ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

周南市の中野・上村・川曲は過疎の山間集落と混住化地域 

2022年07月07日 | 山口県周南市

        
               この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         1889(明治22)年町村制施行により、中野村・川上村・川曲村・上村の4ヶ村が合併
        して加見村(かみそん)が発足し、1942(昭和17)年徳山市に編入されるまで村立する。
         中野は富田川の支流である中野川流域に位置する。地名の由来は、佐波郡徳地から富田
        に至る道筋にあたる当地は、往古、人家はなく広野ばかりであったためという。(歩行約1
                ㎞、🚻なし)

        
         中野へはJR新南陽駅から四熊経由で路線バスがあるが、1日4便と少なく車に頼らざ
        るを得ない場所である。川上ダム湖の付け替え道路に沿って1本道を進む。

        
        
         神上(こうのうえ)神社は、
1600(慶長5)年に勧請されたと伝え、旧藩時代は神上大明神
        と称していた。鳥居は大正4年乙卯年(1915)の御大典記念と記す。 

        
        
         神社から約300m奥に進むと旧中野村の中心地で、12世帯14人が暮らす。(集落入
        口の路肩に駐車)

        
         菊川小学校中野分校は、1877(明治10)年南野小学中野分校として創立。のちに中野
        簡易小学校、分教場、分校などに校名変更してきたが、1982(昭和57)年に休校し、1
        994(平成6)年廃校となる。(片隅に二宮金次郎像) 

        
         二宮金次郎像傍に「伝 中野出土舟形石棺」2基が保存されているが、左側の石棺は終
        戦後に発見されたが、石を穿(うが)って作られており、破片となっていたものが復元された。  
        右のものは、古くから保安寺(上村)にあったもので、石棺の蓋と伝えられている。(説明板
        より) 

        
         中野消防庫脇に中野薬師堂。2003(平成15)年に入佛法要祭が行われたと記す。 

        
        
         分校跡から右手の集落道を上がって行くと、10軒程度の民家が道に添うが空家が多い。

        
         バスはここで折り返すが、平日4便、土日祝は2便と少なく、利用者(利便性)と便数(収
        益)の関係はいたちごっこのようだ。

        
         バス回転場の脇に地蔵尊と道路奥にも人家。

        
         最奥民家も空家。

        
         車庫らしき建物の中に墓碑と、壁には各地の寺社の御朱印が掲げてある。

        
         古老によると中野川を挟んで棚田が広がっていたが、耕作放棄後は棚田だったことが嘘
        のような姿になってしまったという。奥に民家があったのであろう電柱と舗装路が延びて
        いる。

        
         川上は西から四熊川、北西から中野川が注ぎ込む富田川の中流域に存在した。川上ダム
        により地区の家屋計60戸、面積68万7,243㎡が水没し、現在では川上ダム管理事務
        所があるだけである。

        
         山口県営多目的ダムとして1958(昭和33)年に着工、1962(昭和37)年に完成した
        重力式コンクリートダム。
         しかし、水需要のさらなる増大により、1979(昭和54)年に既設ダムが16.5mかさ
        上げされた。

             
         上村(かみむら)は富田川中流域の両岸に位置し、東と西は山が迫る地にある。(歩行約
        2.5㎞) 

        
         中国電力間上(はざかみ)発電所は、1940(昭和15)年に発電が開始された。背後の急傾
        斜地に敷設された水圧鉄管で、水の落下を利用したダム水路式発電所である。。

        

        
         間上集落とバス停付近に水車2基。

        
         県道新南陽日原線から市道間上線に入り富田川沿いを下る。

        
         川の左岸に東南野集落の家並み。

        
         富田川に架かる恵比須橋と、袂に恵比須神の小祠。

        
         保安寺(ほうあんじ)は曹洞宗のお寺で、室町期の1465(寛正6)年に陶弘房の妻・保安寺
        殿華谷妙栄の菩提寺として創建される。1821(文政4)年天神山下から今の地に移転する。

        
         寺前から見るべきものもないのでウオーキングになってしまう。(再合流の県道付近より
        見返る)

        
         市道徳山加見線を下る。

        
         亀甲模様に市章と文字が入った周南市のマンホール蓋。

        
         東南野には数軒ほど農家住宅らしい建物が見られる。

        
         川曲(かわまがり)は富田川の支流・川曲川流域に位置する。地名の由来は、川の流路の曲
        りが多いためという。(歩行約2㎞) 

        
         集落は市道徳山加見線分岐から下川曲バス停まで2.3㎞の距離にあり、三嶋神社を挟ん
        で下と上に分かれている。

        
         バス便はJR新南陽駅から1日1便のみで、病院、生活物資購入など生活するためには
        車に頼らざるを得ない状況のようだ。

        
         大きな屋敷地を構える民家。

        
         人の気配が感じられないが、下川曲では11世帯18人が暮らしているという。

        
         大きな民家だが無住のようだ。

        
         川に沿って右カーブした所に三島神社。1590(天正18)年河野五郎右衛門が伊予国三
        島神社の分霊を祀ったことに始まるという。

        
         15世帯21人が暮らす上川曲集落。

        
         東荘寺(曹洞宗)の創建年は不明だそうで、1750(寛延3)年富田より移転する。本寺は
        大道理の龍豊寺とされるが、現在は廃寺同然の姿を見せる。

        
         大乗妙典は法華経のことを意味し、小さな石にお経を一字づつ書いて埋めたものとされ
        る。

        
         段々状に並ぶ民家には車などがあって日々の営みを感じる。

        
         上川曲集落の中心部にバス停。この先600mほど入ると、10世帯20人が暮らす矢
        櫃集落だが猛暑で歩けず残念する。

        
        
        
         過疎対策にこれといった特効薬もないようで、将来展望を描くことの難しさを感じつつ
        往路を引き返す。