この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
向島(むこうしま)は防府平野の南に位置する瀬戸内海の島。江戸期までは三田尻湾頭の島
であったが、元禄年間(1688-1704)の大開作により、わずかな水道を挟んで新田村と向か
い合う形になった。
地名の由来について風土注進案は、国府の向こうにある島であることによると記す。島
内には小田、本村、中村、郷ヶ崎集落があるが、郷ヶ崎と赤崎の立岩稲荷を散歩する。
(歩行約9.7㎞、🚻鴨ヶ峠、立岩稲荷)
JR防府駅南口から防長バス小田(こだ)港行き約15分、問屋口バス停で下車する。以前
のバス停は問屋口内を走る路線上にあったが変更されたようだ。(@340-)
問屋口で見ておきたいものがあったので左折して入川に沿う。
問屋口にある明治天皇問屋口御小止所址碑と聖蹟碑。碑文を読み取ることができないが、
1885(明治18)年7月29日、御召艦横浜丸は7時45分三田尻港に投錨。問屋口から
毛利家別邸(今の英雲荘)に入られ、ここで昼食休憩される。12時30分に御発車し、宮
市、新橋を経て勝坂~小鯖間は鯖山峠があり、騎馬で峠越えをして山口に入る。野田毛利
別邸に入御され、30日は山口滞在、31日4時50分に山口を発たれ、往路と同じ道で
三田尻港に戻られ、10時45分発艦し広島県に向かわれた。
旧道から出た正面に小社があり、地元の方によると「えびすさん」とのこと。コロナで
夏祭りが中止となっていたが、今年は行われるという。
向島を往来する交通手段は、1750(昭和25)年に架橋されるまでは渡し船が運行され
ていた。渡し船は東と西の2ヶ所あり、ここは東の渡し場で問屋口と郷ヶ崎を結んでいた
が、渡し船のことを「役船(やくせん)」と呼んでいた。
橋を渡る手前でタヌキ親子の像が迎えてくれる。
錦橋は、1950(昭和25)年問屋口と向島中村との間に架橋され、いつでも自由に通行
できることで島の生活に大きな変化をもたらしたという。1969(昭和44)年に改修され
た現在の橋は、長さ46.7mの鋼製の可動橋で、橋桁より高い船が通行する際、橋を90
度回転させて船を通過させる仕組みになっている。
橋上から見る向島郷ヶ崎と三角錐の江泊山。
機械操作室で歓談中の方によると、橋を回転させるほどの船は入港せず、開かずの橋に
なったが、年に1~2回点検のためか回転されるとのこと。開始から10分程度で回転す
るが、全国的にも回転橋は珍しく、今ではその姿を見るために多くの見物客があるという。
漁港のエプロンには所狭しと漁船が並ぶ。
江戸期には渡し場があったためか、この付近に高札場があったとされる。
船溜まりの釣り人は40㎝級のチヌを釣り上げたが、写真を撮って海へ戻された。釣り
上げることに醍醐味があるようで、エサは繋留されている船のロープに付着した小さな貝
を使用されていた。
バス停から厳島神社への道には、かっては稲荷座という芝居小屋があったという。
㈱松富は「島美人」というブランドのかまぼこ、ちくわなどを製造販売されていたが、
コロナ関連で工場を閉じられたとか。
言い伝えによると、広島県の厳島神社は向島に建てられるはずだったが、建立条件とし
て「7浦」あることが求められたが、6浦しかなかったので宮島になったとか。このこと
を惜しんで厳島神社が建てられたという。
厳島神社縁起によれば、1748(寛延元)年に鎮座したと伝えるが、1691(元禄4)年の
取調書に社名が見えるとのことで、少なくとも元禄以前の創建とされている。
本殿脇に航海安全の住吉社(右)と豊漁と商売繁盛の恵美須社。もう一基左手に祠があっ
