんだったのではないか。
そこに、(どういうきっかけだったかは未だに謎です)義弟が現れ、彼女をあちこち連れ出してくれた。
他に友達もいない奥さんはそういう場で、きっと最高の笑顔を見せたでしょう。それが義弟の頑張りのモチベーションだったのではないかと、私は想像していますが、たまのお出かけと毎日の暮らしとは違います。体力や気力に余裕のあるときばかりではないのが生活ですから、いつも笑顔でいさせてあげられるわけもなかったでしょう。

それでも、義弟は子供と奥さんを連れていっぱい遊びに行きました。海に山に、テーマパークに、ショッピングモールに。
義弟の付き合いの中で、奥さんが負担に感じなさそうな所には一緒に連れて行くこともありました。
そして、義弟実家(つまりパパの実家)には頻繁に寄って、夕食をみんなで食べて行きました。
奥さんは、携帯を買ってもらい、義弟実家で私たちと過ごす中でメールも覚えて行きました。

家族の中だけで過ごしてきた彼女が、義弟と出会い、ゆっくりではあるけれど、実に狭い範囲ではあるけれど、それでも少しずつ自分の世界を広げてきた。
その流れは、義弟の死によって振り出しに戻ってしまった。
そんな風に思えてなりません。

彼女が義弟と暮らしてきたアパートは、翌月には片づけられ、親子3人であちこちに出かけた義弟の愛車もすぐに売り払われました。
「どうしましょう?捨てましょうか?」と言われて、義弟の私物(部屋いっぱいにプラモデルとか海関係の雑誌とか、買い置きの洋服や靴とか、男一人分としてはものすごい量がありました)は、私たちの方ですべて実家に運び込みました。(私たち夫婦と義妹夫婦、車2台が3往復ずつして、丸二日かかってます)

彼女の居場所は実家以外にもうありません。
そして、携帯も・・
その片付けの時に、「終わったよ」と報告しようと電話をしたら、
もうつながらない状態になっていました。


息子は来年の4月から小学校に入ります。
あのお母さんのことですから、入学手続きも入学後の保護者会も、全部一人で請け負ってしまうでしょう。
奥さんは、また、日がな一日ソファに座ってテレビを見る生活に逆戻り。
それは安全で楽な日々かもしれません。

でも・・
「きっと、もう少ししたら電話かかってくるわよ。」
と、義母は言います。
自分を連れ出してもらいたくて、電話してくるとそう言うのです。
私も実はそう思っています。
きっとお母さんは止めるだろうけど、留守の間に電話してくるだろうなと。

彼女自身が外に出られれば(何度も言います。能力はあります。)。
彼女自身に居場所や仕事があれば。
彼女自身に友達がいれば。
彼女の人生は、そんな風に箱に入ったようなものではなくなるはずなのに・・・。


ということで、
のんびり娘にはやはり彼女の居場所や彼女の友達(軽い友人、知り合いの類でもかまいません)を手にすることが出来るところまで、鞭を緩めないでいよう・・・
そんな風に、回復してきた心は感じたようです(この辺りが鬼母ですわね)。

今現在、のんびり娘には休日に一緒に出かけたりするようなお友達は一人もいません。学校でも、親しく話すお友達がいるようではありません。
小学校時代のクラスメイトが、時々一斉送信でメールアドレスの変更などを送ってきてくれますが、それ以上のお付き合いはあまりないです。

そののんびり娘が、自分なりの居場所(私は職場を想定しています)をもち、お友達を作れるところまで行くには、きっと高校卒業まででは時間が足りないでしょう。
就職に有利になるような資格の獲得と、彼女が友人関係のスキルを積み上げられる環境を求めて、上位学校への入学を目指すことも視野に入れようと、鬼母、また一段腹を括ったのであります。


通夜、告別式で考えたこと

2009-10-14 23:49:26 | 母の作戦、考え
どんなに頑張ってもできないことってだれでもあると思います。のんびりチャンには特にたくさんそれがあるように思います。
毎日2時間とか3時間とか、テスト前の休日などは10時間も勉強しても、
のんびり娘が東大に入ることはあり得ないと、ずうずうしい私にだってはっきりとわかります(笑い)。

「どうしてもやらなきゃいけないこと」だって、できるとは限りません。
その時に人の手を借りたって私は構わないだろうと思うのです。
例えば、友達に、例えば、親に、例えば親戚に、例えば通りかかった誰かに、
助けを求めたって構わないと思うのです。

