のんびり娘の謎

10円が2個で、、、12円?今日の前の日は、、、前の日?のんびり娘のお答えは、理解できない謎ばかり。さぁ、どうする?

先生方の手法 マニュアル先生から。

2011-03-31 21:11:22 | 先生方に②参考になれば
マニュアル先生は、どこで仕入れたかはわかりませんが、
算数にしても、生活指導にしても、独自の工夫をしていました。
それらが「統合されない」という問題点はありましたが、
一つ一つは、面白いものがありましたので、
具体的に紹介しておきます。

1、クラスサイン。
 グー、チョキ、パー や、指1本など、
 指のサインで、動きを決めて、
 子供たちが「遊び気分」で、集団行動を守れるようにしていました。
   
   「静かに!」とか「こっちを見て!」とか、
   とかく、「注意」の声は大きくきつくなりがちですが、
   それを防ぐ役目はしていたと思います。
   
    言葉での指示だと、先生のその場の状況で
   言い方や言葉の長さ、抑揚が違ってくることがありますが、
   指サインだと、そういう「変化」がないため、
   言葉の理解の弱いお子さんにはわかりやすかったと思います。

    こればかりを続けることになると、他の先生方の指示が
   入らなくなるとか、逆に言葉の力が育たなくなるとかいう問題点が
   出てきますが、1年生の最初に使うのは悪くないと思いました。

2、算数の導入
 マニュアル先生は、ベルで区切るのではなく、ご自分のやり方で
 区切っていました。
 そのため、区切りとなる活動が挟まるような工夫もしていました。
 
 算数では、大きな100玉そろばんが良く活躍しています。
  算数に入ろうとする時には、おもむろにこの100玉そろばんを取り出し、
 教卓の上に置いて勢い良く動かし始めます。
 「順唱。数を数えます。いちからひゃく。」
  と、先生が言うと、子供たちも復唱。
 「いち、に、さん、し、ご、ろく・・・・」
 と、先生が勢いよく指で玉をはじきながらいうと、
 子供たちも一緒に数を数えます。
 最初のうちは、その前の活動を引きずって、
 教科書などの準備をしている子たちも、
 徐々に、前を向いて声をそろえるようになり
 100になる頃には全員気持ちよく大きな声を出しています。
 100まで行くと、
 「逆唱。数を数えます。ひゃくからいち。」
 と、先生。そして子供たちも福唱。
 「ひゃく、きゅうじゅうきゅう、きゅうじゅうはち、きゅうじゅうしち・・・・」
 気持ち良く1まで行ったところで、そろばんを片付け、授業開始です。

 100玉そろばんは、順唱や逆唱の他に、2飛び、5飛び。
 合わせて10になる数など、段階に合わせて色々工夫されていました。

    「数字を唱える」という活動と、「そろばんの玉が動いていくのを見る」
   という活動を組み合わせたのは、数と量を結びつける工夫の一つだと思います。
   九九のように、唱え方をいつも同じにし、繰り返し行うことで、
   するすると、口から出るまでになります。
    2とび、5とびなど、最近の子供たちは生活の中では身についていませんので、
   こうした繰り返しを学校の中で意識して作ることは必要だと思います。
    また、授業開始の導入として、こうしたパターンを作るのは、子供の集中とい
う点からも役立つような気がします。

    ただ、この先生の場合、「このパターンでやる」ということに拘りすぎて、
   それを授業とどう結び付けるか、結びついていかない子にどう指導していくかと
いった見方が弱かったように思います。その部分がしっかりしていれば、もっと
   生きた学習になったと思います。


3、電子黒板の利用
  マニュアル先生のクラスには、「電子黒板」と呼ばれる大きなモニターが常時置い
 てありました。パソコンとつないで、教科書などを写しだしたり、少し細工をしたり
 して 子供の興味を引き、わかりやすくする工夫をしていました。
  教科書をただうつすのではなく、注目させたいところをアニメーション化して、
 提示していました。
  
    私が注視しているのんびりチャンの中には、どこに注目していいかわからなく
   なってしまうお子さんがいますけれど、この先生は、パソコンで加工して、
   「今やる問題」以外の部分を隠してくれましたので、そういった子どもたちも
   何をやったらいいかがわかりやすいようでした。

