ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

平生町曽根は人間魚雷「回天」の基地があった地 

2021年12月06日 | 山口県上関・平生・田布施町

                
                この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         曽根は平生湾入口の東岸に位置する。地名の由来を風土注進案は、阿曽山権現が天より
        遥降したため、阿曽根村といい、いつの頃からか「阿」を除き曽根村になったという。(歩
        行約4㎞、🚻交流館) 

        
         JR柳井駅から防長バス上関行き30分、新地バス停で下車する。

        
         曽根地域の新地、水場、百済部(くたなべ)地区と、佐賀地域の阿多田、田名地区までぶら
        り歩きする。

        
         昭和の時代には割烹旅館、酒場、廻船問屋などが軒を並べていたという。 

        
       
        

        

        

        

        
         通りには繁栄した時代の商家などが散見できる。

         
         県道23号線(光上関線)に合わす。

        
         海に浮かぶ百済部神社は、1893(明治26)年百済部(くたなべ)に伝えられた百済部神社
        をここにあった文島竜神社に合祀された。海の守護神として崇敬され、地元でが明神さま
        ・龍宮さまの呼び名で親しまれているという。

        
         欄干のついた石橋は、もと大野毛利家にあったものと伝えられている。

        
         百済部神社(旧竜神社)の社殿。

        
         1994(平成6)年に完成した田布施町と平生町を結ぶ南周防大橋。

        
         1585(天正13)年に草創された教相寺(真宗)は、現平生町佐賀および百済部集落を経
        て現在地に移転する。(本堂は雨漏り修理中だった)

        
         水路に沿って上流へ向かう。

        
         額束に「百済部神社」とあり。 

        

        
        
         1942(昭和17)年太平洋戦争が勃発すると、旧海軍の軍事基地として設置される。1
        944(昭和19)年大竹潜水学校柳井分校となり、特殊潜航艇と人間魚雷(回天)の基地へと
        変容する。
         入口にある人間魚雷のレプリカは、2006(平成18)年に公開された映画「出口のない
        海」に使用されたものである。(交流館は月曜日休館)

        
         回天基地及び特殊潜航艇の教育機関があった阿多田半島。

        
         半島の根もとにある「回天碑」は、1945(昭和20)年7月18日に平生基地から伊号
        58潜水艦に回天6基が搭載されて出撃し、沖縄海域で5名、訓練中に3名、終戦直後に
        1名が自決する。碑は元基地搭乗員の希望により、阿多田の海を臨むこの地に建立される。
 

        
         神花山(じんがやま)古墳は標高39mの山頂部にある。(駐車場とトイレあり)

        
         古墳は全長約30m、高さ約2.5mの前方後円墳で、5世紀前半に造られたものと推定
        されている。

        
         この古墳は、1944(昭和19)年頂上に高射砲陣地を構築する際に石棺が発見される。
        この古墳人は男性と思われていたが、再鑑定の結果、20歳代半ばの女性と判明する。こ
        の地域に居住していた豪族の女性首長と考えられるとのこと。(石棺はこの地に埋められて
        いる)

        
         山頂より瀬戸内海の島しょが望める。

                 
         残された頭骨をモデルに復元像が作られたが、これをもとに古代女王像が「ふるさと創
        生」事業として建立された。像の高さは台座を含めて10mぐらいで、左手は胸に鏡を持
        ち、「日出づる」東を向いている。

        
         古墳から県道に出ると田名バス停がある。ただし、便数が少ないので事前に時刻表の確
        認を要する。


この記事についてブログを書く
« 周防大島の椋野は湾に沿って... | トップ | 平生町大野には大野毛利氏の... »