この地図は、国土地理院の2万5千分1地形図を複製・加工したものである。
木与(きよ)は阿武山地が日本海に迫り、木与川下流に小平野がある。木与駅付近を除けば
ほとんどが岩石海岸である。地名の由来について「長門木与史」は、木与は喜世で大内氏
の末族が、この地に逃れて安住を許されとか、また、益田の旧臣が主家に許されて遠根に
転任したときに喜びの世の意味であったとしている。(歩行約3.3㎞)
1931(昭和6)年に開業したJR木与駅は、集落の端にあって駅舎を出ると日本海に面
する。構内は相対式2面2線を有する地上駅だが、跨線橋が撤去されたため、萩・長門方
面は別通路からホームへ行かなければならない。
駅前を国道191号線が走る。
海岸線に沿って木与集落。
萩・長門方面のりば入口と国道からの道。
阿武町内バスの木与駅前バス停付近。
木与集落は海、国道、線路に挟まれた中に立地する。
粋な造りの消防器庫。
民家の山手側に山陰本線。
木与川右岸の小神社は、何が祀られているのかはわからないが、海に関係するものだろ
う。
防波堤の先に舩溜改築記念碑がある。「明治15年(1882)埠頭の改築の議を得て、釣す
るものは5/1000、網するものは1/100その獲る所を貯蓄し、これに村費の補助と隣浦の義金
をもって、明治44年(1911)4月工を起こし8月に至り成す。海に生活する住民が生活防
衛のため30年間蓄積した結晶である」とある。
防波堤内と外側の海岸線とは対照的である。
現在は国道で道幅も広くなったが、藩政時代は萩唐樋高札場から津和野藩領との境にあ
る仏坂までの街道(仏坂道)であった。
家並みが途絶えるところで街道は右折する。
山陰本線木与踏切を過ごすと木与八幡宮。
この地方に見られる舞殿形式の楼門。
平安期の885(仁和元)年宇佐神宮より勧請された木与八幡宮は、当初は迫田の森林中に
あったが社殿が流失し、1419(応永26)年現在地に再建された。現在の社殿は1883
(明治16)年、舞殿は1981(昭和56)年に建て替えられた。
町花のしゃくなげと町章がデザインされた阿武町の集落排水用マンホール蓋。
線路の山手側は農地。
仏坂道はこの先で消滅しているとのこと。
木与地区の棚田(やまぐちの棚田20選)は、元来、急傾斜地形に逆らわず、畦畔(けいは
ん)は石組みで構築されていたが、1997(平成9)年の圃場整備で今日の棚田となる。棚
田上部からは日本海が見渡せる。
棚田から見る木与の家並み。
石州瓦の屋根が青空に映える。
木与川沿いの家並み。
この道も狭く高さ制限がある。
万寿寺(曹洞宗)は阿武郡吉部村の古跡・阿弥陀寺の寺号を当所の観音堂に移し、176
2(宝暦12)年開山したとされる。境内に入らず大急ぎで駅に戻る。