    ただ、これも段階を追って、子供たちが自分で教科書から読み取れるように
   持っていく工夫が必要だったのではないかと思います。
    この先生にずっと教わるのなら良いけれど、そうではないのですから、
   少しずつ「自力」の部分を育てていくという働きかけがあれば良かったと
   思います。


4、絵画指導
  酒井式という教え方があります。
 これは、ネット検索ですぐに見つかると思いますので詳しくは説明しませんが、
 より写実的に描いていく方法です。

  子供に描き方を任せるのではなくて、例えば自画像を描く時には
 まず「鼻」から描きださせ、それから、「口」「目」「眉」「髪」「ほっぺ」
 というように、順序を決めて描いていきます。
  マニュアル先生は、鼻を良く観察させるために、画用紙の鼻のあたる部分に
 穴をあけて子供たちに見せるなどの工夫をしました。
  そして、漫画のような鼻ではなく、本当の鼻の形をどうしたら描けるのか
 先生が描くお手本を真似するように指導しました。

  絵具で色をつける時にも、本当の肌の色を良く観察して、色を混ぜること、
 むらを出すこと、そういうことを指導し、良くできていると思われる子の絵を
 前に飾って褒めることで、全体が同じように描いていくことができるように
 指導しました。


    酒井式(もちろん先生ごとにアレンジはありますが)の教え方をされる先生は
   結構いらっしゃると思います。私の大好きなスーパー先生も、たぶん酒井式の
   影響は受けていると思います。
    子供にただ好きなように描かせるのではなく、技術としてのデッサン法や
   色の表現を教えていくのに、役立つ方法なのではないかと思います。
    (美術苦手の私の勝手な考えです。興味のある方はちゃんと調べて酒井式の
     ホームページを見てくださいね。)
    
    ただ、マニュアル先生の場合、パターンに拘ることが目的になっているような
   面があり・・・。
    自画像を、こうしたやり方で、画用紙いっぱいに描くのはわかるのですが、
   遠足の絵も、運動会の絵も、自画像と同じように画面いっぱいに顔。
    先生のお手本に似ていることをほめられるので、遠足の絵は、皆が箸を持って
   何かを口に運んでいるところを描いていました。
    ちがうのは、箸でつまんでいるものだけで、構図は全員一緒です。
    今時のお子さんのお弁当ですから中身は色々です。ですので、
   箸でスイカを口に運んでいるお子さんがいたり、
   おにぎりを箸でつまんでいるお子さんがいたり・・・。
    他のふたクラスが、バラエティにあふれた子供らしい目線の絵を飾ってあった
   のに、これはどうよ…って思ったのですが、マニュアル先生は、
   自分の指導通りに子供たちが描いていることに非常に満足していらして、
   自信を持って保護者の方に見せていました。

  
  
4、生活指導
   注意1、注意2、注意3とカウントしていって、3までたまると先生が指導する
  というシステムがありました。
   その注意はどういう風に判断して出されるかですが、先生自身が見て判断する
  ときと、周りの子供が先生に報告して出される時とがありました。
 
    サッカーのレッドカードみたいで、今時の子供向きなのかしら?と思いまし
   たが、正直私には違和感がありました。
    昨年度の2年生もこの先生のこのやり方を体験しています。
   そして、その子たちを3年で受け持った先生によると、
   「その時に注意して欲しい。何を怒られてるかよくわからないから。」
   という声が結構あったそうです。

    そして、「周りの子の報告」。
   これ、個人的には大嫌いでした。
   うちの母の口癖が、「言いつけぐちは嫌い!」ですので・・・。

    このクラスでは、子供たちがトラブルを自分たちで解決しようと
   するのでは無しに、先生にご注進して、先生が裁決を下すという
   スタイルが出来上がっていました。
    ルールがはっきりしていますから、クラス内のトラブルは少なくなりますし、
   指導上の問題は目立ちませんでしたが、他のふたクラスの子供たちと比べると、
   「自分たちで解決する」という気持ちの育ちは弱くなっていたように思います。
    学校内で起きたことだけではなく、学童保育での喧嘩や、学校帰りの
   口げんかなど、実に些細なことまで、子供たちがご注進するようになってました。