ただ、「それは自分のやるべきことだ」という意識を持って人にやってもらうのと、
そうでないのとでは大きく違うと、私はそんな風に思います。


お通夜、告別式、奥さんのお父さんとも相談して、喪主は義父がつとめました。
葬儀社との打ち合わせはもちろん、義弟の友人たちへの連絡、勤務先との打ち合わせなども全部こちらで請け負いました。
それは、とても自然な流れでしたし、家族みんなが義弟のために何かしたくて動いていたことでしたので、それでよかったとは思っています。
ただ、奥さんを巻き込まなかったこと。これが良かったかどうか、天国の義弟にどう思われたか、少しだけ気になってはいます。

お通夜の日、奥さんの母親は、奥さんを囲い込むようにして、ずっと隣で支えていました。通夜振舞いの時も、自分たちの親戚だけが集まった席から動かそうとはしませんでした。

夜遅くなっても、仕事を終えてから来てくださる方がポツリポツリと続いていていました。
パパは、誰もいなくなった義弟の棺のそばで、そうした方々をお迎えするために
食事もせずに座り続けています。
外の受付のそばには、義弟の勤務先の支店長さんがずっと立っていてくれています。

そういうことに、奥さんが気がつく機会を持たせられなかったことを、少しだけ私は悔いています。

さて、のんびり娘と妹ちゃんですが、事前にお話ししておいたのが効いたのでしょう。
自分に何ができるかはよく考えてくれたと思います。
のんびり娘は、葬儀場の門が見えるところに陣取って、来場される方がいると、私やパパのところに知らせに来ます。
いそいそと、という雰囲気がその場の雰囲気に少しそぐわないのと、「どうだ。役に立ってるだろう」というような態度はあかんなぁ・・と思いますが、彼女なりに「自分も何かしよう」と「考えた」ことをよしとします。

妹ちゃんはもっと楽しい仕事を見つけました。
やんちゃ盛りの二人の従弟、五歳児コンビの遊び相手です。
広いお庭でちびたちと遊びながら、帰って行かれる方に
「ありがとうございました」と声をかけています。

「来てくださる方は、みんな忙しいのに、雨の中なのに、仕事があるのに、それでも義弟君のために、義弟君を大切に思ってくれるから来てくださるんだよ。」
と話していたので、彼女なりに考えての「ありがとうございました」だったと思うのですが、これが場にそぐわないほど明るい(汗)。
ゴールデンウィークのガソリンスタンドか!
と思うような掛け声で・・。

それでもね、誰のために何をしたらいいのか、それを考えられたことは良かったなと思うんですね。

それで、翌日の告別式の時には、奥さんを捕まえてこう言いました。
「あのね、本当はあなたがしなきゃいけないことなんだよ。奥さんだからね。
だけど、小さい子供もいるし、体も弱いから、お義父さんが代わりにやってくれてる。
だからね、今日一日が終わったらしっかりお礼を言うんだよ。」
と。
あとで聞きましたが、一日が終わった時、彼女はちゃんとお礼を言ったんだそうです。
言わされて言ったお礼ではなく、ちゃんと自分の言葉で。


自分がやることなんだという意識がなければ、お礼の必要さえ感じないでしょう。
やってあげた人間は、たとえ善意からの行動であったとしても、
何の反応もない相手にがっかりしたり、腹を立てたりするのが普通なのではないかと思うのです。
逆に、感謝の気持ちが伝わってくれば、気持よく手助けができ、いやな気持は残らないのではないかと思うのです。

奥さんは、感謝の気持ちを伝える言葉や表情は十分に持っています。
人に感謝する素直な気持ちも持っています。
でも、「じぶんでやることだ!」という意識が薄い。
だから、いざという時に動けないし、
客観的にみて感謝する場面でもお礼が言えない。

それで彼女が幸せならいいのだけれど、私たち義弟側の家族のように、助けてくれる人は離れていくという事態を呼んでしまっているように思うのです。
(義弟の息子がいますから、縁を切ったりする気は義父母にもありませんけど、あちらのご家庭とはできる限りお付き合いをしたくないというのが、正直な今の義弟側家族の心情です。ご両親の配慮のない言動によるところも大きいので奥さんのせいばかりというわけではないです。)


翻ってのんびり娘です。
私との学習二人三脚の中で、バトルのもとになることの一つがやはり
「誰のやることなのよ!!」ということです。
説明を聞きながらの手いたずら。できなかったのを「ママの言い方が・・・」だのなんだの言うことも増えてきて、いらいらさせられることも多かったこの時期、
いっそ完全に放り出して、「自分でやらなきゃいけないことだ!」
と強く感じてもらおうかと思ったりもしました。
そうなったら、私の自由時間は増え、本を読んだり飲みに行ったりできる時間も増えるだろうし・・・。

