この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
小周防(こずおう)は島田川中流域の河岸低地、及び同川支流の笠野川・虹川に沿った沖積
低地と背後の小周防丘陵に立地する。
もとは古周防と記し、周防の古府の地であり、何時となく小周防となったという。(歩行
約4.8㎞)
JR島田駅から島田駅前バス停までの小路に「牛馬の碑」がある。説明によると、島田
川の氾濫が明治、大正、昭和、平成とそれぞれ1回起きている。その氾濫時に三島橋に樹
木とともに牛馬が引っ掛かり、その慰霊・鎮魂のための碑と伝える。
島田駅前バス停から防長バス兼清行き約10分、小周防バス停で下車する。三丘温泉が
あるためかバスは概ね1時間に1本運行されている。
バス停先で県道が交わるが、ここを左折して県道下松田布施線を下松方面へ向かう。
島田川が域内を二分する。
八幡所交差点から笠野川への道に入る。
笠野川の上流へ向かうと門前橋。
渓月院までは約480mの上り坂。
渓月院の由緒によると、室町期の文安年間(1444-1449)頃に創建された曹洞宗金剛派の4
道場(他に廿日市の洞雲寺、徳島の丈六寺、下関の功山寺)のひとつとされる。
大内時代に建立された堂宇は焼失し、毛利氏の手によって再建されたが、明治中期に再
び火災に遭い昔の面影が失われた。
室町期の1555(弘治元)年毛利元就が都濃郡須々万の沼城攻撃に際し、仮陣所を設けた
寺と記されている。
県道まで戻って島田川に架かる永代橋を渡り、川に沿うと道路の右側に住宅が並び、左
手は農地といった風景になる。
住宅が途切れる付近で田園を横断して県道光玖珂線側に移動する。交差する角に「八幡
宮常夜燈」があるが、近辺に八幡宮は見当たらず。
周防小学校グラウンド脇に周防国造在所之地碑が建立されている。周防国造(すはのくにの
みやつこ)は周防(周芳)国を支配したとされ、応神天皇の時代(200-310)に加米乃意美(かみの
おみ)を国造に定めたことに始まるという。
碑の周辺に国造の在所があったとされ、大化の改新後、大和政権から凡直(おおしのあたい)
の姓を受け、周防国の有力豪族として長らく栄えたという。
律令制度が整えられ、それまでの地方豪族による国造制から機構が変わり、周防の国府
は古くから開けた佐婆(防府)に置かれた。
バス停付近まで戻ると左手に光市立さつき幼稚園の建物がある。少子化の影響もあって
年々園児の減少が続いたようで、2018(平成30)年に閉園になったとのこと。
幼稚園入口には田園の環境を守り、収穫の効率性を求めて、1952(昭和27)年島田川
土地改良区を発足させて、圃場整備等を行ってきたが、その役目を終えて解散した旨の碑
である。
13時32分のバス時間までバス停傍のジョイフル小周防店で時間待ちする。