 
「工夫」自体はいろいろあった先生でした。

原発で働くということ。

2011-03-29 21:16:39 | 母の作戦、考え
昔読んだ、原発をつくっていた方のホームページが、期限切れか何かで
もう読めなくなってしまいました。

うろ覚えの記憶で書いてはいけないかと思いましたが、
原発で働く方の難しさについて、書いておきたくなりました。
うろ覚えですが、趣旨はあっていると思います。

原発で働く方は、「線量管理」というのを徹底しているそうです。
最近、にわかに耳にするようになった「シーベルト」だとか「ベクトル」だとか・・。
1年間に浴びてもいい放射線の量というのが決まっていて、
それを超えてしまったら、原発でのお仕事ができなくなるそうです。

だから、普段は「健康管理」という面ももちろんですけど、
「継続して安定した収入を得るため」にも、
細かく管理された放射線量をしっかり守って作業をされているそうです。

今回の原発事故で、作業中被曝して病院に運ばれた作業員の方がいらっしゃいました。
幸いすぐに退院され、
お医者様会見で、
「治療の必要もない位、少し赤くなる程度の火傷がでるかもしれない・・
という位にしかならないだろう」
と、仰っていました。

何よりです。

でも、この方々は、きっともう1年分の許容量を超えてしまったでしょう。
(これ、確認してないですけど、確か年間50ミリシーベルと書いてあったように記憶してます。
今回のような非常事態ではあげられたようですが・・・)
1年は始まったばかりですけど、この後お仕事はどうされるのでしょうか。
専門知識をもち、慣れ親しんだお仕事を離れなければならないのでしょうか。
その生活費はどうなるのでしょうか。

この方々だけではありません。
被災後、何とか原発を止めようと、現地で踏ん張ってくださっている方々は
みなさん、普通よりかなり多めの線量を浴びているでしょう。
年間の許容量を超えたら、その人はもうそこでお仕事はできなくなります。
その方々の生活をどう支えていくのかも今後の課題になります。

そしてその前に、
人材をそうして使いきってしまったら、誰がいったいあそこで作業をするのか。
これも大きな問題です。

1号機から3号機までの冷却が、電源を使ったポンプに、今日切り替わったそうです。
事態収束に向けて大きな一歩だと思います。

どうか、このままもう、不測の事態が起きることがありませんように。
ただただ、祈るばかりです。




見る人、読む人

2011-03-29 19:18:11 | 1年算数
珍しく、妹ちゃんが、日中に宿題を終えてくれたので、車で近くのショッピングセンターに来ています。

節電のため暗くはなっていますが、全店営業中。

ナルニア物語を見たいというのんびり娘をシネコンに送りこんで、私と妹ちゃんは本屋さんへ。

二人で同じシリーズものを手にとると、一気に読んでしまいます(本屋さんごめんなさい)。

のんびり娘は、
「なんで映画みないの?」
って聞くし、
妹ちゃんは、
「なんで本を読まないんだろうね?」
って聞く。

見る系人間と読む系人間。
はっきり分かれていて面白いね。

マニュアル先生2

2011-03-29 00:00:57 | 先生方に②参考になれば
この先生の指導の、ちょっと困った方向性を示すのに良い逸話があります。

給食の片づけの時のルールです。

食べ終わった食器を乗せたカートを、給食当番さん達が
給食室に運んでいきます。

給食室まで運び終えたら、給食係さんがこう号令をかけます。
「かべに寄りかからないで下さい。」
これで、全員が給食室のドアを向きます。
そして、
「1年●組です。ごちそうさまでした!」
と、声をそろえていうのです。

良いことでしょ。
ただね、この子たち、いつも決まったドアに向かっていうのです。
給食室にはもう一つドアがあり、そちらの方で給食のスタッフさんが
何やらお仕事をしているのが見えても、
誰もいない、決まったドアに向かって、
「ごちそうさまでした!」
を言うのです。
私が近くにいる時にはもちろん、
「誰に言うのかな?」
って声をかけてやり直させますけど、
こういう姿を見てしまうと、
「形」に拘って、「心」がないがしろになってしまっていないかと気になるのです。


算数も同じだったように思います。
いろんな工夫はされました。
おそらく、この先生が「一番良い」と確信を持たれたことを
実践されたのだと思います。
でも、そこに子供の実態を見ていたか。

全員が同じ形になるノートでは、子ども一人ひとりの躓きは見えません。
ドリルも、最初から「自分で答え合わせ」するようにしつけていましたし、
プリント類はされませんでした。