それでも、「放り出し」を、思いとどまって今に至っています。その経緯については、次の記事で。





奥さんとそのお母さんのこと

2009-10-13 18:00:56 | 母の作戦、考え
そういう思いをさらに強くしたのは、亡くなった翌日、
義弟を寝かせた義弟実家に、奥さんとそのお母さんがやってきた時。

義母は、極力抑えようとはしているものの、もともと感情が表に出やすいタイプです。
結婚した時からのいきさつももろもろありますし、119番の件は特に心に強くひっかっかっていて、ふたりを快くは迎えられないです。
かといって、義弟の脇で、とげとげとした空気を作りたくもありませんから、なるたけ離れていようとします。

ですから、私が間に入って空気を和らげるように動くのですが、
同じ「嫁」という立場に少し気を許されたのでしょう。
奥さんのお母さんが、小さい声で、私にいろいろと訴えてきます。
冷たい空気を感じて、言い訳したいお気持ちもあったのでしょう。

「うちだって、どれだけこの二人を助けてきたか。それは義弟君がよく知ってますよ。こちらのお母さんはご存じなかったかもしれませんけど、いっぱい見ましたよ。非難される筋合いはないですよ。」
にはじまって、
「保険証も、どこにあるのかわからないんですよ。義弟君は何にもこの子に教えてくれなかったから。」
と。

保険証の件については、病院に入院中から
「そちらのお宅にありませんか?」
と尋ねられた(このあたりが、少々敬遠したくなった理由なのですが・・)
ということを義母からも聞いていましたから、

「義弟の会社では、保険の払い込みも殆ど天引きのはずなので、会社の方がちゃんと教えてくれますよ。保険会社がわかりさえすれば、保険証はなくてもなんとかなりますから。」
と安心させたうえで、
「でもね、そういうものも含めて、どこにどんなものがあるか知っておくのは奥さんの勤めなんだよ。世の中の旦那さん達が、そんなこと、逐一報告しているわけもないのよ。
保険会社からは、自宅あてに定期的に内容を書いた郵便物も届いているはずよ。家にいる奥さんは、そういうのから「こんな保険に入っていたのね。」って、わかったりするんだよ。」
と、
何もかも、やってくれなかった義弟のせいだと、
奥さんが思いこんでしまっては次に続かないから、
割合やさしい口調で奥さんに向けて話してみると、
それでも、非難されたと思われたのでしょう(それまでの空気もありますから、そう思われても無理はないかもしれませんが・・)、お母さんが少し声を荒げて、
「この子にそんなことできるわけないでしょう!!」

本人が横に座っているのに、私にむかって言ったのです。

そうなんだ。お母さんは「この子にはできない。」
そう思ってこられたんだ。

とてもはっきりそう伝わってきました。


私たち、義弟の方の家族は、奥さんの力をそれほど低く見積もってはいませんでした。
悪いという足の状況にしても、彼女の好きなショッピングモールやテーマパークでは、
疲れる様子もなく2時間くらいは歩きまわるのですから、慣らしていけば十分に家事や幼稚園バスまでの送り迎えならできるだろうと思っていました。
頭の中身だって、のんびり娘よりはもともとの数値は高そうだと踏んでいました。
教えれば(繰り返し体験させればという意味の教えるです)、できる子だ。
そう思ってきました。

でも、実のお母さんはそう思ってこなかったんだ。
「できるわけがない」と、思っていたんだ。
それが、なんとも・・・。


私ものんびりチャンの母です。教えれば、何でもかんでもできるようになるなんていうことは思ってもいません。
他人にそんな風に思われたら迷惑です。
「教えればできるのに、教えないから・・」
或いは、
「やらせればできるのに、親が手出しをするから・・・」
と言われてしまうのんびりチャンの親の辛さや腹立ちは骨身にしみてます。

でも、最初から、
「できるわけがない」と決める気にはなりません。
やらせてみなければわからないことって、これまでもいっぱいありました。
そして、人間やらなきゃいけないことは必ずあるものです。
やらなきゃいけないことは、人の手を借りようと、機械の力を借りようと、
何とかやれるところまで持っていく。
はなから「できない」と決めるのではなく、
できるための工夫が何か考えられないか。そう思って育てています。

