ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

岩国市行波は7年毎に錦川の河原で神舞 

2021年12月24日 | 山口県岩国市

        
                この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         行波(ゆかば)は錦川下流域の右岸、雲霞山を背にして、その山麓緩斜面に集落が形成され
        ている。
         玖珂郡誌に「往古虫明神、小浜へ御着船の砌、大波小波打行シ所也」と地名の由来らし
        き記述がある。(歩行約2.5㎞)

        
         錦川鉄道の行波駅は、1971(昭和46)年当時の国鉄が行波仮乗降場として設置する。
        単式ホーム1面のみの地上駅で駅前広場を有していない。

        
         ホームから見る集落と錦川。

        
         駅から見える荒玉社には神舞が奉納される。神舞は疫病の流行、災厄に苦悩し、凶作に
        困惑した里人達が人事を尽くして然る後に、神明の加護を願ったものとされる。神舞は式
        年奉納とされ、7年に1度、全12座の舞が奉納されるが、前回は2019年に行われた。

        
         行波の鎮守社として江戸中期頃には諏訪大明神が祀られていた。1791(寛政3)年旧鎮
        守の社地に社殿を造営したうえ、対岸より荒玉社、天疫社を勧請し、諏訪大明神と合祀し
        て、社号を「荒神社」とする。1811(文化8)年「荒玉大明神」と改称し、その後、拝殿
        新造時に「荒玉社」と称する。

        
         集落内を錦川清流線が走る。 

        
         40戸ばかりの小さな集落。

        
         龍雲寺前を走る清流線のひだまり号「桜のピンク」 

        
         架道橋を潜ると見上げる位置に龍雲寺山門。

        
         龍雲寺(臨済宗)は室町期の1395(応永2)年創建と伝える。

        
         今度はこもれび号「森林のグリーン」が走り去る。

        
         対岸の下地区とは行波橋で結ばれている。 

        
         岩国行きの列車まで時間があったので下地区を歩いてみる。

        
         山がちで耕地が少なく、大半が畑地で紙漉きなどして生計を支えた時代もあった。神舞
        は錦川河川敷に神殿(舞台)を設け、高さ約25mの松を立て木の上に祀ってある「三光」
        を燃やし、五穀豊穣、民安穏、厄疫退散を祈願する松登りが行われる。

        
         国道187号に出る。 

        
         観音寺はもと観音堂と称して臨済宗の寺院であったが、1669(寛文9)年再興されて浄
        土宗に改宗される。

        
         ほぼ国道筋に家並みと南側に団地がある。

        
         途中で駅に引き返し、13時12分岩国行きに乗車する。(建物は北河内幼稚園) 


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