教科書の問題は、電子黒板を使って、一つずつ丁寧に取り組み、
速くできる子が黒板に書いた答えをすぐに写してしまいます。
テストは、」準備用の小テストをじっくりやり、
大テストでの躓きを最小限にしています。

一見、とても丁寧な進行に見えます。

でも、子供が一人でじっくり問題と向き合う時間は
決して充分ではなかった。


クラスの全員が、先生の教えた通りにちゃんとノートをとり、
クラスの全員が、発表者の方にきちんと体を向けて話しを聞き、
クラスの全員が、「わかった人?」という問いかけにすぐ手をあげる。
もしも、手をあげない人がいたら、隣の人がすぐに教えて手をあげさせる。

どれも、悪いことではないと思います。
指示の聞き洩らしなどは、こうした習慣でかなり防げたのだとも思います。

ですけど、
「仏作って、魂入れず」というか、
芯になる部分が、どこかずれているように感じたのでした。















マニュアル先生

2011-03-28 22:19:30 | 先生方に②参考になれば
以前書きました記事が中途半端でした。すみません。
続きを書いてみようと思います。

マニュアル先生のデメリットについてです。

まず生活面から。


「ぼくは、こういうことをしてしまいました。ごめんなさい。こんどからはしませんからゆるしてください。」
「いいよ。」
(拍手)
「応援してますよ。頑張ってくださいね。」
(先生と握手)
という生活指導。

不適切な行動をとった時、どう行動していいかわからないという
1年生に、
反省の気持ちを表すための言葉や行動を身につけさせる、
という意味では、いいのかもしれませんが、
それが1年間ずっと続くとなると、
パターン化の弊害を強く感じるようになります。


パターン化したことで、
「その形に合わせる」ことの出来る子は、
出来事の大きさ、小ささにかかわらず、
「軽く済ませる」ことができ、
逆に、そうした「形」が飲み込めない子、
先生の期待するところに上手に応えられない子が、
「繰り返し」注意を受けるという面が見られました。

また、
「ごめんなさい」
と言われたら、
「いいよ。」
と言わなければならないようなパターンができていましたから、
「嫌だ」と言える雰囲気がありませんでした。
こうした雰囲気は、「叱責」や「威嚇」で作られたものではなく、
「許してあげる子」を、「えらいねぇ。」「やさしいねぇ。」
と褒めて褒めて、そうして作り上げられたものでしたが、
結果として、どこか「言動を統制」するような空気になっていたように、
私には思えました。


学習面ではどうだったか。

この先生の「パターン化」は、発表の時の言葉遣いにも
徹底されていました。
算数でも国語でも、
自分の考え(出した答え」を言ったあと、
「なぜかというと、・・・だからです。」
と、必ず理由をつけます。
そして、その答えが、先生の期待道理ではない時には、
「おしい!!99点。あと1点言える人。」
と、次の発言を促します。

1年生の最初からこう言う答え方をさせたいたので、少々面食らいましたが、
論理的な思考と、表現を身につけるという点で
効果はあったと思います。

ただ、「面白くない!」のです。
他のクラスでは、子供たちが思いもよらない発言をして、
それを担任の先生と後で面白がるというようなことがあるのですけど、
このクラスでは、算数でも国語でも、
結局、先生の意図したパターンになってしまう。

そして、前に出て発表する子はいつの間にか固定されていました。
最初に発言する子はまだ幅がありますが、
「あと1点いえるひと。」
になった時に手をあげるのは、いつも決まった2から3人のお子さんでした。
それもまた気にかかりました。


そして、何より私が気にするのんびりさん達。

このクラスには、おそらく読み書きLDだろうと思われる女の子が一人。
算数の力がとりわけ弱い女の子が一人。
その他、私の生徒さんだと思えるお子さんが数名いました。

こうしたお子さんたちをサポートするのが、このクラスではとても難しかったです。

授業時間が、学校のチャイムを区切りとせず、先生の決めたスケヂュールで進んでいたので、
どこでこのクラスに入るべきかが読みにくかったんです。
それでも、アンテナ張って、要所要所で入りましたけど、
誰かが発言する場合には、即座に作業を辞めて、
そちらに注目しなければならないルールのため、
集中的にやらせる時間(大概は5分以内なのですが・・)
がとりづらかったのです。
「教えあう」ことが良しとされていたので、
教えたがりの子が寄ってきて、すぐに答えを教えてしまうこともありました。
「写すのもお勉強」というルールで、すぐに「写して」しまうため、
その子がどこで躓いているのか、後からでは見つけにくいという問題もありました。