だから、本人を横に置いて、こうしてきっぱりと
「できるわけないじゃないですか!」
と言い切るお母さんに違和感を感じました。
この一言を横で聞く奥さんは、いったいどんな風に感じるのだろうと思いました。


そして、さらに何年か前の出来事も思い浮かんできました。

義弟夫婦に息子が生まれて、その息子が1歳半か2歳ぐらいになった頃、
このお母さんが、幼児教室に通わせるようになったんです。

その頃の息子の面倒は、昼間は殆どこのお母さんが見ていましたが、そのスタイルがなんとも不思議で・・
殆ど毎朝、お母さんがアパートまで孫だけを引き取りに行き、夕方帰しに行くというのでした。

私たち、義弟実家のメンバーは、子育てを通して奥さんがいろんな経験を積み、
自分で動く力を得るのではないかと期待していましたし、
リハビリの必要性を言われている(のに、全然やらない)足のことも、
小さな息子の這い這いを追いかけるうちに自然と解決に向かうのではないかと考えていました。
ですが、何故か奥さんはアパートに残され、孫だけを連れていくというのです。

それでは、奥さんのリハビリにはならないなぁと、おせっかいな兄嫁は、奥さんの実家に接触を試みます。
たまたま、のんびり娘が昔使っていた「英才教育用」の幼児教材が大量にありましたので、
それをお届けに行くということで、奥さんの実家に伺ったのです。


その時、

幼児教室に来るママさん達と、少しずつ仲良くなれば、まるきりおともだちのいない彼女にとってもプラスになるから良かったですね。
というようなお話をしたら、
「いえ、教室には私と孫とで行くんですよ。この子は行っても仕様がないから。」
と、やはりそんな風に言われたんですね。

その時に、とってもおいしい焼きたてのケーキを出していただいたのですが、
それを食べるためのフォークのありかも奥さんは知らなくて・・・
というより、まるでお客さんのように座っているだけの奥さんに、
「いやいやこれは根が深い」
と思ったのもこのときでした。







奥さんとのんびり娘の環境。

2009-10-13 17:51:36 | 母の作戦、考え
しのびーさんお久しぶりです。マジュルさんも、コメントありがとうございました。
お一人お一人へのお返事は、少し先に延ばさせていただいて、このくらぁいシリーズを何とか書き上げてしまおうと思います。すみません。

奥さんと娘たち、特にのんびり娘を重ね合わせて、子供たちの前でも大きなため息をついてしまったり、ソファーで横になったりする日々が数日間続きました。

これは、私のような図太い神経の持ち主には非常に珍しいことで、
わざとらしい大きなため息をつきながら、
「なんとまぁ、いやらしい母親でしょ。これはもしかして鬱の始まりかしらね。」
などと思っていました。

いつもと違う母親にうろたえてちまちまと気を回す妹ちゃんにもねちねちと嫌味言ったり、
のんびり娘が、自分本位のマイペースを貫こうとすれば、
「それでほかの人が苦しんでも、あなたは構わないのか!」
とつい大声で責めてみたり、
「あぁ、これは結構堪えてますねぇ・・・。」
と、他人事のように思ってみたりの数日間でした。

どうやって、そこから抜けたのかといえば、これはもう、ただ忙しかったからとしか言いようもないのですけど、ただ、奥さんとのんびり娘を取り巻く環境の違いについて私に考えさせる出来事はいくつかありました。


まず、病院でのこと。

奥さんは車の運転ができません。病院やアパートへの行き帰りはすべてご両親、特に奥さんの母親の都合で決まってきます。
もしも、私が彼女の母なら・・・
病院から連れ帰りはしないでしょう。
お母さんは、
「うちの子がいても、御迷惑でしょうから・・」
と、連れ帰る。

確かにね、彼女に気を使ってやさしくしてくれる余裕のある人間なんていない状況です。
彼女は、足も弱い。長いこと立っているとふらつくこともある。座って居続けるのもしんどいかもしれない。

でも、それでも彼女は夫のそばにいるべきだと思った。
母親なら、置いておくべきだと思った。
だって、足が弱くても、少々ふらふらしても、それで死にはしないもの。

彼女の夫は、命の際を彷徨っている。

いま大切なのは何か。
後悔しないために何をしたらいいのか。

親ならこれからを生きていく娘にそれを感じてもらいたいと思わないのだろうか。
奥さん自身が、そういうことに気が回らなければ尚更、
頑張らなきゃいけないことが、踏ん張らなきゃいけない時が人生にはあると、
教えておかなきゃと思わないのだろうか。そう思っていました。