ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

萩市高佐下と片俣は実り豊かな阿武高原の農村集落

2022年07月16日 | 山口県萩市

        
                この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
                高佐(たかさ)は蔵目喜(ぞうめき)川流域で高度300m以上の山間高地地帯、滑山や白浜山
              
が南東側、東台・西台と続く高い溶岩台地や北に権現山がある。その間の高佐盆地は、南
        の伏馬山噴出による堰塞湖盆地で、肥沃な生産地帯を形成する。
              地名の由来は地下(じげ)上申によると、往古は宅佐郷といい、のち両村に分かれ、雪も浅
        く地勢のよい部を吉部と称し、当地は地形高き所ゆえ高佐村になったと伝えるが、他説も
        存在する。(歩行 本郷約1.8㎞、上市約1㎞)

        
         湯田温泉から吉部行きのバスがあるが、便数が少なく接続も悪く日帰りが難しい。(バス
        停近くの路肩に駐車)

        
        
         本郷で早くから酒造業をしていたのが櫛部家で、1912(大正元)年白井家に経営が移り、
        櫛部時代の屋号「泉屋」と「白井家」の白をとって銘酒「白泉」とされた。

        
         集落は山裾に点在し、蔵目喜川に沿って水田が広がる。

        
         禅林寺への道がわからず、行き過ぎてしまって花見公会堂まで行ってしまう。この道は、
        萩から津和野に至る石州街道(白坂筋)であるが、1887(明治20)年代に道路改修された
        後の道路敷である。

        
         引き返すと寺への案内と穴観音古墳の案内もあり、古墳の案内に従って入ってみるが探
        し当てることができず。

        
         花見集落とその奥に、馬が伏せたような形の伏馬(ふすま)山がある。標高499.1mの
        山は、玄武岩質マグマの噴出によってできた山で、現在は死火山とされ、別名高俣富士と
        も呼ばれているが、山頂にはテレビ中継塔が林立する。

        
         禅林寺(臨済宗)は同宗の妙性院・高大寺・高徳寺が合併し、妙性院の地に住居して徳性
        寺となり、1974(昭和49)年さらに三岳寺を合併して現寺号になったという。

        
         境内にある宝篋印塔は、石見三本松(津和野)城主・吉見正頼の息女が、1585(天正1
          3)
年8月萩の指月邸で病死し、遺言により休息地であったこの地に葬ったという言い伝え
        がある。
         墓銘文は「妙性院殿」「吉見正頼息女「萩津死所」「天正十三年乙酉八月廿六日」とあ
        るという。

        
         「大正4 11月」と印刻された灯籠とお旅所の神輿台、鳥居は明治43年(1910)4月
        建立。

        
        
                 高佐八幡宮の由緒によると、平安期の859(貞観元)年宇佐八幡宮より勧請し、域内の宮
        面(みやめん)に祀った。後に現在地へ遷座し、1584(天正12)年吉見氏が社殿を造営した
        と伝え、現社殿は1798(寛政10)年、拝殿と神楽殿は19世紀初めと推定されている。

        
         高俣祖霊社の詳細は不明であるが、明治初期に設けられた社で氏子の先祖霊を祀ったも
        のとされる。

        
         宮廻集会所付近の民家は空家が続く。

        
         1876(明治9)年に高俣小学が創立されたが、1998(平成10)年吉部小学校と統合し
        てむつみ小学校となり、跡地はコミュニティセンターになっている。一角に碑と給食棟の
        ような建物が残されている。

        
         萩から石州津和野に至る石州街道(白坂筋)が蔵目喜川の右岸を通り、
本郷が高佐の中心
        地となり賑わった。1918(大正7)年ここ上市に村役場移転すると、賑わいも移転してき
        たという。

        
         1889(明治22)年町村制の施行により、高佐上村・高佐下村と片俣村が合併して高俣
        村となる。その後、昭和の合併では吉部村と合併して「むつみ村」となるが、平成の合併
        で萩市の一部となる。むつみ村は日本で唯一のひらがなの村名で存在していた。

        
         通りに残る唯一の商店。

        
         旧むつみ村の特産品である紫福(しぶき)メロン、桃太郎トマト、千石台だいこんがデザイ
        ンされた集落排水用マンホール蓋。

        
         1948(昭和23)年に高俣農協として設立されたが、その後、統合により支所となった
        が、2016(平成28)年12月に支所機能が消滅したようだ。

        
         建物のガラス戸には旅館名が残されている

        
         こんもりとした杉林の中に赤塚稲荷神社がある。

        

         石段を上がり草地の道を辿ると、鬱蒼とした中に赤塚稲荷神社があるが、創建など詳細
        は知り得なかった。

        

         上市の北端。
 
        
         阿武東メインカントリーエレベーターは、農家が収穫した米が籾(もみ)のまま持ち込まれ、
        重量が計られた後に大型乾燥機により乾燥される。乾燥された籾は温度管理され、出荷ま
        で保管する施設である。

        
         片俣は蔵目喜川の源流となる阿武高原の奥地に位置する。地名の由来について地下上申
        は、嘉年郷が相撲の小俣を跳ね上げる片俣取りの手で高佐郷に勝ち、片俣と呼ばれるよう
        になったという伝説があると記す。(歩行約2㎞) 

        
         国道315号と県道萩津和野線の三叉路に「道の駅うり坊の郷」(🚻)

        
         国道を阿東方面へ歩くと第二金谷橋付近に集落が形成されている。

        
         石州街道(白坂筋)は県道萩津和野線を横断して、蔵目喜川を渡り、阿東方面に200m
        ほど進むと国道を横断する。のち旧村道出合線に入ると、金谷(かんだに)集落の中心部に駅
        や札場があったとされるが場所は不明とのこと。

        
         地元の方に会うことはなかったが牛が迎えてくれる。

        
         恵美須神社の境内には、大正14年(1925)4月に社殿新築した旨の石碑が立つ。

        
         盆地に稲作が広がるが「奥あぶ清流米」であろうか。

        
         光雲寺(臨済宗)は、1870(明治3)年霊光寺と御舟子(みうなご)の養雲寺が合併し、霊光
        寺の地に住居して現寺号に改称する。霊光寺の創建年代は不詳だが、当地の鎮守・天神社
        の社坊として建立されたという。

        
         片俣八幡宮は平安期の807(大同2)年、宇佐八幡宮より当地に勧請したとされる。 

        
         国道を挟んで道の駅の向い側にむつみ村高感度地震観測施設がある。地下203mの井
        戸に地震計が設置され、高感度の地震観測が行われている。