この先生は、
計算の初期には、ノートに丸を必ず書かせるなど、
具体的で、段階を追ったやり方を、繰り返し刷り込んでいました。100玉そろばんを使って、
1から100までを2飛びにしたり、5飛びにしたり、逆によんだり。
また、10になる組み合わせも、そろばんを見ながら暗証したりと、
色々な工夫をしていましたので、
(個別サポートが少なくても大丈夫なのか・・)
と思ったこともあります。

ですが、まとめの時期に来て、
そうした先生の工夫が、子どもの中で統合されないという現実も見ました。

最後のまとめのテストで、
10を超える数の足し算を、丸を書き込んで計算している子が数人いました。
あれだけ刷り込んだ10の補数(暗証は、どのこもすんなりします)。
何度も繰り返し、お経のように唱えたサクランボ計算。
それがつながっていなくて、最初に教わった「○を書く」に戻ってしまう子が、
私の見こんだ「のんびりさん」以外にも何人かいたのです。


だらだら長くなってしまいました。
一旦、ここで投稿します。

お友達に感謝!

2011-03-26 11:19:28 | 母の作戦、考え
じつはね、昨日、のんびり娘は、部屋のドアを
八つ当たりで蹴飛ばして、穴開けてるんです。

高校1年生の娘が・・・・。

それ見るだけでがっくりきちゃう。

穴をあけたこともなんですけど、
・・・まぁ、これは我が家にもっと大物の「壊し屋」がいるから
、普通のご家庭のようにめげはしないのです・・・
その理由にがっくりしてしまって、気持ちが落ちてたんですね。

なんだか、話しても話しても、
幼児のような、「だって・・・」が次々に出てきて、
本質の部分にたどり着かない。
大事なのがなんなのかを掴んでもらえない。
そのずっと前の段階で、
「私は悪くない!!!」モードに入ってしまうから。

そのことが私の疲れの原因で、
それは、今日になったからって、改善するわけではなく、
気付かないふりをして、気にならないふりをして、
さりげなく過ごすのが精いっぱいだと思っていたのです。

が、
今日、のんびり娘にいくつかのメールが入りました。

一つは、お友達からメアド変更のお知らせ。
一つは、テニス部の仲間から、部活の予定日を問い合わせたことに対する返事。
そしてもう一つは、小学校時代のお友達から、遊びに行く日の集合時間を決めたというメール。

特に3番目は嬉しそうに受け取りました。

で、以前から話していた、
スケヂュールを書きとめることの大切さ
について、すんなり聞く気持ちになりました。

以前、同じことを話した時は、
「やろうと思ってた。」
とか、
「携帯にあるからいいの」
と言っていたのです。
でも、遊びに行く日と、部活の日にちがぶつかったことで、
「先に書いておけば、それを見て打ち合わせができるんだよ。」
という、私の言ったことに納得できた様子です。


「親の言うこと」だけでは育たないんですよね。
友達と出かけたい。友達と部活をしたい。
友達と話したい。友達とメールしたい。
そうした経験の中から、必要性を感じて、
初めて、親の言うことを、
「小言」や「叱責」としてではなく、
「アドバイス」として受け入れる素地が生まれる。

お友達が少ないから、その分までこちらは心配して
先回りをしてしまうのだけど、
誘ってくれた友達に感謝。
メールで、気軽に日にちを教えてくれる部活の仲間に感謝。
メアド変更、どうしたらいいのか知りたいという気持ちにさせてくれた
最初のお友達にも感謝。


こうして、少しずつ、鬼母もいつものパワーを取り戻していけます。


あけた穴は、どうしようもないけど・・・・。

あかん!!!

