ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

光市小周防は周防国造在所があった地

2022年02月09日 | 山口県光市

        
               この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         小周防(こずおう)は島田川中流域の河岸低地、及び同川支流の笠野川・虹川に沿った沖積
        低地と背後の小周防丘陵に立地する。
         もとは古周防と記し、周防の古府の地であり、何時となく小周防となったという。(歩行
        約4.8㎞)

        
         JR島田駅から島田駅前バス停までの小路に「牛馬の碑」がある。説明によると、島田
        川の氾濫が明治、大正、昭和、平成とそれぞれ1回起きている。その氾濫時に三島橋に樹
        木とともに牛馬が引っ掛かり、その慰霊・鎮魂のための碑と伝える。

        
         島田駅前バス停から防長バス兼清行き約10分、小周防バス停で下車する。三丘温泉が
        あるためかバスは概ね1時間に1本運行されている。

        
         バス停先で県道が交わるが、ここを左折して県道下松田布施線を下松方面へ向かう。

        
         島田川が域内を二分する。

        
         八幡所交差点から笠野川への道に入る。

        
         笠野川の上流へ向かうと門前橋。

        
        
         渓月院までは約480mの上り坂。 

        
        
         渓月院の由緒によると、室町期の文安年間(1444-1449)頃に創建された曹洞宗金剛派の4
        道場(他に廿日市の洞雲寺、徳島の丈六寺、下関の功山寺)のひとつとされる。
         大内時代に建立された堂宇は焼失し、毛利氏の手によって再建されたが、明治中期に再
        び火災に遭い昔の面影が失われた。
         室町期の1555(弘治元)年毛利元就が都濃郡須々万の沼城攻撃に際し、仮陣所を設けた
        寺と記されている。

        
         県道まで戻って島田川に架かる永代橋を渡り、川に沿うと道路の右側に住宅が並び、左
        手は農地といった風景になる。

        
         住宅が途切れる付近で田園を横断して県道光玖珂線側に移動する。交差する角に「八幡
        宮常夜燈」があるが、近辺に八幡宮は見当たらず。

        
         周防小学校グラウンド脇に周防国造在所之地碑が建立されている。周防国造(すはのくにの
          みやつこ)
は周防(周芳)国を支配したとされ、応神天皇の時代(200-310)に加米乃意美(かみの
                   おみ)
を国造に定めたことに始まるという。
         碑の周辺に国造の在所があったとされ、大化の改新後、大和政権から凡直(お
おしのあたい)
        の姓を受け、周防国の有力豪族として長らく栄えたという。
         律令制度が整えられ、それまでの地方豪族による国造制から機構が変わり、周防の国府
        は古くから開けた佐婆(防府)に置かれた。

        
         バス停付近まで戻ると左手に光市立さつき幼稚園の建物がある。少子化の影響もあって
        年々園児の減少が続いたようで、2018(平成30)年に閉園になったとのこと。

        
         幼稚園入口には田園の環境を守り、収穫の効率性を求めて、1952(昭和27)年島田川
        土地改良区を発足させて、圃場整備等を行ってきたが、その役目を終えて解散した旨の碑
        である。
         13時32分のバス時間までバス停傍のジョイフル小周防店で時間待ちする。