ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

周南市長穂の竜文寺から長穂市を巡る  

2022年02月16日 | 山口県周南市

               
               この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         長穂(ながほ)は竜文寺山の南麓を大きく迂回した錦川が、再び北流する付近、主として南
        部の小盆地に位置する。
         地名の由来は、往古、長田(ちょうだ)と呼称していたが、次第に人家が増えて開発も進め
        られた。あるとき、ことのほか長い稲の穂ができたので村中の人々は、これを喜び村名を
        長穂に改めたという。(歩行約3.8㎞) 

        
         JR徳山駅(11:25)4番のりばから防長バス徳山カントリー前行き約40分、終点で下車
        する。バスはそのまま直進すると回転場があるそうだ。

        
         門前橋左手に微かだが向道ダムが見える。瀬戸内の工業地帯や海軍燃料廠などの用水を
        確保するため、1938(昭和13)年3月に着手し、1940(昭和15)年10月に完成した。
        多目的ダム(治水、工水、上水道、発電)としては、日本で最初に運用が開始されたものだ
        という。

        
         木立に囲まれた緩やかな坂道を上ると、竜文寺(曹洞宗)の山門が見えてくる。山門は2
        005(平成17)年に再建されたという。

        
         山門を潜ると石畳の先に本堂が見える。1881(明治14)年5月の火災で多くの堂宇を
        焼失し、その後、再建されたが旧観は山門をとどめるにすぎない。

        
         室町期の1429(永亨元)年陶盛政が大内持世の命によって創建した古刹で、その後、陶
        氏代々の菩提寺とする。
         1555(弘治元)年、陶晴賢は厳島の戦いで毛利氏に敗北し自害する。晴賢死後、居城の
        富田若山城は先に父を殺害された杉重輔によって攻め落とされた。
         伝承では晴賢の嫡男・長房はこの寺に逃れたが、周方神社祭礼の踊りに紛れて寺内に乱
        入してきたため、陶一族は自害したという。

        
         周方神社の踊りは、その後、陶氏追善供養のため7月7日に舞われてきたが、やがて雨
        乞いの踊りへと変化し、長穂の念仏踊りとして現在に引き継がれている。(大内菱の入った
        鬼瓦) 

        
         本堂の左側に出ると「陶氏墓所」が案内されている。石段を含め約100mの所にある。

        
        
         陶盛政、弘房、弘護、興房、長房らの当主および宗族の家臣らの五輪塔墓が50~60
        基あるようだが、人物を特定できるのは2基のみだそうだ。

        
         下車したバス停まで戻ってバス路線を東へ向かう。

        
        
         周方(すわ)神社の社伝によれば清寧天皇の時(480-484)、
出雲国より現鎮座地の南方にあ
        たる下莇(しもあざみ)の地に影向された。
         のちに他地へ遷座し周方大明神と称し、年次は不明であるが現在地に
社殿を造営して祭
        ったと伝える。
         
        
         右後方の高台には、2001(平成13)年開校した翔北中学校の校舎が見えるが、201
        2(平成24)年に休校となり、今は建物だけが集落を見下ろしている。
         その校舎を利用して、中山間地域の若者定住を取り組む会社があると聞いていたが、こ
        こからは人の出入りは感じられないが撤退してしまったのだろうか。

        
         何の建物だったのだろうか。「刃物とぎます」の看板が目立つ。

        
         小盆地に広がる農地。左前方の周防カントリークラブ(22年2月末閉鎖予定)付近に、
        1941(昭和16)年に干ばつ対策として山口ダムが完成し、地区内の1/3の水田を潤してい
        る。

        
         この付近から民家が密集する。

        
         1889(明治22)年の町村制の施行により、莇地(あどうじ)村と長穂村の区域をもって長
        穂村が発足し、旧村名を大字として地名を存続させた。
         昭和の大合併で須々万村、中須村と合併して都濃町が発足するが、1966(昭和41)
        徳山市に編入される。

        
         域内の中心は長穂市で日本海の多雪地帯に分布される。花の数が少ないとされるオクチ
        ョウジ桜があるとのこと。

        
         旧郵便局舎前に長穂バス停。15時05分発までには時間があるので付近を周回する。

        
         下って行くと火伏せ地蔵尊がある付近で民家が途切れる。

        
         旧長穂小学校はグラウンドのみが残され、校舎は解体されて跡地には周南市支所、市民
        センターが建設されている。