たが何かはわからなかった。
中村集落への道には新旧の民家が混在するが、古民家は空家が目立つ。
散歩道には酒店は2軒あったが、生活物資を扱う店は見かけなかった。
漁村特有の漁港へ通じる路地が2~3軒毎に設けてある。
山の反対側・赤崎にある立岩稲荷は、食べて生きるための五穀をはじめとする食物・養
蚕を祀る神として信仰され、地元では「立岩さま」として親しまれている。
錦山頂上2.5㎞、立岩稲荷3㎞と案内され、その先に大きな稲荷鳥居(額束に正一位・
向島立岩稲荷神社)がある。
緩やかな上り道は舗装路。
上がれば展望も開け、正面に錦橋、対岸に防府の町が広がる。
額束には立岩大明神とあるので立岩稲荷と関係するものと思われる。ここまでは500
m足らずだったが、この先の鴨ヶ峠まで300m、立岩稲荷は2.4㎞の距離にある。
少し荒れ加減の道を進むと、錦山山頂への道が交差する鴨ヶ峠に出る。この手前に公園
化した際に設置されたトイレがある。
参道は鴨ヶ峠池のほとりを巻くように設けてあって、色あせた2つの大鳥居を潜る。
紫陽花が咲く道になると、足元は草道だが歩行には支障ない。クルマ社会になって参道
を利用する人が少なくなったようだ。
車道に合わすと面白味のない道を黙々と歩くだけである。時折石仏や幟を目にするが、
葛が樹木を覆って海を見ることはできない。
鴨ヶ池池より約500m先の海側、眼下に海面が広く見える所に、昔は鰯の大群を監視
する魚見(うおみ)があったという。
松の木に登って鰯の大群を発見すると、中継基地へ手旗信号で連絡して、郷ヶ崎の網元
へ通知されていたという。木々の生長などで海面が見える範囲が狭まっているので、この
場所が魚見場所だったかどうかはわからない。1942(昭和17)年の台風で、漁船や網が
大損害を受けて次第に衰退していったという。
林道赤崎線の砂利道(所々舗装路)を進むと、林道終点のようで車の進入禁止のバリケー
ドがある。車だとこの先約400mの歩きになる。(車は迂回可能で駐車地もある)
道端にはいろんな花が咲いているが、ネムの木、ネジバナ以外はわからず。
ボケ封じ地蔵に一礼。
林道ではシダを見かけなかったがシダの美しい場所を過ごすと、前方に赤い鳥居が見
えてくる。
入口の案内では、穀物・農業の神とされる宇迦之御魂神(うかのみたま)を祭神としている。
「イナリ」は「イネナリ、イネニナル」が約まったもので、人間生活の根源をなすものと
される。
また、神仏習合思想において仏教の女神である荼枳尼天(だきにてん)と習合したため、仏
教寺院でも祀られている。
立岩稲荷の社を過ごし、ゆるやかな鳥居のトンネルを潜り抜ける。
海岸部に下る途中の一光稲荷大明神は、海上20~30mの崖の上に位置する。
一光稲荷前を左折すると急な坂道。
足元を注意しながら下って行くと海岸部が見えてくる。
大鳥居の前から見上げると屏風の岩が立ち並び、地蔵尊のほか、石碑には「石光・一光
・幸之進・さよ姫・長平稲荷大神」とあり。
岩と岩の隙間を利用して末社周防立岩幸之進大神、波切不動、さよ姫大神が祀られてい
る。稲荷大神が稲荷山に鎮座したのが初午(はつうま)の日とされ、毎年2月の初午の日が祭
日とされている。
キツネが稲荷大明神の使いとされるが、キツネは秋の収穫の頃に里に下りてきて、収穫
が終わる頃に山に戻って行くことから、農耕を見守っている動物して考えられてきたとい
う。
正面に野島が見えるが、よく晴れた日には東に回天の基地があった大津島、行き交う船
など瀬戸内の海を楽しむことができる。
立岩稲荷から往路を引き返し、錦橋の袂にある支所前バス停より駅に戻る。