2011-03-25 21:21:26 | 母の作戦、考え
子供たちが戻ってくるまでに、気持ちを立て直すつもりでいたのですが、
帰りが遅いので電話をしてもでない・・・。
3回かけても出ないから、疲れた体を引きずって外に出ると、
マンションの陰から、
「ごめんね。妹ちゃんが、公園で猫をね・・・」
と、のんびり娘。

出る前に、
「迎えに行く気力ないから、携帯持っていって、連絡とれるようにしてね。」
って言っておいたのに、
自分が電話を取らなかったことに関しては問題意識を持っていない・・・。

帰宅後、いつもと様子の違う鬼母を、
刺激せず、気持ちを持ち上げてもらおうと
いつになく腰軽く動く妹ちゃん。
一方で・・・
ぼけーっと突っ立ったままののんびり娘。
少しして、まずいと思ったのか、
コタツに入ってお勉強のフリ(これで一度もめたんですけど・・・)。
責めて、そのフリだけでも続けてくれれば良いのですが、
私の片付けている手元を見てはブツブツ。

相手をすれば、また荒い言葉の応酬になるので
放っておけば、
「どうせ、私の顔なんて見たくないんでしょ。」
とブツブツ。

妹ちゃんが気を利かせて、
「私がお風呂するから、おねーちゃんは洗濯物たたんで。」
と言えば、
「あんたに命令されたくない・」

いつもなら、ここで喧嘩になるところを、
ぐっと抑えた妹ちゃんが、さらに、
「お風呂沸いたから、●●、もう入っちゃって。」
と言えば、
「呼び捨てにされたくない!!!」

状況読めないんだなぁ・・・。

それでも、妹ちゃんは、
「わかった。●●さん、入って。」
と勧め、今日ばかりは、トラブルを避けようと動いている。

なのにさ、
「どうせ、顔も見たくないんでしょうから、入りますよ。」
って、なおブツブツ言うのんびり娘。

はぁ~。

妹ちゃんが、帰宅後急いで温めてくれたコーンスープで
少しわいてきた元気が、またしぼんじゃうよ。


でも、妹ちゃんが大丈夫なら、
何とかやっていけるかな。



許容量オーバー?

2011-03-25 19:44:58 | 母の作戦、考え
地震や原発の心配したり、
ゼミがなくなって、丸々在宅になってしまった
のんびり娘のお勉強の進め方の心配したり、
相変わらず、
「やらずに済ませたい・・・」
妹ちゃんのお勉強の進み具合の心配したり、
勤務先の学校でのあれやこれやを気にかけたり、

そうこうしているうちに、
どうも、私自身の許容量をオーバーする事態に陥っていたようです。
些細な(と、私には思える)ことにカリカリして、
本筋を見失ったまま、なお「わかってくれない!」
と主張を続けるのんびり娘に疲れ、
塾には行きたいし、漢検2級にも受かりたいけれど、
ゴロゴロしながら、本や漫画を読む時間を減らす気にはなれず
逆切れする妹ちゃんのお尻叩きに疲れ、
今日は限界ですわ。

夕飯の支度もせず、子供たち二人を外に食事に出して(幸い、外食産業もスーパーやファーストフードも林立している地域です)、
荒れてしまった家の片付けに入ることにします。

体を動かして、
その成果が目に見える形になる行動をとることで、
気持ちが落ちるのを防ごうと思います。

まずは、切れていた電球の交換から。
片づけをして、気持ちが落ち着いたら、
現在の自分の、許容量の見極めをしておこうと思います。

ソーラーかな。

2011-03-23 07:52:40 | 母の作戦、考え
福島の第一原発は廃炉が必至。
それはそれでよいのだけれど、
電力は、そう簡単に復活しないということになる。

計画停電は「今」だけのことではなく、最低でこの一年は続くらしい。

工場など、大口の需要者に対して、「節電」を義務付ける法律を作るらしいけれど、
日本を支える産業が、思い切り活動できないのでは、
今回被災した方々を手助けする資金も心細くなる。
そして、今回仕事や財産を失った方々の
働く場も狭まってしまう。

私たちが節電することで、これが何とかなるのなら、
いくらでもするけれど、
おそらく、それでは賄いきれないほどのひっ迫状態なのだろう。

「電力」。
どうしたら効率よく使っていくことができるのか。
「電化」が進んだ現代の家庭で、
どこまで節電が可能なのか。

一人一人につくつけられる課題だと思う。

手っ取り早いのは、普及し始めた
太陽光発電かな。

とにかく、なるべく、電気を使わない生活を心がけていこうと思う。